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第11話

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 それからしばらくして真也が赤松に会ったのは、九月も半を過ぎた頃。セールでヘルプに駆り出された日曜の夜のことだった。
 部屋に帰って味気ないコンビニ飯をより“くろかわ”の温かな飯が食いたいと、ふらりと店に立ち寄った時のことだ。ラストオーダーギリギリの時間に赤松がひょっこりと店に顔を出した。
 日曜の夜ということで客の引きも早く、真也自身もそろそろ店を後にしようと考えていた矢先だった。カラカラ…と開いた格子戸の音に、黒川が眉を上げる。
「うす。飲むか? それとも飯?」
「飯は軽く食ってきた。ビールくれ」
「はいよ」
 赤松は何事もなかったように、カウンター席の真也の隣に座り、スーツのジャケットを脱いでそれを椅子の背もたれに引っ掛けた。
「久々だな」
「……そうすね」
 あの夜からほぼ一カ月ぶりだ。その間、一度も赤松からの連絡はなし。
 だからと言って真也が文句を言う筋合いはないのだが、それまでそこそこの頻度で飲みに誘われたり、誘ったりの関係が続いていただけに、避けられているのではとモヤモヤした気持ちを抱えたまま一カ月が過ぎていた。
「あれ、その格好。休日出勤だったのか?」
 仕事帰りのスーツ姿の真也を見て赤松が訊ねた。
「ええ。店のヘルプに駆り出されてて」
「そりゃ、お疲れ」
 黒川からビールを受け取った赤松が、そのグラスを真也のグラスにカツンと重ねてからニッと白い歯を見せ、旨そうに喉を鳴らしながらビールを飲むのを眺めた。
 何もかも今まで通り。あの夜の事など、まるで夢が幻だったかのようだ。
 もちろん、真也にとってもそのほうが好都合なのだが、赤松の眉ひとつ動かさないその平常通りの態度にほっとする反面、その徹底した大人対応に悔しいような気持ちが湧きあがる。
 所詮、赤松にとって真也とのことはその程度の行為だったのだろうか。
「そう言えば、この間言ってた例の仕事は落ちついたのか?」
 黒川がカウンター越しに赤松に訊ねた。
「ああ。まる三週間、横浜行きっぱなし。一昨日やっと帰って来たとこ」
「ははっ。相変わらず人使い荒い会社だな」
「だろ?」
「知ってるけどな」
 そう言った黒川が笑いながら時計を確認し、ラストオーダーの時間を過ぎたのを確認すると店の暖簾を降ろしに表に出て行った。
「しばらくコッチいなかったんすか?」
「ああ。灰原に言わんかったか?」
「いや。知らないです」
 そう答えた声に少し不機嫌さが表れてしまったことにしまったと思ったのだが、赤松はそれに気づいてはいない。
「なんだ……」
 赤松からの連絡が途絶えていたのは避けられていた訳ではないということにほっとした──が、それはほんの一瞬の事で。思いがけず湧き上がった気恥ずかしい感情を誤魔化すように真也はグラスの中身を一気に飲み干した。

