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その後のお話*第十三話
しおりを挟む「なぁ。こんなところにいつまでも座ってないで、早く部屋入れろよ」
そう言って筧が床に転がったままのバッグを手に取り、ゆっくりと立ち上がって君島にその手を差し出した。
「……なんすか」
「手ぇ貸してやるんだよ」
君島はその筧の手を掴んで立ち上がると、勝手知ったる様子で廊下を歩く筧のあとに続いた。
──なんだ、これ。恥ずいのに、嬉しい。
リビングに入るなり筧が「疲れたなぁー」と独り言のように呟いてスーツを脱ぎ、それを無造作にソファに置いた。それからゆっくりとネクタイを解き、シャツのボタンを外す。
「なぁ。風呂沸いてたりする?」
「ああ。入れてありますよ」
「んじゃ、俺も入って来ていいか? 着替え……」
「用意しときます」
この一年。表向きは気の利く部下としてこの男の下に就いてきた習慣が未だに抜けず、プライベートでも何かと筧の世話を焼いてしまう。
一人暮らしもそれなりに長く、もともと一通りの家事はこなせていた君島だったが、筧の喜ぶ顔が見たさに数をこなした結果、料理・洗濯・掃除などの家事スキルはここ一年ほどで驚くほどのレベルアップを遂げた。
筧のほうも一人暮らしが長く、家事は一通りできるため、君島が部屋に行けばそれなりに持て成してくれる。されてばかりもなんなので、こちらも負けじとそれを返す──そんなことを繰り返しているうちに、大概のことはこなせるようになった。
自分が誰かのためにここまで甲斐甲斐しくなるなど、以前は想像もできなかった。
「着替え。置いときましたんで」
「ああ。悪いな」
筧が風呂に入っている間に君島は彼の着替えを用意して洗面所の棚に置いた。
その時、脱ぎっぱなしで棚に引っ掛かっていた筧のシャツがふいに足元に落ちた。君島がそれを何気なく拾い上げた瞬間、彼のシャツの襟元に薄いピンク色の染みが目に入った。
「……なんっ、だっ、これ……っ」
襟元に付いている染みはどこからどう見ても女性ものの口紅の跡。
何もなかったとか安心させといて、実はしっかり何かあったんじゃねぇかよ!!
急にカッと頭に血が昇った君島は、手にしたシャツを力いっぱい握りしめたまま浴室のドアを乱暴に開けた。
「──な、なんだよっ、急に?」
いきなりドアを開けられた筧が、シャワーを浴びた状態のまま君島を凝視して固まった。
「これっ! 何なんすか?」
「は?」
君島が握りしめたままのバッとシャツを筧の目の前に突き出すと、眼鏡を外して視力に不自由な状態の筧が必死に目を凝らした。
「シャツの襟んトコ、口紅ついてんすけど!!」
「はぁ? 知らねぇし」
「しらばっくれないでくださいよ。ここに、ホレ」
君島が鬼の首でも取った勢いで詰め寄ると、筧がげんなりとした顔をする。
「……だから知らねぇって。つか、あっち行け、おまえそこにいると濡れるぞ」
筧がキュ、とシャワーのコックを捻りお湯を止め、君島をそこから追い払うようにシッシッと手を振ったが、引き下がることをしない自分に対し、筧が呆れたように息を吐く。
「そんなの営業先でエレベーター乗った時にでも誰かとぶつかったんだろうよ。何でそんな細かいこと気にすんだよ。君島、おまえ最近面倒臭いことになってるぞ」
筧に言われて益々カッとする。
──面倒くさいって何だよ!
仮に、そうだとしても。筧の言ったそれが事実なのだとしても。腹が立つんだよ、なんて言ったらさすがにウザがられるだろうか。
けど、文句ぐらい言ってやりたい。楽しみにしていた約束を反故にされて、散々不安な気持ちにさせられて。
挙句、シャツに女の口紅とか!
