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四獣
孤独な神様 肆
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ジイルはいつものように御簾の奥に座って、ただぼんやりと過ごしていた。すると、社の外から人が争うような声が聞こえてくる。それは段々と近づいており、こちらに向かってきているのがわかった。今までにないことであり、ジイルは思わず腰を浮かせた。
社の扉が激しく音を立てて開き、
「私の息子を返せ!」
と同時に男の怒号が飛び込んできた。ジイルの世話役が押さえ込もうとするが、はねつけられ、重たい足音が近づいてきた。
ジイルは重い装束に足を取られそうになりながら立ち上がる。その間にも誰かのうめき声や何かがぶつかったような鈍い音がするため、世話役の者たちが伸されているのを御簾越しでも十分把握できた。
そしてついに、御簾は引きちぎられる。ジイルは男と目があった。御簾がない状態で、世話役以外の者と顔を合わせるのはもう何年も前のことだった。今では父親ですら御簾を下ろして話す始末だったのだ。
男の表情は怒り、悲しみ、憎しみ、絶望、そう言った負の感情が渦巻き、まるで魔物のようだった。人がそこまで変貌することにジイルは驚愕した。
「お前、蘇りの力を持っていると嘯いたな?確かに息子はお前の力で動くようになった。でも、あれは息子ではない!一体何をしたんだ!?」
男はジイルの胸倉を掴み、詰った。ジイルは人の激情に触れたことが今まで無く、体は硬直する。それと同時に、ジイルが感じてきた事を理解した者がいる事を嬉しく思った。
(でも僕がその事実を知っていたと分かったら、余計に刺激するだろうな)
男は殺意に溢れており、ジイルは今、下手な動きをすると己の身が危ないと察していた。
「そうだ、僕はそんな神のような力は持っていない。軽はずみに中途半端な力を使い、皆が期待し、祀りあげた人間でしかない。」
「こいつ…!」
男の顔が真っ赤に染まるのを見て、ジイルは床を足で踏み鳴らした。ジイルの足元から何かが芽吹き、それはみるみるうちに大樹へと育っていく。男は慌ててジイルから離れた。
大樹は凄まじい勢いで育っていき、社の天井を突き破った。次第に年輪も重ねていき、幹は太くなる。社が耐えきれず、崩壊を始めた頃、ジイルは飛び出した。
外の世界は秋に差し掛かっており、涼やかな風が頬を撫でる。実り始めた稲穂が擦れて、さらさらと音を立てていた。
田畑には大勢の村人が出ていたが、装束姿の少年が駆けていくのを、誰一人気に留める様子がなかった。
ただ黙々と作業を続け、村人同士で声を掛け合う様子もなかった。
(僕が生き返らせた人たちだ…!)
その数はあまりに多く、ジイルは死者の顔を全く覚えていなかった。しかし、その異様な雰囲気で瞬時に理解した。
ジイルにとって、蘇りの力は大切な人を拠り所として生きるために使っていた。ジイルが母を蘇らせたのも、母を失いたくないという思いからだ。
先程、社に入ってきた男は息子を返せと怒りを露わにしていた。おそらくあの頃のジイルと同じ気持ちだったのだろう。
しかし、いつの間にか村人たちはそういった気持ちを忘れかけているのかもしれない。死者を蘇らせて労働力としているなど、ジイルは夢にも思っていなかった。人々の変わりように激しく落胆し、母を蘇らせて父や村人の様子が変わってしまったあの日のことを思い出す。
(もう、働かなくていいんだ)
ジイルは心の中で、働き続ける死者たちに呼びかけたが、反応を見せる者は誰もいない。ただ黙々と農作業を続けている。
(この人たちにもう一度眠ってもらおうか…?)