「あ。そーいや、この間電話した時、おまえ風邪ひいてたんだろ? 平気だったか?」
 赤松が暖簾を下げ店じまいをした後にカウンターに戻ってきた黒川に訊ねた。
「や。あれから熱出た。つか、俺も一杯。……あ、灰原くんもグラス空だな。同じのでいい?」
 黒川がグラスを掴みサーバーからビールを注いでひとつを手元に置くと、もうひとつのグラスにノンアルコールビールを注ぎ真也に手渡す。黒川がグラスを軽く掲げ乾杯のジャスチャーをしたので、真也もそれに倣った。
「八度超えとか久々で。さすがにやべぇと思って夜は店閉めたわ」
「マジか。夜一人で平気だったのかよ?」
「や。それが……偶然、青ちゃんが来てくれていろいろ世話になって」
 そう気恥ずかしそうに答えた黒川に、赤松がその表情を変えた。この手の話は赤松にとって黒川の恰好のからかいネタだ。途端に表情が輝くのを真也も知っている。
「青ちゃんが? 来てくれたのかよ? わざわざ」
「や。わざわざっつーんじゃなくて。仕事帰りに普通に店寄るつもりだったらしいんだけど、急に休業したから何事かと思ったんだろ。心配して電話くれて」
 話を聞きながら想像する。あの日南子が、わざわざ黒川の世話を焼くところを。
 性格はもともと控えめではあるが、彼女は何かに困っている人間を放っておけるタイプではない。偶然店に寄って、黒川の体調を知って、手助けをするくらいは何の気なくやってのけそうな気はする。
「薬とか買って来てくれて。ついでに、飯まで食わしてくれた」
 そうボソと言った黒川の言葉に、赤松がニヤと含み笑いをする。
「ふーん。あの青ちゃんがねぇ……黒川にしちゃ随分懐に入れてるんだな、彼女のこと」
「……何言ってんだ」
「おまえ、普通なら追い返すだろ。そういう状況でも女の子と二人きりになるっつーのは避けるだろ、いつもは」
「だから。あの時はかなり熱高くて──俺も相当フラフラしてたから青ちゃんも仕方なくっつうか……」
「青ちゃんのほうも、おまえには妙に懐いてるよな」
「──はぁ?」
「ひょっとしておまえに気ぃあったり?」
 赤松が茶化すように言うと、黒川が「……アホか」と呆れたように言葉を返した。
「や。わかんねぇぞ? どうでもいい男の看病とかしねぇんじゃねぇか、普通」
「だから。そういうんじゃねぇっての。ただ彼女の性格上、倒れた俺を放って帰れなかったっていうだけで」
「……そうかねぇ?」
 赤松が呆れたように黒川を見つめ、ふぅと小さく息を吐くと腕組みをする。それからチラと真也のほうを見た。
「灰原。おまえ、どう思う?」
 ふいに訊ねられて、真也は考えるようにカウンターに肘をついた。赤松がこの話をどういう方向に持っていきたいのかは大体想像がつく。あらかた黒川が最も苦手としそうな話題で、彼を窮地に追い込み面白可笑しく弄り倒したいのだろう。
「どう……って言われても」
 この店での二人のやり取りを見ていれば確かに黒川と日南子、二人の仲はいいようには見える。
 日南子に関しては、少し前に婚活パーティーとやらで知り合った男とは付き合うかどうかという微妙なところでダメになったというのは聞いているが、その後どうなっているかなど滅多に会う機会も無くなった真也が知る由もない。
「まぁ、俺が思うに。青野さんのキャラ的に、黒川さんに何らかの好意があんのは明白でしょうね」
 そう答えると、赤松がいい事言った! と言わんばかりに真也を指差した。
 好意があるように見えると言ってもそれが恋愛のそれと断言できるわけではないが。彼女はどうもそういう事に鈍い気がしてならない。
「ほらみろ! 青ちゃん可愛いし、あんな子に好かれたら悪い気しねぇだろ?」
「……だから。んな事あるわけねぇだろ。だいたいいくつ離れてると思ってんだ。気心知れた定食屋のオッサンっつーだけで、男としてすら見られてねぇっての」
「お? 何だよ? 裏を返せば男として見られたいっつーことか?」
「だから。違うっつってんだろ。……そういうのもう勘弁しろ」
 黒川が呆れたように言葉を吐いた。
「そういうの、って。この先ずっとひとりでいる気かよ?」
 赤松が不満げに訊ねた。
「別に悪かねぇだろ。この店さえありゃ、他に何もいらない。それにおまえだって独り身だろうが」
「一緒にすんな。俺はのっぴきならない事情があってだな──」
「俺も同じだって言ってんの」
「同じじゃねぇよ。……勝手に諦めてんじゃねぇ。あんな事があったからこそ、おまえは幸せんなるべきなんだよ」
 ドン、と赤松が拳でカウンターを叩いた音が真也の耳にやけに大きく響いて聞こえた。








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