誰かが少しでも筧に近づいたって事実だけで無性に腹が立つ。
こんなにも腹が立って我慢がならない理由を俺はちゃんと分かっている。
君島自身がずっと我慢してきたこと。一秒でも早く筧に触れたくて、抱きたくて……すでに限界を迎えているからだ。
風呂ぐらいゆっくり入らせてやろうかと思っていたが、やめにした。
「筧さん」
「おい。濡れるから」
「もうちょっと無理」
「はぁっ⁉」
筧の制止を無視すると、君島は浴室に足を踏み入れて真っ裸で立つ筧の身体を強引に壁に押し付けた。
「ちょ、おい、待て。君島! ……痛てっ、な」
「すいません。もう、ちょっと待てないっつうか」
筧を浴室の壁に押し付け、彼の濡れた首筋に嚙みついた。たった今洗い流したばかりであろうボディソープの香りが鼻を掠め、そのまま何度か噛みついて濡れた肌を舌で味わう。
「──ちょ、おい!」
抵抗を見せる筧の顔を無理やりこちらに向かせ、噛みつくように唇を重ね、舌を差し入れてその口内を舐めまわす。卑猥な水音が湯気の籠った浴室に響いて聞こえた。
「……はぁ、っ、」
小さな吐息を漏らし、それに煽られるように唇を貪ると筧の声色にも色欲が滲む。こんな艶っぽい声を上げる男が、以前は他の男を抱く側だったとは。
元々、ネコ側の素質もあったのだろう。
最初の頃はそれこそ酷い抵抗を受けた。それまで抱く側だった男が、逆の立場に立たされる戸惑いも分からなくはなかったが、君島のほうも譲る気はなかった。
──この男を、啼かせたい。自分の手でトロトロにしてやりたい。
君島が後ろから親指の腹で筧の胸に触れると、筧の身体がピクと反応する。元々触れられることに対しては敏感なほうではあったが、君島が指先で少し弄っただけで指の先に小さな突起の立ち上がりが触れる。
「ちょ、ま、……きみ、じ、ま……」
待て、と言われて素直に待つやつがいるかっての!
目の前に全裸の恋人。しかも、こんな反応みせられたら、なけなしの理性などどこかへ吹き飛んでしまう。
それなりに鍛えられた身体。細身ではあるが、必要なところにその身体に見合った筋肉が付いた理想的な体形。普段の露出とは無縁の堅いスーツ姿の下にこんな美しいな身体が隠れていることなど想像もできない。
「待ちませんよ。お仕置きですから、俺との約束蹴った」
「──それは、……っ、」
「言い訳なんか聞きませんから。アンタ帰ってきたら、滅茶苦茶抱こうって決めてたんすから」
俺の愛と執着心、それから止まらない欲望を舐めてもらっては困る。
「筧さん、ケツこっち向けてよ。すぐ中入りたい」
「……おまえ、待てって言葉知らねぇの、マジで」
「俺の辞書には載ってないすね」
「んなわけあるか……、あっ、……ん」
君島が筧の下肢に指を滑らせると、普段低く落ち着いたトーンの筧の声が跳ね上がる。この瞬間が堪らないのだ。
「筧さんのココも、すでにグズグズで俺の欲しがってるふうですけどね」
筧の耳元にわざと息を吹きかけるように囁くと、筧の腰が小さく揺れる。
最初の頃は君島が指先を沈ませるだけで激しい抵抗を見せていた筧のソコが、今では自分の指をいとも簡単に受け入れ締め付ける。
「……お…まえがっ、弄りまわすからだろ……、っあ」
「弄りまわすに決まってんじゃないすか。筧さんの喘ぎ声堪んないし、何より今すぐアンタん中入りたいんですから」
「わ、分かったから……! せめて、風呂出てから……」
「そんな余裕あんの? 前もこんなんしてんのに?」
「……ぅ、あ! ……触んなっ、……っ」
「……つか、俺が無理」
浴室に響くのは止めたシャワーから滴る、小さな水音と、漏れる筧の吐息。
「ああ、もう……マジその声堪んねぇ」
──余裕がないのは、俺の方だ。
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