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第三章 青野日南子の場合
青野日南子の場合②
しおりを挟むそうこうしているうちに、あっという間に一週間が過ぎ、やってきた週末。朝からそわそわと落ち着かないのは、今日が例の山吹とのデートの日だからだ。
まる一日、しかも昼間からのデートと言うことでファッションにもそれなりに気を使った。お洒落過ぎず、ラフ過ぎず。普段より遠出をするにあたって、ある程度の動きやすさも外せない。
「あー、もう! 時間がっ……」
鏡の前で何度も衣装チェンジをしたあと、脱ぎ散らかした服をなんとか定位置に片付けた。その時、ピロリン♪と音がして、日南子はピアスを耳に通しながらテーブルの上のスマホを覗き込む。
【あと、十分くらいで着くよ】
メッセージ通り、おおよそ十分後にマンション前に到着した山吹の白いワンボックス。車のエンジン音に気づき、窓に駆け寄ってそれを確認してから急いで部屋を後にした。
「おはよう。ごめんね、待った?」
「いや。全然」
普段、夜の食事デートしかしてないせいか、昼間明るい太陽の下、スーツ姿の多い山吹のラフな私服姿がなんだか眩しく映る。
「乗って」
山吹が運転席から腕を伸ばして助手席のドアを軽く開けてくれた。日南子は「ありがとう」小さくお礼を言って車に乗り込みシートベルトを締めた。山吹がそんな日南子の一連の動作を見て目を細めている。
「ん? ……どうかした?」
「や。かわいいなーって思って」
まるでなんでもないことのように言った山吹が嬉しそうに笑う。日南子はその言葉にうろたえて、思わず彼から目を逸らしてしまった。
全く開口一番、なんという破壊力抜群の爆弾を投下してくるのだろう。
彼は普段からわりと思ったことを素直に口にするタイプのようだ。いままでにもそのスマートなエスコートや些細な言葉に無駄に心臓を踊らされてきたが、朝からこれでは日南子の心臓が夜まで持ちこたえるかどうか心配だ。
「そういうの、ダメだって言ったじゃない。慣れてないからどうしていいか分かんない……」
日南子が言うと、山吹が楽しそうに笑った。
「えー? 慣れようよ、いいかげん」
「慣れません」
「ははっ。んじゃ、出発するよ」
山吹がハンドルを握り、ゆっくりと車をスタートさせた。
*
二人が向かったのは、車で二時間ほどのところにある若者や家族連れに人気のアミューズメントパーク。遊園地と水族館が同じ敷地内に併設されていて、大人から子供まで一日中楽しめるスポットだ。
「どっちから行く?」
その彼の問いに、日南子は上を見上げたまま、轟音とともに頭上を猛スピードで走りぬけて行く絶叫マシーンを目で追った。遊園地など来たのはどれくらいぶりだろう? 日南子が知っているころよりさらに進化した乗り物の数々に若干怖気づく。
「……あのね、山吹くん」
「ん?」
「もしかしたら、あんま激しいのは乗れないかも」
山吹が、そう言った日南子の視線の先を目で追った。遠ざかったコースターから聞こえてくる絶叫と、そのレールが物語る高低差や回転を見て思わず立ち止まる。
「ああ。ああいうの?」
「……凄いね、あれ」
「ぶっ。青野さん、顔引き攣り過ぎ……。平気だよ、僕もああいうのそこまで得意じゃないし」
そうなの? ……と、窺うように山吹を見つめると、彼が眉を動かしながらコクコクと頷く。それから少し照れくさそうに右手を日南子に差し出した。
「今日、デートだよね」
その差し出された手やその言葉の意味が分からないほど、子供でもない。日南子も照れくささに少しぎこちない笑顔を返し、そっと左手を彼の手に重ねた。
ただ繋いでいただけの手。彼が一瞬その手を宙に浮かせて、より密着度が高まるように繋ぎ直された。触れあう手のひら、しっかりと絡められる指。