ジイルには行動に移す勇気がなかった。もはや魂は宿っておらず、人形のような存在ではあったが、何故か命を奪う行為のように思えた。
躊躇ったその一瞬、気を取られていたようだ。背後から
「待て、逃げるんじゃない…!!」
と社に侵入した男が迫ってきていた。騒ぎを聞きつけたであろう他の村人も、遅れて走って来るのが見える。
(便利な人間だから、僕がいなくなると困るんだ…)
男も村人もそれぞれ目的は違えど、ジイルを手放してはいけないと必死だった。
ジイルは再び走り出した。撹乱するために次々と植物を生やしていく。それは轍のように道に跡を残した。
蔦がジイルの足に激しくぶつかり、痛みが走る。身につけていた装束は衝撃で破れ、植物の汁で汚れていた。
「追え…!追うんだ…!」
気がつくと村人だけでなく、指示されたであろう蘇った人々もジイルを追いかけていた。彼らには恐れと言った感情や、考える力はない。ジイルが出した植物達に巻き込まれ、転んだり傷つく者も多数いた。
(僕は…こんな風に傷ついて、奴隷のように生きるために蘇って欲しくない)
ジイルはそこで腹を括った。
ジイルを追う足音の数が減り、その代わりに村人の怒号や悲鳴が響く。
「おい!どうしたんだ…!」
「急に動かなくなったぞ…!」
ジイルは己が今まで積み上げてきた愚行を酷く後悔した。己の寂しさ故に母を蘇らせ、村人のためになるならと他の人々の命を軽々しく扱った。そして、こうして再び大勢の蘇った人々はジイルの手によって動かなくなってしまったのだ。
社の扉が激しく音を立てて開き、
「私の息子を返せ!」
と同時に男の怒号が飛び込んできた。ジイルの世話役が押さえ込もうとするが、はねつけられ、重たい足音が近づいてきた。
ジイルは重い装束に足を取られそうになりながら立ち上がる。その間にも誰かのうめき声や何かがぶつかったような鈍い音がするため、世話役の者たちが伸されているのを御簾越しでも十分把握できた。
そしてついに、御簾は引きちぎられる。ジイルは男と目があった。御簾がない状態で、世話役以外の者と顔を合わせるのはもう何年も前のことだった。今では父親ですら御簾を下ろして話す始末だったのだ。
男の表情は怒り、悲しみ、憎しみ、絶望、そう言った負の感情が渦巻き、まるで魔物のようだった。人がそこまで変貌することにジイルは驚愕した。
「お前、蘇りの力を持っていると嘯いたな?確かに息子はお前の力で動くようになった。でも、あれは息子ではない!一体何をしたんだ!?」
男はジイルの胸倉を掴み、詰った。ジイルは人の激情に触れたことが今まで無く、体は硬直する。それと同時に、ジイルが感じてきた事を理解した者がいる事を嬉しく思った。
(でも僕がその事実を知っていたと分かったら、余計に刺激するだろうな)
男は殺意に溢れており、ジイルは今、下手な動きをすると己の身が危ないと察していた。
「そうだ、僕はそんな神のような力は持っていない。軽はずみに中途半端な力を使い、皆が期待し、祀りあげた人間でしかない。」
「こいつ…!」
男の顔が真っ赤に染まるのを見て、ジイルは床を足で踏み鳴らした。ジイルの足元から何かが芽吹き、それはみるみるうちに大樹へと育っていく。男は慌ててジイルから離れた。
大樹は凄まじい勢いで育っていき、社の天井を突き破った。次第に年輪も重ねていき、幹は太くなる。社が耐えきれず、崩壊を始めた頃、ジイルは飛び出した。
外の世界は秋に差し掛かっており、涼やかな風が頬を撫でる。実り始めた稲穂が擦れて、さらさらと音を立てていた。
田畑には大勢の村人が出ていたが、装束姿の少年が駆けていくのを、誰一人気に留める様子がなかった。
ただ黙々と作業を続け、村人同士で声を掛け合う様子もなかった。
(僕が生き返らせた人たちだ…!)
その数はあまりに多く、ジイルは死者の顔を全く覚えていなかった。しかし、その異様な雰囲気で瞬時に理解した。
ジイルにとって、蘇りの力は大切な人を拠り所として生きるために使っていた。ジイルが母を蘇らせたのも、母を失いたくないという思いからだ。
先程、社に入ってきた男は息子を返せと怒りを露わにしていた。おそらくあの頃のジイルと同じ気持ちだったのだろう。
しかし、いつの間にか村人たちはそういった気持ちを忘れかけているのかもしれない。死者を蘇らせて労働力としているなど、ジイルは夢にも思っていなかった。人々の変わりように激しく落胆し、母を蘇らせて父や村人の様子が変わってしまったあの日のことを思い出す。
(もう、働かなくていいんだ)
ジイルは心の中で、働き続ける死者たちに呼びかけたが、反応を見せる者は誰もいない。ただ黙々と農作業を続けている。
(この人たちにもう一度眠ってもらおうか…?)
ジイルには行動に移す勇気がなかった。もはや魂は宿っておらず、人形のような存在ではあったが、何故か命を奪う行為のように思えた。
躊躇ったその一瞬、気を取られていたようだ。背後から
「待て、逃げるんじゃない…!!」
と社に侵入した男が迫ってきていた。騒ぎを聞きつけたであろう他の村人も、遅れて走って来るのが見える。
(便利な人間だから、僕がいなくなると困るんだ…)
男も村人もそれぞれ目的は違えど、ジイルを手放してはいけないと必死だった。
ジイルは再び走り出した。撹乱するために次々と植物を生やしていく。それは轍のように道に跡を残した。
蔦がジイルの足に激しくぶつかり、痛みが走る。身につけていた装束は衝撃で破れ、植物の汁で汚れていた。
「追え…!追うんだ…!」
気がつくと村人だけでなく、指示されたであろう蘇った人々もジイルを追いかけていた。彼らには恐れと言った感情や、考える力はない。ジイルが出した植物達に巻き込まれ、転んだり傷つく者も多数いた。
(僕は…こんな風に傷ついて、奴隷のように生きるために蘇って欲しくない)
ジイルはそこで腹を括った。
ジイルを追う足音の数が減り、その代わりに村人の怒号や悲鳴が響く。
「おい!どうしたんだ…!」
「急に動かなくなったぞ…!」
ジイルは己が今まで積み上げてきた愚行を酷く後悔した。己の寂しさ故に母を蘇らせ、村人のためになるならと他の人々の命を軽々しく扱った。そして、こうして再び大勢の蘇った人々はジイルの手によって動かなくなってしまったのだ。
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