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【精揉】まるで針のように心撚れて
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◇◇◇◇◇
もうすぐ会社に着くという聡次郎さんからのメッセージを確認しながら1階でエレベーターを待っていた。
聡次郎さんの部屋の鍵をカバンから取り出そうとして開いた扉から駐車場を見ると、聡次郎さんの車が入ってくるのが見えた。
駆け寄ろうとすると、駐車場の端にブルーシートが敷かれているのが目に入った。シートの上には複数の大きな花瓶とバケツに入った色鮮やかな生花、そして愛華さんがいてはっと息を呑んだ。
車から出てきた聡次郎さんを確認した愛華さんは、ゆっくりと聡次郎さんに歩み寄り笑顔で話しかけた。
ここからでは離れた2人の会話は聞こえない。けれど2人の笑顔ははっきり見ることができた。以前からの顔見知りであることがわかる。
奥様が勝手に決めたとはいえ、2人がお互いをどう思っているのかまでは私は知らない。
聡次郎さんは愛華さんと結婚するつもりはないとはっきり言った。今も笑顔ではあるけれど作ったような不自然な顔だ。
でも愛華さんが聡次郎さんを見る顔は知り合いに見せる顔ではなかった。聡次郎さんに会えて嬉しくて仕方がない、そんな気持ちが表れている。
これまでの聡次郎さんの言動は愛華さんを拒否していた。でも愛華さんはそう思ってはいなのだと今思い知った。
聡次郎さんが会話を切り上げてビルに近づいてきたから、私は開いたばかりのエレベーターに慌てて乗った。聡次郎さんに笑顔を見せる愛華さんが堪らなく嫌で、エレベーターの『閉』ボタンを何度も押した。
部屋に入って作り置きしてあったおかずを電子レンジで温めた。お湯を沸かしてお茶の準備をすると聡次郎さんが部屋に入ってくる気配がした。だから私は玄関まで移動するのに小走りになってしまった。
「どうした?」
その勢いに驚いたのか聡次郎さんは靴を脱ぐため足を上げたまま止まった。私は聡次郎さんに抱きついた。
「梨香?」
よろけても決して私を引き離そうとはしない聡次郎さんの肩に私は強く顔を押しつけた。嫉妬で不機嫌な顔を見られないように。
「どうかした? 何かあった?」
聡次郎さんは心配そうな声を出し私の顔を見ようと少しだけ体を離そうとしたけれど、離れたくないと強く思った私はますます肩に顔を押しつける。
私の様子に聡次郎さんは諦めたのか手を腰に回し私を抱き締めた。それ以上何も言わず、私が自分から離れるのをひたすら待っていてくれる。そんな聡次郎さんの優しさが嬉しくて愛しくて、今こうして私のそばにいてくれることが幸せだ。
「もう大丈夫」
私は聡次郎さんを見上げた。
「ごめんなさい。もう大丈夫だから」
「本当か? 俺にできることなら何でも言えよ」
「こうして抱き締めてくれたらそれでいいの」
聡次郎さんから離れ笑顔を見せた。無理に笑っているわけではないけれど、聡次郎さんは納得したようには見えない。私は聡次郎さんの手を取ってリビングへと引っ張った。
「ご飯食べよ」
「ああ……」
本当の婚約者が現れても、聡次郎さん自身が私がそばにいることを望んでくれたのだから大丈夫。不安に思わなくていい。私はそう自分に言い聞かせた。
「おはよう」
髪を乱した聡次郎さんがゆっくりと寝室からリビングに来た。
「おはよう。朝ご飯はパンケーキでいいかな?」
「うん。うまそうな匂い」
聡次郎さんはお皿に盛りつける私の横に立った。
「なにこれ……」
私の持つ器に入った濃い緑の液体を不審な顔で見た。
「抹茶ソースです」
龍峯の抹茶と砂糖を混ぜパンケーキにかけるソースを試作していた。
「これは?」
「パンケーキに添える抹茶アイス」
同じく龍峯の抹茶でアイスを作った。パンケーキの横に添え、手作りソースをかける。最後に抹茶をふるって飾りつける。
「はい完成! どうぞ」
聡次郎さんにパンケーキのお皿を手渡した。
「すげーな。朝から頑張るじゃん」
「今度カフェで新作メニューの提案をするの。だから色々試作中」
採用されれば来年の春の販促商品としてカフェで提供できる。前回は提案する余裕がなかったけれど、今は生活が落ち着いてきた。思いつくのはお茶を使った商品だ。パンケーキの他にも既存の抹茶ラテをアレンジしたいと思っている。