これが、俗に言う恋人繋ぎというやつか。自覚した途端、鼓動が速くなる。
「あ! あれ乗ろうよ! あれくらいならいけるでしょ?」
山吹が指さした先には、小学生でも乗れそうな初心者向けのジェットコースター。確かにこれくらいなら日南子でも楽しめそうだ。
「うん!」
日南子の返事に、山吹が楽しそうに笑ってからその歩調を早めた。繋いだ手の分少し前を歩く山吹の髪が明るい茶色に透けているのを、眩しく思いながら彼の背中を追い掛けた。
山吹との遊園地デートは、想像していたより遥かに楽しめた。最初のうちこそ、いかにもデートっぽい雰囲気に酔わされやたら心臓だけが忙しくしていたが、一緒にアトラクションを楽しむうちに、いつの間にか本気でそれを楽しんでいた。
初心者でも楽しめる軽めのジェットコースターから少しずつ格上されたアトラクションの数々を、意外にも乗りこなしてしまった。
「あー、ヤバイ。すっごく面白かった!!」
「青野さん、テンション高い! つか、俺より全然乗れんじゃん!!」
最後に、と二人で乗った観覧車のゴンドラの中。テンションの高いまま日南子は地上に広がる園内の景色を眺めた。
「ホント。意外に乗れて自分でもビックリ。遊園地ってこんな楽しかったんだーって」
「あ。あれ、乗り忘れた」
「え。どれどれ?」
山吹が指差した先を目で追った。
「あの、ガーッって上から落ちるヤツ」
日南子のほうに向き直った山吹と、ふいに顔と顔が近づいてドキッとした。──が、それを誤魔化すように言葉を続ける。
「山吹くん、ああいうの平気? 私、あれだけはダメで……」
「ははっ。実は俺もなんだよね」
「え? そうなの⁉」
「意識的に避けてたもん。『乗りたい』って言われたらヤベーなって内心ドキドキしてた」
「全然気付かなかった。……なぁんだ、嘘でも言えばよかった。山吹くんの反応面白そうだし」
そう言って悪戯に笑うと、山吹もつられるように笑う。
「そしたら青野さんも乗る破目になっちゃうよ?」
「私はこっそり逃げるもん」
「何、それ。狡いじゃん」
「あはは」
揺れるゴンドラ。上にある窓から吹き抜けて行く風。少し傾きかけた太陽が、遠くに見える水平線をキラキラと照らしている。
「もう、三時過ぎか。水族館どうする?」
山吹がポケットからスマホを取り出して時間を気にするように訊ねた。
「もし、時間大丈夫なら行かない? ……せっかくだし」
「うん。私も行きたい」
普段よりだいぶ遠出をしているとはいえ、車で二時間ほどの距離だ。今から水族館を見て回って、家路につ着く。途中で夕食を食べて帰ったとしてもまだ極端に遅くなるような時間ではない。
「ほんと? いいの? ……明日仕事だったよね」
「うん。でも遅番だし全然大丈夫!」
もう少し一緒にいたいような……なんて男の人が喜びそうな言葉のひとつも言えればいいのだけど、日南子にそんなスキルが備わっているはずもなく、頭に思いついた無難な返事を返すところに女子力のなさが表れる。
「もうすぐ着くね」
観覧車はすでに頂上を過ぎ、遠く小さく見えていた窓の外の景色が、いつの間にか現実味のある大きさに近づいてくる。
「お疲れ様でしたー!」
スタッフの元気のいい声と共にゴンドラの扉が開き観覧車を降りると、先に降りた彼が振り返って日南子に手を差し伸べた。今度は照れくささを誤魔化す言葉も必要なく、自然に彼の手を握り返した。
「足下、段気をつけて」
「うん。ありがとう」
「なんか、喉渇かない?」
「あ。私も思ってた。ちょっと休憩して何か飲もう」
「いいね」
なんだか心地よい。彼のさりげない気遣いも、優しい言葉も。
この人を好きになれたら幸せだろうな。そんなことを思いながら、彼の手を握る手にほんの少し力を込めた。
*
