華の剣士

小夜時雨

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火蓋は切って落とされた

火の手が迫る

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 そろそろ、山頂に用意していた大岩も尽きる。そうなれば刀を交えて闘わざるを得なくなるだろう。今のところ歩兵部隊は刀しか携えておらず、弓による攻撃もなかったので、こちらの兵士たちは誰一人傷を負っていない。近距離戦になることを意識し始めたからか、皆の表情は固かった。
 岩も残り二つ。その時、相手側に動きがあった。歩兵隊達の動きが急に俊敏になる。ハヨンは思わず暗器を投げて応戦した。その暗器を歩兵は軽くかわす。ぞくっと寒気が走った。

「何か様子がおかしい!気をつけて!」

 何か、などと根拠のない言葉だが、目の前の兵士たちは明らかに徴収された民達の動きではない。一同は身構える。残りの岩を誰かが転がして応戦したが、人とは思えない跳躍力で乗り越えた。ハヨン達一同にどよめきが走る。

「これは歩兵隊達に温情をかけてるわけにはいかないわね…!」

 珍しくムニルの声には焦りが滲んでいた。隣で眩しい光が現れたかと思うと、たちまち萌えるような碧い竜が現れた。他の兵士たちは弓矢で敵兵を攻撃する。しかし、矢が2、3本刺さったところで敵兵は怯む気配がない。血が流れようとそのままハヨン達の元へと走ってくる。

「何だあれは!!」

 ハヨンよりも年上の兵士が、叫ぶ。ひっ、などと怖気付いた声を出したりしないあたり、流石である。

「わかりません!!おそらく、この兵士達は予想していた通り、敵の誰かに操られているんでしょう!」

 ハヨンはそう怒鳴りかえした。そうでもしないと、異様な空気に呑まれてしまう気がしたのだ。歩兵達の目には生気がなく、心ここに在らずといったふうだ。
 先程から龍になったムニルは口から勢いよく水を噴出させている。なかなか水圧があるようで、さすがの敵も吹き飛ばされる。以前は霧を出したし、尾で叩きつけるなどの攻撃は見たことがあったが、こんなこともできるのかとハヨンは驚いた。人よりも、獣よりも強いのは、これらとは違って自然を操れるからなのだろう。

「ムニルにばかりいい格好をさせるわけにはいかないね」

 自分たちも誇り高い武人だ。人とは異なる能力が使えないとしても、自分なりに精一杯戦わなければ、名折れである。
 ハヨンは刀を抜き払う。そして、仲間とともに歩兵たちに向かった。山頂から半ば飛び降りるような勢いで切りかかったので、全体重が敵兵の刀にのしかかった。しかし敵兵はハヨンたちに素早く応戦し、刀で受け止めた上に弾き返そうとするのだから、かなり手強い。ハヨンは反動を利用して後ろに飛んだ。
 ハヨンたちの方が山の山頂におり、攻撃的には圧倒的に有利なのだが、ここの山は斜面がきつく、足場が悪い。その上、季節柄枯葉も多く、気を抜けば足を取られかねない。
 ハヨンは再び暗器を2つ、相手の方へと飛ばす。敵はとっさに刀で弾いた。その隙を狙い、相手の肩から腹へと振り下ろした。ハヨンの剣筋に沿うようにして血が吹き出す。致命傷でないとはいえ、ハヨンは今まで敵を生け捕りにすることを主に担ってきたので、その光景を見て腹の底がひやりとした。
 しっかりしろ、と己を叱咤し、次々とやってくる敵兵を薙ぎ払う。徴兵された兵たちを出来るだけ犠牲にしたくないと思っていたが、もはやその余裕はなくなりつつあった。己の弱さにハヨンは悔恨の念が湧き起こる。

「はぁぁあああ!!」

 刃が人を簡単に屠っていく感触と、ないまぜになった感情が次々と移り変わる状態に心身ともについていかない。涙がこみ上げ、視界がぼやけたが、ぐっと堪えた。
 と、その時。ひゅんひゅんと張り詰めた糸が弾かれるような音がした。

「おい!上だ…!!」

  味方の兵士の声につられて上を見上げると、燃え盛る炎が見えた。

(え…!?火矢だ…!!)

 敵兵と鍔迫り合っていたハヨンは大きく後ろへと飛び退く。ちょうどハヨンの立っていたところに火矢が刺さり、枯葉を一瞬で燃え上がらせた。あちこちで同じように火の手が上がる。

(火矢が飛んできたからとは言っても、この広がり方はおかしい…)

 みるみるうちに辺りが火の海になる様子を見て、ハヨンは辺りを見渡した。すると、ハヨンたちから離れた所にいた敵兵たちが、袂から小瓶を取り出し、あたりに液体を撒き散らしている。液体の落ちたところはたちまち火が立ち上った。この状況から考えるに、油だ。敵の大将は彼等を捨て駒にするだけでは飽き足らず、引火させる道具として焼死させるつもりなのか。人間の命をあまりにも粗末に扱うため、ハヨンは吐き気がした。
 その間にも火矢は次々とこの山に降り注ぐ。もはや山の麓は火の海だった。山にいるリョンへ側の人間を確実に焼き殺そうとしているらしい。あいにくハヨンたちは山頂で待ち構えていたので圧倒的に不利だ。進軍は難しい。矢の形を見ると遠距離用のもので、ふもとの向こうにいる兵士たちは完全に高みの見物なのだとわかる。

(何てことなの…)

 ハヨンは始めはこの戦い方に対して抱いていた戸惑いが、次第に怒りに変わりつつあるのを自覚した。リョンへを追い出し、城を乗っ取った張本人は、人を人として扱わない。それは前からわかっていたのに、いざ目の前にしてみると衝撃は何倍も大きく、悲しみは何倍も深く、怒りでこの身を焼きそうなほどだった。

(いいように利用されて、罪のない人が次々に命を落としていく…)

 ハヨンは周囲を見渡す。まだ一人、黙々と油を撒いている歩兵がいる。その顔は虚で、瞳には何も映していなかった。しかし兵士の身につけているものが見えてハヨンははっとする。手作りのお守りだ。戦への勝利と無事を願う伝統的なもので、ハヨンも何度か目にしたことがある。だが記憶にあるものより随分と拙く、おそらくこの男の娘が作ったものだろう。
 その時、再び大量の火矢が飛んでくる。その矢の一つは、彼に向かって一直線を描いていた。ハヨンはとっさに彼を突き飛ばす。幼くして父を亡くしたハヨンは、思わず男の娘へと思いを重ねてしまったのだ。
 男は倒れ、油の入った小瓶は遠くへ飛ばされた。その瞬間、目の前が真っ暗になった。息が詰まる。背中を猛烈な痛みが襲う。ハヨンは火矢が刺さったのだと回らなくなっている頭でようやく察した。

「ハヨン!!」

 珍しく取り乱したムニルが自分の名を呼んでいるような気がして、ハヨンは薄れゆく意識の中でそっと笑った。
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