「龍峯を辞めるからって、もうカフェ中心の頭なのかよ?」
「そういうわけじゃないけど、一応カフェで私の考えたメニューを楽しみにしてくれる常連さんもいるの。期待されてるうちは頑張りたいし」
前回社員の案を押しのけて採用された私のメニューは好評だった。今回も社員には負けたくない。
「ふーん……まあ俺も上手いのが食えるからいいや」
聡次郎さんはナイフでパンケーキを大きめにカットするとぱくりと一口で口に収めた。
「今日は12時からカフェに出勤で閉店までいるね。聡次郎さんが休みなのに私は仕事で申し訳ないけど」
「じゃあ迎えに行くよ」
「いいよ。ちゃんとここに帰ってくるし」
カフェに出勤した日でも、今では自分のアパートよりもこの部屋に泊まることの方が多い。聡次郎さんの思惑通りの半同棲状態だ。
「夜遅いだろ。迎えに行くから駅のロータリーに来いよ」
「ありがとう」
自分勝手なように見えて私を大事にしてくれる。カフェからここまで遠くはないのにわざわざ車を出してくれるのだ。
聡次郎さんの部屋を出てエレベーターに乗った。
社内では婚約していることをオープンにしてしまったから、今はもう聡次郎さんの部屋から隠れずに堂々と出てこれる。龍峯での勤務が休みの日でも私がここにいて不自然じゃない。
1階のエレベーターホールに下りると、駐車場に繋がる裏口の扉が不自然に開いたり閉まったりしている。
不審に思いしばらく様子を見ていると、開いた扉から台車が入ってきた。台車の上には高さのある壷に活けられた見事なアレンジメントが載っている。
ゆっくりとエレベーターホールに入ってきた台車を押しているのは愛華さんだった。
「あっ!」
愛華さんが声を出した。わずかな段差で揺れた台車の上の壷が倒れそうになり、愛華さんは慌てて片手で壷を支えた。
「大丈夫ですか?」
私は思わず駆け寄って壷を支えた。
「ありがとうございます」
愛華さんは私でもうっとりするような可憐な笑顔を向けた。
「どこまで運ぶんですか?」
「ドアの前までです」
龍峯のビルのガラス扉の前には以前花屋に頼んでいたアレンジメントが置いてあった。これは代わりにそこに置くのだろう。
「手伝います」
「でも……」
「割れたら大変ですから」
「ありがとうございます」
愛華さんが台車を押して、私が壷を支えてガラス扉の手前まで運んだ。
「せーので置きますよ」
「はい」
「せーのっ!」
愛華さんと一緒に壷を持ち、ガラス扉の前に置いた。
「ありがとうございました」
「どういたしまして」
愛華さんは私に何度も頭を下げた。
「作業はここだけですか?」
「いいえ、このビル全部です。ここが1番最初のアレンジメントです」
ここに置いたら終わりかもなんてわずかに期待していたけれどがっかりした。
「大変ですね、龍峯のビル全てに活けるなんて」
応接室にもオフィスにもアレンジメントが置いてあった。店舗の入り口の前にも左右に置いてある。
「でもお役に立てるのは嬉しいですから」
愛華さんは綺麗な笑顔を惜しみなく私に向ける。同じ女なのにこうも優れた容姿なのは羨ましい。
「花が置いてあると皆様心穏やかになります」
確かに花屋に頼んでいたときも綺麗なアレンジメントだったけれど、愛華さんの活けたこのアレンジメントは1つの芸術作品のように心を惹きつけるものがある。
「本店の方ですよね? 先日お会いした……」
「ああ、はい。三宅と申します」
「栄愛華と申します」
愛華さんが丁寧に頭を下げる度にサラサラした綺麗な髪が揺れる。
「今日は外出ですか? それとももう退勤ですか?」
愛華さんの質問は、当たり前だけれど私がここに住んでいるとは全く思っていない。
「いいえ、今日は休みなんです」
「お休みなのに会社に来られたんですか?」
愛華さんの指摘に焦った。素直に休みだと答えてしまったけれど、休みなのに龍峯にいるのは不自然だ。
「えっと……ちょっと用がありまして……」
まさか聡次郎さんの部屋に気軽に出入りしているのだとは本当の婚約者に言えない。歯切れの悪い誤魔化し方しかできない。
「お忙しいのにお引き留めして申し訳ありません」
「いえ……」
「お力添えありがとうございました」
最後にもう1度丁寧に頭を下げる愛華さんから逃げるように龍峯のビルから離れた。
とても礼儀正しく育ちの良い、いかにもお嬢様という言葉が似合いそうな人だ。この人の方がよっぽど聡次郎さんの相手に相応しい。