閉館時間まで一時間を切った水族館の中は、昼間の混雑が嘘のように人気もまばらだった。薄暗い通路を抜け、大きな水槽の前でどちらからともなく立ち止まる。
「……キレイ」
大きな水槽の中を悠々と泳ぐ魚たちを眺めながら呟くと、山吹もそれに同意するかのように頷いた。
「山吹くん、魚詳しい?」
「いや。そんなには。青野さんは?」
「私もあんまり。でも、こういうのずっと眺めてても飽きないよね」
水槽の中をユラユラと泳ぐ色とりどりの魚たち。時折、日南子たちの目の前ギリギリまで近寄って来ては、サッと身を翻してどこか遠くへ泳いでいく。
「なんかさ、こんな綺麗なのに思わず美味しそう……って言いそうになる自分が嫌んなるな」
山吹が自嘲気味に、と笑いながら言った。
「あー、でも分かるかも。私も深海コーナーのタカアシガニとか見たら絶対美味しそうって言っちゃう!」
「ははっ。蟹かー。確かにアレは言っちゃうな」
周りに人がいないのをいいことに好き放題言ってる空気の読めない客に魚たちも水槽の向こうで呆れているだろう。
館内の冷房が強いのか、次第に冷気に触れている腕が冷えて来た。何気なく腕をさすると、それに気づいた山吹が腰に巻きつけていた彼の薄い長袖シャツを日南子の肩に掛けてくれた。
「ちょっと大きいけど、寒いのは凌げるだろ?」
「……ありがとう」
シャツからほんのりと山吹の匂いがする。こうして異性の匂いを身近に感じるのはこれで二度目だ。以前、巽の家に泊めてもらったことがあった。あのときも、借りたベッドからほんのりと巽の匂いがした。
そんなことを思い出しているうちに、いつの間にか山吹の身体が日南子の真後ろにあった。水槽前の手摺りに山吹が両手で掴まり、その間に日南子がすっぽりと入り込んでいるような体勢だ。
──近い。
触れ合っているわけではないが、すぐ近くにある山吹の身体から発せられる熱が空気を介し、伝わって来るほどの近さに心臓がドキドキとする。
「……あ、のっ、」
少し身体をこわばらせると、ちょうど頭の上のあたりから山吹のゴクリという喉の音が聞こえた。
「──あのさ、青野さん」
「は、はいっ!?」
声が裏返った。これじゃこのシチュエーションを思いっきり意識してます、と言っているようなものだ。
「俺、いま、青野さんと付き合いたいって思ってる……」
少し緊張気味の山吹の声が静まり返った館内に響いた。
「べつに、返事は急がないし、ゆっくり考えてくれていいんだけど……何度か会って一緒に過ごすうちに、なんかいいなって気持ちが大きくなってくんの自分で感じてて。いま、こんな近くにいる青野さん見てたら、そういうのもっと大きくなってんの自覚した。──だから、考えてみてくれない? 俺とのこと、真面目に」
ほんの少しだけ彼の声が震えているように聞こえた。
これは、ある種の告白と思っていいのだろうか。少なくとも彼は、日南子との関係をこれからも続けていきたいと思っている。これは、その意志表示?
彼の言葉に胸が高鳴るのを感じた。その言葉を少なくとも日南子は嬉しいと思っている。
「……ホントはもうちょっと待とうと思ってたんだけど、なんか待てなくなっちゃって急にごめん。俺のほうは、そういう気持ちでいるよってことだけでも先に伝えておきたくなっちゃってさ」
そう言った山吹が、一歩後ろに後ずさって日南子から離れた。日南子は山吹の身体が離れるのとほぼ同時に彼を振り返る。ユラユラとゆれる水槽の光が、彼の顔を照らした。こんな薄暗い場所でも分かるほど、彼の表情が照れくささに歪んでいるのがわかる。
「ははっ、なんかめっちゃ恥ずい」
山吹が照れ隠しをするように笑った。その笑顔に日南子の胸がギュッとなった。
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