華の剣士

小夜時雨

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失われていたもの

混乱

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(ここは…。どこだったっけ)

 ハヨンは目覚めてからぼうっと目の前に広がる天井を眺めていた。長い間寝ていたのか、頭がうまく働かない。しかし、自分が何か大切なことを忘れているというのは感じていた。
 関節が軋み、皮膚はずきずきと痛む。重たい体を何とか動かし、起き上がろうとする。すると背中に鈍い痛みが走り、思わず息が詰まった。腕と腹に力を込め、痛みを逃すように上体を起こしていった。そして、周囲を見渡して体を強張らせる。

「…リョン!?」

 思わずそう叫んだが、声は掠れ、弱々しい。何日も声を発していないからだろう。この時、ようやく自分が孟の城に帰ってきていたことに気がついた。リョンはというと、腕を組んでうたた寝をしていたが、ハヨンの声に気づき目を覚ました。

「ハヨン…!!目が覚めたんだな」

 彼の喜色に染まる顔を見て、ハヨンはああ、戦は無事に終わったのかと安堵した。しかし、その一方で戦に関する記憶が殆ど抜け落ちており、不安も広がった。

「ごめん、私途中で倒たみたいで、戦で最後まで戦えなかった…。」

 ハヨンは飛び飛びになっている戦での記憶を振り返りながらそう謝る。兵士を庇い、背に火矢を受けたところまでは何となく覚えているのだが、それ以降の記憶が全くないのだ。リョンの部下として戦うと違ったにも関わらず、ただおろおろとしていた自分が情けない。新人とはいえ、白虎隊の剣士の一人だと自負してきただけに恥ずかしかった。

「…。戦であったこと、覚えていないのか?」
「え?山が火矢のせいで火事になったところまでは覚えているけど…。」

 リョンヘが虚を突かれたようだった。

(一体何が…?)

「そのあと、ハヨンは敵側の進軍を止めに行ったんだ」

 そんなまさか、とハヨンは信じられなかった。山火事によって仲間たちは散り散りになっていた。そうでなくとも、あんな少数では敵陣を退却させるほどの力はない。こうやって己が帰還できていると言うことも奇跡のようなことだ。

「そんなはず…」
「いや、本当の話だ。それもハヨン単独で、だ。」

 ハヨンは目眩のような感覚がした。しかしぼんやりと霞がかかっていたような脳内も、ようやくすっきりと冴えてきて、火矢の攻撃を受けた後のことも、だんだんと思い出してきた。

「私は…私は、何…?」

 人間であるなら決して起こりえない記憶が混じっており、ハヨンの鼓動は早鐘を打っていた。空を飛び、火を纏い、操り、敵陣まで急降下する。これはまさに…

「鳥…??」

 いや、違う。鳥は火など吐いたりはしない。ハヨンはある一つの可能性にたどり着いたが、口に出す勇気がなかった。その事実はあまりにも大それており、口にすると後戻りができないような気がしたのだ。
 思わず己の顔や体を、手で確認するように撫で回すが、伝わってきたのは人肌の温もりであった。

「いいや、これを言ったらハヨンは驚くかもしれない。でも、その後のことも記憶が戻りかけているみたいだし、余計に混乱を招かないうちに言っておくよ。…。ハヨン、あんたが四獣の朱雀だ。」

 ハヨンは自分が見てきたことを走馬灯のように思い出しながら、リョンヘの言葉を受け止めた。

(私が…朱雀…?)

 四獣はこの国の王や神と同等の存在だ。そしてこの国の守り神だ。

(ありえない。それならば私はあの時…)

 混乱、焦り、後悔。ハヨンは思わず涙が溢れた。主人の前でこのような姿を見せてはいけない、と慌てて唇を噛んで堪えようとするが、抑えきれなかった。

「ハヨン…。自分が朱雀だというのは…受け入れ難いか?」

 リョンヘはひどく優しく、諭すような声で語りかける。椅子から立ち上がり、ハヨンの寝台のすぐそばにしゃがみ込んだ。涙を見せたくなかったため、俯いていたのだが、これではリョンヘには隠すことができない。ハヨンは咄嗟に手で顔を覆った。

「…ありえない。もし朱雀だったのなら、なぜリョンが城から閉め出されたとき、私は人の形でしか闘えなかった?どうして今回の戦で…敵の大将を倒せなかった…?私は四獣であれば守れたはずの命を取りこぼして、何一つ誰も救えていない。一人でも犠牲者を減らしたいのに増やしてばかりいる…。私は何もできなかった…」

 ハヨンはそう、嗚咽混じりに訴えた。己の至らなさ、そしてその能力があったにも関わらず、もっと早くに使えなかったことへの後悔が溢れた。傀儡のようになり、自らの意思にそぐわず焼死していく兵士たち。己の目の前で消えていく命に、なす術もなかった。
 戦は残酷だ。兵士の最期、そして兵士の家族の行く末を考えると、ハヨンや反逆者の行ったことは、とても重大なものだと改めて思い知る。
 しかしら思いを次々と吐露したが、戦をすると決めたリョンヘほど辛く感じている人物はいないのに、とハヨンは後悔する。 
 謝ろうと思った時、頬に、肩に、温もりが伝わる。思わず顔から手を離すと、リョンへの腕が、自身の肩に回っていた。

「チェヨンから聞いたんだが、四獣は己の力に気がついた時か、瀕死の状態にならないと覚醒しないらしい。…だから自分のことを責めなくていい。それにハヨンは敵を一人で退却させた。そのおかげで孟にいる仲間はみんな生きている。ありがとう。」

 その言葉を聴いて、ハヨンはますます涙が溢れた。どうしてこの人はこんなにも優しいのだろうか。
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