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その後のお話*第十話

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◆こちらの作品は
本編「──だから、なんでそうなんだっ!」のその後のお話となります。



 取引先から社に戻って一息ついたあと、君島が残務処理をしていると電話が鳴った。
 終業時間まではあと十分ほど。終業のまでのカウントダウンをつい心の中でしてしまうのは、恋人と久しぶりに取り付けた約束に気もちが逸っているせいなのか。
 その恋人は、いま君島の目の前で真面目な表情を崩すことなくパソコンに視線を集中させている。
「筧さーん! 二番に西東さいとう工業さんからお電話です」
「ああ。ありがとう」
 君島の正面のデスクに座る筧 賢太郎がそう返事をして、画面から視線を外すことなく受話器に手を伸ばした。
 短めの黒髪にスクエア型の眼鏡、品のいいスーツを堅苦しいくらいキチッと着こなしているこの男は、君島の直属の上司だ。
 西東工業は筧が担当している大口の取引先。
 取引先としては何の問題もないのだが、社長の西東が筧を特別気に入っている。そのおかげで取引先として対等かつ円滑な関係が築けているという点ではありがたいことなのだが、西東が過去何度か筧に愛娘との見合いを進めてきているのを知っている手前、面倒な用件でなければいいなと思いながら君島は筧と取引先の会話にひっそりと耳を澄ます。
「──ええ、はい。──え、は? 今からですか……!?」
 無難に相槌を打って会話を繋げていたと思われる筧の声が急に高くなった。
「……」
 嫌な予感がする。
 今から、とか何の用だ。しかも終業時間間際のこの時間を狙った電話、仕事以外の面倒ごとの予感しかしない。
 君島は誰にも気づかれないよう小さく舌打ちをし、さらに注意深く目の前の筧の様子を窺った。
「──いや、何度もお話はありがたいんですが。え、いや、そうではないんですが……何と言うか」
 あーあ。なんか、押されてるし。
 君島には先方の用件がなんとなくだが、想像がついた。どちらかといえば、勘は鈍いほうではない。
 仕事の用件であるならば、筧がこのような歯切れの悪い返事を返すとは思えない。
 相変わらず先方が一方的に話をしているようで、筧は受話器を握りしめたまま「いや…、はぁ、まぁ」とか相槌を打ちながら眉を下げ、明らかに困った顔をしている。
「分かりました。……じゃあ、今夜一度きりということで。七時に」
 返事をした筧と目が合った。──が、筧が視線を逸らせたことから、この後、筧と取り付けていた久しぶりの約束が反故になったことを悟ったのだった。
 受話器を置いた筧が、大きく溜め息をついた。それからこちらを見て困ったような顔をする。
 いつの間にか定時を過ぎ、さっきまでフロアで仕事をしていた大勢の社員たちがいつの間にか半分以下の人数に減っていた。
「君島、悪い──今夜の」
「何すか? 急な接待ですか?」
 君島が少し棘を含むように強い口調で言うと、筧が気まずそうな申し訳なさそうな顔で頭を掻いた。
「いや。……まぁ、それに近いっちゃー近いんだが。西東社長にごり押しされてな……」
「例の見合い? 娘紹介するってやつ、受けたんですか?」
「見合いじゃねぇよ。一回会うだけ会ってくれって……だけだ。どうしても、ってあの社長に言われたらさすがに断れないだろ」
「何言ってるんですか。一度会ったら余計断りづらくなるんじゃないすか?」
「や。それは俺も思ったんだけどな──先方のお嬢さんも今夜わざわざ都合つけてくれたらしいしな」
「アンタ、バカだろ」
 仮にも自分の上司に向かってこんな失礼極まりない言葉を吐いてしまうのは、この男が君島の上司であると同時に、恋人でもあるからだ。
 あの手この手で必死に口説き落とし、なんとか恋人というポジションを確保したあれから一年。
 社内の人間には二人の関係は今では周知の事実ではあるが、社外の人間がそれを知るはずもなく。結婚適齢期に差し掛かる仕事のできるいい男が独り者だと知れば、そりゃあ、愛娘の相手にと考える取引先社長の気持ちも分からなくもない──が、そこはどんな嘘を吐こうとも断って欲しかったと思うのは我儘か?
「俺だって、断れるもんなら断りてぇよ。気が進むわけねぇだろ、取引先の社長の愛娘との見合いなんて」
「断りづらいってのは、分からなくはないですけど」
 君島自身もサラリーマンの端くれだ。その辺りの複雑かつややこしい事情が分からないほど子供でもない。
 ──が!! が、しかしだっ!
「別に恋人がいるとか、上手いこと言えば断れたかもしれないじゃないすか」
「──それは」
 筧が言葉に詰まった。
 結局そういうことか。ほぼ無理矢理に近い形でこの男を口説き落とし、ゲイバレを頑なに拒んでいた筧の隠れ蓑を剥がし、筧がそれを受け入れてくれたことでどうにか社内で公認となった自分たちの関係も、一歩社外に出てしまえば何の意味もなさない。
 元々、“普通”に生きていきたいと言っていた筧にとって、ゲイであること自体は認めてはいても、それを公言する気はないということだ。
 同じゲイであっても、それを公言する、しない、セクシャリティーに関する向き合い方は人それぞれだ。
 君島に筧の生き方を責める権利はない。