そう思ってしまった瞬間、愛華さんという存在が怖くなった。
もうすぐ会社に着くという聡次郎さんからのメッセージを確認しながら1階でエレベーターを待っていた。
聡次郎さんの部屋の鍵をカバンから取り出そうとして開いた扉から駐車場を見ると、聡次郎さんの車が入ってくるのが見えた。
駆け寄ろうとすると、駐車場の端にブルーシートが敷かれているのが目に入った。シートの上には複数の大きな花瓶とバケツに入った色鮮やかな生花、そして愛華さんがいてはっと息を呑んだ。
車から出てきた聡次郎さんを確認した愛華さんは、ゆっくりと聡次郎さんに歩み寄り笑顔で話しかけた。
ここからでは離れた2人の会話は聞こえない。けれど2人の笑顔ははっきり見ることができた。以前からの顔見知りであることがわかる。
奥様が勝手に決めたとはいえ、2人がお互いをどう思っているのかまでは私は知らない。
聡次郎さんは愛華さんと結婚するつもりはないとはっきり言った。今も笑顔ではあるけれど作ったような不自然な顔だ。
でも愛華さんが聡次郎さんを見る顔は知り合いに見せる顔ではなかった。聡次郎さんに会えて嬉しくて仕方がない、そんな気持ちが表れている。
これまでの聡次郎さんの言動は愛華さんを拒否していた。でも愛華さんはそう思ってはいなのだと今思い知った。
聡次郎さんが会話を切り上げてビルに近づいてきたから、私は開いたばかりのエレベーターに慌てて乗った。聡次郎さんに笑顔を見せる愛華さんが堪らなく嫌で、エレベーターの『閉』ボタンを何度も押した。
部屋に入って作り置きしてあったおかずを電子レンジで温めた。お湯を沸かしてお茶の準備をすると聡次郎さんが部屋に入ってくる気配がした。だから私は玄関まで移動するのに小走りになってしまった。
「どうした?」
その勢いに驚いたのか聡次郎さんは靴を脱ぐため足を上げたまま止まった。私は聡次郎さんに抱きついた。
「梨香?」
よろけても決して私を引き離そうとはしない聡次郎さんの肩に私は強く顔を押しつけた。嫉妬で不機嫌な顔を見られないように。
「どうかした? 何かあった?」
聡次郎さんは心配そうな声を出し私の顔を見ようと少しだけ体を離そうとしたけれど、離れたくないと強く思った私はますます肩に顔を押しつける。
私の様子に聡次郎さんは諦めたのか手を腰に回し私を抱き締めた。それ以上何も言わず、私が自分から離れるのをひたすら待っていてくれる。そんな聡次郎さんの優しさが嬉しくて愛しくて、今こうして私のそばにいてくれることが幸せだ。
「もう大丈夫」
私は聡次郎さんを見上げた。
「ごめんなさい。もう大丈夫だから」
「本当か? 俺にできることなら何でも言えよ」
「こうして抱き締めてくれたらそれでいいの」
聡次郎さんから離れ笑顔を見せた。無理に笑っているわけではないけれど、聡次郎さんは納得したようには見えない。私は聡次郎さんの手を取ってリビングへと引っ張った。
「ご飯食べよ」
「ああ……」
本当の婚約者が現れても、聡次郎さん自身が私がそばにいることを望んでくれたのだから大丈夫。不安に思わなくていい。私はそう自分に言い聞かせた。
「おはよう」
髪を乱した聡次郎さんがゆっくりと寝室からリビングに来た。
「おはよう。朝ご飯はパンケーキでいいかな?」
「うん。うまそうな匂い」
聡次郎さんはお皿に盛りつける私の横に立った。
「なにこれ……」
私の持つ器に入った濃い緑の液体を不審な顔で見た。
「抹茶ソースです」
龍峯の抹茶と砂糖を混ぜパンケーキにかけるソースを試作していた。
「これは?」
「パンケーキに添える抹茶アイス」
同じく龍峯の抹茶でアイスを作った。パンケーキの横に添え、手作りソースをかける。最後に抹茶をふるって飾りつける。
「はい完成! どうぞ」
聡次郎さんにパンケーキのお皿を手渡した。
「すげーな。朝から頑張るじゃん」
「今度カフェで新作メニューの提案をするの。だから色々試作中」
採用されれば来年の春の販促商品としてカフェで提供できる。前回は提案する余裕がなかったけれど、今は生活が落ち着いてきた。思いつくのはお茶を使った商品だ。パンケーキの他にも既存の抹茶ラテをアレンジしたいと思っている。
「龍峯を辞めるからって、もうカフェ中心の頭なのかよ?」
「そういうわけじゃないけど、一応カフェで私の考えたメニューを楽しみにしてくれる常連さんもいるの。期待されてるうちは頑張りたいし」
