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第12話
しおりを挟む「あれ、わざとですか?」
エンジンを掛けた車の中、真也はハンドルを握ったまま助手席に座る赤松に訊ねた。車で“くろかわ”に寄った帰りは、通り道に住んでいる赤松を送るのが習慣となりつつある。
信号は赤。目の前の横断歩道を若いカップルが腕を組み楽しげに歩いて行く。
「……何が」
「黒川さんに、青野さんのこといろいろ言うの」
「まぁな。口うるさく言わねぇと、あいつ全部なかったことにしやがるからな」
「分かんないですね。いくら親友だって言っても、いい大人なんだしほっといてやればいいんじゃないすか?」
真也が言うと赤松が笑った。
「普通は、な。……前話したろ? 婚約者亡くしたことで、あいつ酷く自分責めててな。彼女の死はあいつのせいなんかじゃねぇのに」
薄暗い車内、ナビのパネルの光が赤松の顔を青白く照らす。
「忘れられないっていうのは、分かるんだよ。愛して……結婚目前まで行った女だし。けど、もうこの世にいない女を一生想い続けんのとかどうなんだって思うワケ。新しい恋とかさ、あいつはもういいや……なんて言うけど。過去引きずって生きてくより、ちゃんと前向いてこれからを歩いて欲しいって思うのは、間違ってるか?」
赤松の言葉には黒川に対する厚い思いが窺える。
確かに三十代後半といういわば男盛りで、亡くなった婚約者に縛られ、別の女性との幸せを諦めてしまうにはさすがに若すぎる。
「あいつ、無自覚なのかもしんねーけど、青ちゃんに会ってから少しずつ変わってきてんだよ。亜紀のことがあってから誰かと深く関わること避けて来たやつが、何だか知らねーけどあの子にはよく構うしな」
そこに恋愛的要素があるかどうかは置いておいて。
黒川の日南子に対する特別感は真也も薄々感じてはいる。日南子が黒川に対してこれまた恋愛的要素があるかどうかはさておき、好意を持っているのも伝わっては来る。
赤松からすれば、そこをどうにかいい方向に持って行けないか、という事なのだろう。
「ま。分からなくはないですけど……外野が口出す事でもないでしょうに」
「口出さねぇと、進まねぇんだよ、黒川の場合は」
そこまで赤松が黒川に対してヤキモキする理由が真也には分からない。
黒川は確かに恋愛ごとに長けている感じはしないが、店に来る女性客の扱いもスマートだし、そういうことに慣れていない感じはしない。
「ああ見えて奥手?」
背が高く、見た目も掛けている眼鏡のせいか一見インテリ風だが、服装や顎髭からはワイルドさも兼ね備えている。どちらかと言えば女性から見て魅力的に見える容姿であるし、そういう女たちを上手くあしらえそうな雰囲気すらある。
「や。奥手っつーか、とにかく鈍い!! 亜紀と付き合うようになるまでだってそりゃもういろいろ……」
そう言った赤松の顔に、昔を懐かしむような、それでいてあれこれ世話を焼き続けて来たであろう気苦労のようなものが見て取れた。この男のこういう感情の表れた表情も悪くないと思う。
普段は、余裕な大人の仮面を被っているくせに、それがふいに外れるときの。
「赤松さん。おせっかいなタイプなんすか?」
「まぁ。世話焼き体質なのは否めんが」
「はは。人の世話焼いてないで自分も頑張ったらどうすか? 今やあんたも独り身じゃないすか?」
「俺はいいの。しばらく一人を満喫するんだからよ」
「んなこと言ってる間に、あっという間に歳くいますよ」
「ほっとけや。けっこうモテんだぞ、俺」
「自分で言いますか」
「自分で言わなきゃ誰も言ってくんねーからな」
「ははっ!」
そうこうしているうちに、車は赤松のマンション前に到着した。
「灰原。おまえ、明日仕事?」
助手席のシートベルトを外しながら赤松が訊ねた。
「や。代休です。今日、ヘルプ出たんで」
「寄ってくか?」
赤松の問いに、真也は一瞬言葉に詰まる。赤松がその言葉に含んだ意味を考えて。
「……それは下心的なモンもあり、ってこと?」
咄嗟に口をついた言葉にしまったと思った。
敢えてあの夜の事には触れないで今日まで過ごして来たというのに。
「はは。おまえホント直球だな」
「……腹の探り合いとか、性に合わないんで」
「そーいうとこ、嫌いじゃねぇよ。ホント」
そう言って笑った赤松の、嫌いじゃない、という言葉にまた胸が波立つ。
「んじゃ。それも込みで朝まで付き合えよ。俺も明日休みだし」
それも、込みで。ということは、つまり──。
「……いいですよ」
「車。この間のトコな」
「はい」
こうして俺はまたこの男の部屋に向かう。
同じだ。たった一度も、二度目も。
あの夜から真也は目の前で何の気なく笑うこの男のことばかり考えているのだから。
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