「さすがに言えないだろ、おまえとのことは」
「分かってますよ。分かってますけど──」
 昨今、生まれながらの性別の囚われない性別の在り方が見直され、LGBTなどという言葉も一般的になってセクシャルマイノリティーの主張や権利を認める動きが活発化してはいるが、現実は──だ。
 まだまだ世知辛い世の中。
 同性同士のそれを認めてくれるような心の広い人間が、果たしてこの世界中にどれだけいるのだろうか。世間は依然厳しい。自分たちのようなセクシャルマイノリティーに。
 君島自身も、自分がそうであると自覚して、それを隠すことなく公表するようになってから世知辛い経験をいくつもしてきた。
 ゲイだというだけで、理不尽な差別を受けたことも数えきれないほどあった。
 学生時代ですらそうであったというのに、様々な年代の人間が混在する未だ閉鎖的なサラリーマン社会。そういったことを受け入れられない人間の方が多いこの社会で、ゲイであることを公言することはある意味人間関係の破たんを招くこともある。
 だからこそ理解はできる。筧が、それを隠して生きたがる理由も。
「言えねぇ、っていうより、あの人だからな……」
「それも何となく分かりますよ。筧さん、あのオッサンにはいろいろ世話になったんでしょう?」
「……まぁな。とりあえず食事だけだっていうし」
 君島も筧とともに何度も西東社長に会ったことがあるが、彼はどちらかといえば人間的魅力に溢れた人だ。
 新人の頃から先方の担当をしてきた筧にとって、西東社長との長きに渡る付き合いで培った信頼や義理が存在するのも分かる。
 そういった事情について君島も筧本人から何度か聞かされていた。それを分かっているからこそ、先方を無下にできない筧の気持ちもよく分かる。
 そこが隠しきれない筧の人の好さ。クールな見た目に反して情に厚い。そんなところも君島が筧に惹かれた理由の一つだ。

「飯食ったらさっさと帰って来てくださいよ?」
「ああ。分かってる」
「言いにくいとは思いますが、社長が無理なら、娘のほうにはきっぱり断ってください」
「そのつもりだよ」
「あと──」
「……何だよ? まだあんのか?」
「帰り、俺ん家泊まってください。金曜だし、元々その予定だったし問題ないですよね? つーか、俺との先約反故にしたの怒ってんですよ。拒否権は与えませんよ」
 君島が言うと、筧が君島をじっと見つめてからふっとその表情を緩ませた。
 目尻に寄る皺、優し気な瞳。筧がそれの気づいているかどうかは分からないが、君島は筧のこの表情にとてつもなく弱い。
「約束破ったのは悪いと思ってる」
「それだけじゃないですけどね」
 君島がまるで子供のように不機嫌な表情を隠しもせずに言うと、筧が「嫉妬か?」とからかうように笑った。
「そうですよ。俺、こう見えて独占欲の塊なんで」
 平気な振りでもすればいいのだろうが、本人を目の前にあっさり嫉妬だと認めてしまうのは、いわゆる惚れた弱み。ポーカーフェイスは得意だったはずなのに、いつの間にか筧の前ではそれが出来なくなってしまっていた。
「はは。そうだったな」
 そう言って白い歯を見せた筧の表情がまた妙に男らしく映るのがまた憎らしい。
 ──くっそ、ムカつく! 
 どうして自分だけがいつもこんな思いをしなきゃならないんだ!









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