怯える猫は威嚇が過ぎる

涼暮つき

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持つべきではない感情

持つべきではない感情④

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「なぁにしてんだか、本当。おまえ、品行方正キャラじゃなかったか?」
「何ですか、それ」
「若いくせにはしゃいだり羽目外したとこ見たことないし。優等生タイプなのかと思ってたけど、実はそうでもないのか?」
「……いいでしょう、プライベートなことは」
 暁人が答えると、葉山が「はは。そうだったな」と笑って、部屋の奥に入ると、大きめの絆創膏を持って戻って来た。
「まぁ、詮索はしないけど。謎は深まったな」
「どういう意味ですか?」
「まえに竹内が言ってたろ? おまえがミステリアスとかどうとか」
「ああ……」
 確かに言われたような気がする。べつにそんな演出をしているつもりは毛頭ないが、プライベートな部分をあまり詮索されたくないという点において、皆の目にそういうふうに映っているのならそれを否定する気もない。
「まぁ、仕事離れたら俺がどうこういうことでもないけど。何か抱えてんなら、俺や竹内でよければ話聞くし、ちょっとは頼れよってことだ」
 葉山のこの言葉が、ただの興味や冷やかしでないことは分かる。スタッフと必要以上に深い付き合いをしない暁人のことを心配しているのだということだけは確かだが、暁人はこれまで職場の人間にそんな接し方をされたことがない。
「何でもないんで。本当、心配いりませんから」
 こういうとき、どんなふうに返せばいいのか分からない。
 気持ちは有難いが、やはり踏み込まれたくはない。それは、自分の抱える問題が、彼らにとって理解のできないことだと分かっているからだ。
「手当ありがとうございました。俺、帰ります」
 暁人が帰ろうと靴を履くと、葉山が「待て待て待て」と呼び止めた。
「送ってく。車出すから待ってろ」
「大丈夫ですよ、子供じゃないんで。それに葉山さん、飲んで来たんじゃ……」
「はは。今日は飲んでないよ。飲んでたら車出すなんて言わねぇし」
「葉山さん、飲まない日あるんですね」
「は? 俺が毎日飲んだくれてるみたいに言うなよ」
 そう言った葉山が、暁人の顔を見てふっと表情を緩めた。
「柴、おまえただのいい子ちゃんじゃないだろ? 大人しい素振りして、結構毒吐くタイプだな、さては?」
「何、言ってるんですか」
「いや、安心したわ。案外、普通っぽくて」
「どういう意味ですか」
「基本は真面目だし仕事はしっかりやるし。文句のつけどころはないけど、表情硬くてロボットみたいだなって思ってたけど、素はそうでもないのかもな」
「は?」
「ほら、そういうとこ。職場ではそんな口聞かねぇだろ?」
 確かに、ここは職場ではないし、さっき会った男に酷い目にあって気分がクサクサしてたという点で、職場でつけてる完璧な仮面で葉山に接することができなかったという油断はある。これ以上、長居は無用だと暁人は思った。
「どうでもいいでしょ、そんなこと。帰ります」
 そう言って葉山の部屋を出ると、その腕を掴まれた。
「だーかーら。送ってくって言ったろ。近いんだし遠慮すんな」
「近いからいいって言ってるんですよ」
 暁人が答えると、葉山が小さく笑って先に階段を降りた。
「ほら、また雨降って来たし」
 言われて空を見上げると、霧雨が降っていた。
 結局、葉山に押し切られる形で自宅まで送って貰うことになった。
「へぇ、いいとこ住んでんな」
 と車を停車し、葉山が暁人の住むマンションを見上げた。
 プライベートを知られたくないのに、職場の人間、しかも上司に住んでるところがバレるとか最悪だと思ったが、これ以上何も言う気になれなかった。
 ここ数カ月葉山を見て来た限り、余計なことを吹聴するような人間ではないことは分かるし、厚意で送ってくれたのだから何も言うまい。
「ありがとうございました」
 そう言って葉山の車を降りると、葉山が暁人に手招きした。何事かと、車の運転席側にまわると、葉山が運転席から手を伸ばして暁人の口元の傷に触れた。
「ちゃんと冷やして寝ろよ。明日酷い顔で出勤したら承知しねぇぞ」
 そう言ってから、今度は暁人の頭に手を伸ばして髪をくしゃっとかき混ぜた。
「ちょ、なに……」
 ──まただ。やはり、癖なのだろうか。
「葉山さん、人の頭触るの癖なんですか?」
 暁人が訊ねると、葉山がそれをまるで無意識にしていたようにはっとした。
「ああ、悪い。歳離れた弟がいるんだよ。おまえくらいの年頃のやつ、皆弟みたいにみえて、つい……」
「ああ、だから竹内さんにも」
「さすがに女の子にはしねぇぞ? 訴えられたら堪んねぇし」
 男にもどうかと思うが、と思ったが、これも口に出さずに飲み込んだ。
「嫌ならしないよ。癖でやっちまうことあるから次からはっきり拒否ってくれ」
 そう言った葉山に、暁人は「嫌だ」とは言えなかった。いや、言わなかった。
「んじゃ、また明日」
 葉山がハンドルと握り直し、ひらひらと手を振りながら車を発車させた。
 次第に遠ざかって行く車のテールランプを見送りながら、暁人は絆創膏の上から口元に触れた。急に雨脚が強くなり、傘を持っていない暁人は慌ててマンションの階段を駆け上がった。
 ──なんで、嫌だって言わなかったんだろう。
 口元に触れながら、葉山の人懐っこい笑顔を思い出した途端、心臓が強く鼓動を打った。
 嫌じゃないとか……なんだよ、寧ろ──。そこから先のことを暁人は敢えて考えるのを止めた。

 
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