上 下
7 / 21

第7話

しおりを挟む




 馴染みのタクシー会社に電話を掛け、タクシーが到着するまでの間、日南子を彼女のマンション近くの小さな交差点まで送る。
「ごめんねー、灰原くん。わざわざ送らせちゃって」
 日南子が少し前を歩きながら悪戯な表情で振り向いた。ふわと風に揺れる髪を無造作に抑える日南子の姿は真也より三つも年上なのにまるで少女のようだ。
「べつにいいですよ。たいした距離でもないですし」
「あはは! 口調はアレだけど……基本優しいよね、灰原くんは」
「普段は黒川さん送ってくれるんですか?」
「うん。ほら、この辺変な人出たりしてたでしょう? 巽さん、心配してくれて」
「でしょうね。青野さん一人だとなんか危なっかしいですもんね」
 何気なくそう言うと、日南子が心外だと言わんばかりの顔をした。
「え、なにそれ。酷いー!」
「ははっ」
 少なくとも日南子は男から見て守ってやりたくなるような存在である。
 身体も小さく、腕なんかは驚くほど細い。こんな華奢な女の子など男の手に掛かれば、どんなに抵抗しようとねじ伏せられてひとたまりもない。
「黒川さん厳ついし、一緒にいてくれれば安心でしょう」
「──うん!」
 隣を歩く日南子がほんのり頬を染め嬉しそうな顔をした。
 彼女のことを普通に可愛いな、とは思う。けれどそれは、やはり恋とか、そういった感情とは似て非なるもの。

  *  *  *

「お疲れさまです。お先っす!」
「おー、お疲れー」
 仕事を終えて事務所を出ると、生温かい風がじっとりと肌に纏わりつく。たった今エアコンの利き過ぎた部屋から出て来たばかりだというのに、すでに背中に汗が滲む。
「くそ、暑いな」
 真也は事務所の裏手にある従業員用の駐車場に向かい、自身の車に乗り込むとエンジンを掛けてエアコンの風量を最大にして息を吐いた。
 それとほぼ同時にスーツのポケットがブルルと震える。
 そういえば夕方の会議の際にマナーモードにしたままだったなと思い出し、スマホを取り出して画面を見つめた。一瞬電話に出るのを躊躇ったのは、その着信の主が数カ月前に別れた元恋人の友和だったからだ。
「……今更何だよ、マジで」
 そう呟いて着信を無視した。
 結婚するから、と言って真也を振っておきながら、結果結婚しても関係を続けたいなどと未だ何度も連絡を寄越して来るその神経が理解できない。
 元々遊びのはずだった。適当な相手と適当に付き合って、ほんの束の間でも心の隙間を埋められるのなら相手は誰でも良かったはずだ。なのに付き合いが長くなるにつれて次第に期待が大きくなった。
 もしかしたら、このままこんなふうにして一生一緒にいられるのではないか、と。
「バカだな、俺」
 自嘲気味に溜息をつくと、再び手にしたスマホがブルルと震えた。どうせまた友和からだろうとうんざりした口調で電話に出て言った。
「しつこいんだよ! 俺らもう終わってんだろ? おまえ結婚するんだろ? 彼女大事にしてやれよ!」
 真也の口から出た言葉は決して強がりなどではない。男に生まれて、ごく普通に女を愛せるのなら、その“普通”を選んだほうが生きやすいに決まっている。 
『──は? なに言ってんの灰原。もうどっかで一杯ひっかけてんのか?』
 電話越しに聞こえて来たのは、友和の声ではなかった。
 ハハハ、と電話越しに聞こえる笑い声は柔らかに響く赤松のもの。
「……あ、赤松さん!?」
『誰と間違えてんだよー? 電話出る前に相手の確認くらいしろや』
「あ。……いや」
 一瞬しまった、と思った──が、
『おまえ、今日このあと予定は? 暇ならちょい飲まねぇか?』
 と言葉を続けた赤松は特に何かに気づいた様子もなく真也に訊ねた。こうして赤松に誘われることもこれで何度目になるだろう。
 自分が普通ではないと自覚した思春期以降、人と深く付き合うことを避けて来た。もちろん人付き合いが悪いという意味ではない。友達づきあいもそれなりにしてきたし、職場の人間関係だってそれなりに円滑に努めて来た。
 けれど、特定の人間と距離を詰めるようなことはして来なかった。それは真也自身にも踏み込まれたくない領域と言うものがあったからだ。
 なのに、この男の誘いは何故だか嫌だとは思わなかった。
「……いいっすけど。俺ガッツリ飲みたい気分なんですよね」
 ある意味その誘いに救われた。
 すでに別れた相手だとしても、友和からの連絡に心が揺れないわけじゃない。
 このまま一緒に居られたら……そう期待してしまう程度に相手のことを好きだったのは事実。別れを切り出された夜、翌朝目が腫れるほどに泣き明かしたのもまた事実。
『へぇ、珍しい。おまえでもそういうときあるんだな?』
「……そりゃあるでしょうよ。人間ですから」
『意外だわー。ソークール灰原』
 またも電話の向こうで、はははと笑う赤松に力が抜けた。歳の割に見た目はそこそこイケてる部類のオッサンではあるが、中身はやはり歳相応か。
「何ですかそれ……ダッサイあだ名勝手に付けんでくださいよ」
『ガッツリ飲みたいなら、かしこまった店とかアレだよなー?』
 赤松の頭の中はすでに今から飲みに出る場所探しのことでいっぱいのようだ。
「俺の抗議はシカトですか?」 
 一応訊ねてみるも赤松は電話の向こうでブツブツと知った店の名前を呟きながらあーでもないこうでもないと真也の話をまるで聞いてはいない。
『じゃあ。ウチ来るか?』
 赤松がまるで名案を思いついたかのように声を弾ませて言った。
「──は?」
『店で飲むといろいろ面倒くせぇじゃん。明日土曜だし休みだろ? どうせ』
「はぁ」
『おまえ、車通勤だったろ? 帰るの面倒ならそのまま泊まってけばいいしな』
「……まぁ、それでもいいですけど」
 なんてうっかり返事を返してしまったことに自分が一番驚いた。
 自分の性癖を知らない特定の誰かと距離を詰めることは今までずっと避けて来た。特に酒の絡む席では。
 自身をコントロールできなくなることは、すなわち一歩間違えればそれは人間関係の破綻を招く危険もある。






しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

平凡なSubの俺はスパダリDomに愛されて幸せです

おもち
BL
スパダリDom(いつもの)× 平凡Sub(いつもの) BDSM要素はほぼ無し。 甘やかすのが好きなDomが好きなので、安定にイチャイチャ溺愛しています。 順次スケベパートも追加していきます

初体験

nano ひにゃ
BL
23才性体験ゼロの好一朗が、友人のすすめで年上で優しい男と付き合い始める。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

隠れSubは大好きなDomに跪きたい

みー
BL
⚠️Dom/Subユニバース 一部オリジナル表現があります。 ハイランクDom×ハイランクSub

処理中です...