前回社員の案を押しのけて採用された私のメニューは好評だった。今回も社員には負けたくない。
「ふーん……まあ俺も上手いのが食えるからいいや」
聡次郎さんはナイフでパンケーキを大きめにカットするとぱくりと一口で口に収めた。
「今日は12時からカフェに出勤で閉店までいるね。聡次郎さんが休みなのに私は仕事で申し訳ないけど」
「じゃあ迎えに行くよ」
「いいよ。ちゃんとここに帰ってくるし」
カフェに出勤した日でも、今では自分のアパートよりもこの部屋に泊まることの方が多い。聡次郎さんの思惑通りの半同棲状態だ。
「夜遅いだろ。迎えに行くから駅のロータリーに来いよ」
「ありがとう」
自分勝手なように見えて私を大事にしてくれる。カフェからここまで遠くはないのにわざわざ車を出してくれるのだ。
聡次郎さんの部屋を出てエレベーターに乗った。
社内では婚約していることをオープンにしてしまったから、今はもう聡次郎さんの部屋から隠れずに堂々と出てこれる。龍峯での勤務が休みの日でも私がここにいて不自然じゃない。
1階のエレベーターホールに下りると、駐車場に繋がる裏口の扉が不自然に開いたり閉まったりしている。
不審に思いしばらく様子を見ていると、開いた扉から台車が入ってきた。台車の上には高さのある壷に活けられた見事なアレンジメントが載っている。
ゆっくりとエレベーターホールに入ってきた台車を押しているのは愛華さんだった。
「あっ!」
愛華さんが声を出した。わずかな段差で揺れた台車の上の壷が倒れそうになり、愛華さんは慌てて片手で壷を支えた。
「大丈夫ですか?」
私は思わず駆け寄って壷を支えた。
「ありがとうございます」
愛華さんは私でもうっとりするような可憐な笑顔を向けた。
「どこまで運ぶんですか?」
「ドアの前までです」
龍峯のビルのガラス扉の前には以前花屋に頼んでいたアレンジメントが置いてあった。これは代わりにそこに置くのだろう。
「手伝います」
「でも……」
「割れたら大変ですから」
「ありがとうございます」
愛華さんが台車を押して、私が壷を支えてガラス扉の手前まで運んだ。
「せーので置きますよ」
「はい」
「せーのっ!」
愛華さんと一緒に壷を持ち、ガラス扉の前に置いた。
「ありがとうございました」
「どういたしまして」
愛華さんは私に何度も頭を下げた。
「作業はここだけですか?」
「いいえ、このビル全部です。ここが1番最初のアレンジメントです」
ここに置いたら終わりかもなんてわずかに期待していたけれどがっかりした。
「大変ですね、龍峯のビル全てに活けるなんて」
応接室にもオフィスにもアレンジメントが置いてあった。店舗の入り口の前にも左右に置いてある。
「でもお役に立てるのは嬉しいですから」
愛華さんは綺麗な笑顔を惜しみなく私に向ける。同じ女なのにこうも優れた容姿なのは羨ましい。
「花が置いてあると皆様心穏やかになります」
確かに花屋に頼んでいたときも綺麗なアレンジメントだったけれど、愛華さんの活けたこのアレンジメントは1つの芸術作品のように心を惹きつけるものがある。
「本店の方ですよね? 先日お会いした……」
「ああ、はい。三宅と申します」
「栄愛華と申します」
愛華さんが丁寧に頭を下げる度にサラサラした綺麗な髪が揺れる。
「今日は外出ですか? それとももう退勤ですか?」
愛華さんの質問は、当たり前だけれど私がここに住んでいるとは全く思っていない。
「いいえ、今日は休みなんです」
「お休みなのに会社に来られたんですか?」
愛華さんの指摘に焦った。素直に休みだと答えてしまったけれど、休みなのに龍峯にいるのは不自然だ。
「えっと……ちょっと用がありまして……」
まさか聡次郎さんの部屋に気軽に出入りしているのだとは本当の婚約者に言えない。歯切れの悪い誤魔化し方しかできない。
「お忙しいのにお引き留めして申し訳ありません」
「いえ……」
「お力添えありがとうございました」
最後にもう1度丁寧に頭を下げる愛華さんから逃げるように龍峯のビルから離れた。
とても礼儀正しく育ちの良い、いかにもお嬢様という言葉が似合いそうな人だ。この人の方がよっぽど聡次郎さんの相手に相応しい。
そう思ってしまった瞬間、愛華さんという存在が怖くなった。
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