華の剣士

小夜時雨

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「ハヨンちゃん、我を忘れてたのね…。いつもみたいに敬語じゃないし、王子に愛称までつけて呼んでたじゃない…!」

 にやにやと笑っているムニルに指摘されて、ハヨンは青ざめた。そして、ムニルの声が興奮で大きくならないように身振り手振りで示す。少し離れたところにいる兵士達に聞こえはしないかと冷や冷やした。

(ああ…!私の馬鹿!リョンのことは私とリョンへ様との秘密だったのに…!)

 ハヨンはリョンヘの立場を危うくしないかと言うことと、自分のせいでリョンへと自分について何か勘繰られてしまうことが申し訳なかった。ちらりとリョンヘに目を向けると、リョンへは呆然としているようにも見えた。

(それに我を忘れるほど、リョンへ様を慕っていると思われることがなぜか恥ずかしい…!)

 いつもリョンへに忠誠を尽くす姿勢は見せているものの、自分が取り乱すほどだと言うのを知られるのは照れくさかった。むしろそれほど忠義心に篤いのだと誇れば良いのに、何故だろうとハヨンは首を傾げる。

「ああ、その事か。」

 リョンへはにかむような笑顔に変わった。

「私はどうも堅苦しいのが苦手でね。二人のとき、ハヨンにはそう呼んでもらっていたんだ。」

 リョンへはそう言ってリョンのことを誤魔化した。ハヨンはこれには少し意外だった。四獣であり、王と対等で、友人であるとこの国が始まった頃から決まっている相手であるムニルなら、真実を話すと思っていたのだ。

(リョンのことを話さないでいることに、私は何でこんなにも嬉しく思っているんだろう…。)

 ハヨンはいつの間にか強まっているリョンへへの独占欲に心当たりが無く、内心首をかしげた。その時、リョンへがハヨンの手に軽く触れる。はっとして彼と目線を合わせると、秘密だと口の動きで伝えてきた。
 ハヨンの頬に熱が帯びる。

(何でこんなに翻弄されているんだろう…)

 ハヨンは何となく答えがわかりかけてはいたが、それをあえて考えないようにする。

(私は…。彼の部下だ。忠誠を誓ったんだ。)

 今の自分では到底叶わぬ思いだと言うのを感じていた。

「堅苦しいのが嫌なら…。私達がいるときはその状態でいいわよね?」
「ああ、そうだな。ハヨン、これからはムニルといるときも普通に接してくれ。」
「…わかった。」

 どことなく慣れないような、それでいて懐かしい言葉遣いに、ハヨンはぎこちなさを感じていた。

(この気持ちをはっきりさせるのは、もっと私がリョンヘ様にとって頼れる人間になったら…。私が私をもっと自信を持てるようになったらにしよう。)

 ハヨンはそうして先程の動揺を抑えこむ。そして、リョンヘの方に向き直った。

「私達が戦っている間、白虎とはどうなったの?」
「ああ、白虎はとりあえず俺達に付いてくると言っていた…。ただ、居場所が無いからという口ぶりだったから、あまり本心ではないんだろうな」

 白虎はハヨン達のやり取りに入ってこず、所在なさげに立っていた。皆の視線が彼に集まったからか、彼は思わず肩を揺らす。
 馬に乗っていた老婆も降りて来て、白虎に近づいていった。


__________________

「お前が白虎かね。これは見事な白髪だねぇ…」

 小柄な老婆が白虎にに臆さず話しかけたのは、彼にとって衝撃だった。体を硬直させ、事態を飲み込もうと頭を巡らせていると、深く皺が刻まれた手が彼の手へと伸びていく。そして伝わって来たのは、太陽のような優しい温かさだった。

「力強い手だ…。あんたなら多くの人を救えるだろうよ」

 そう言って触って来る小さな手を、白虎は振り払うことができなかった。戸惑い、黙っているといつの間にかここ数日間、彼を追い続けた面々も側に集まって来ていた。

「初めまして…というべきだろうか。ずっとお前のことを探していた。会えて嬉しいよ」

 どことなく育ちの良さが窺える青年が白虎に手を差し出す。白虎はその手を握ることを、思わず躊躇った。己に触れると、誰かが傷つくということを反射的に考えてしまうのだ。しかし、白虎の腕は既に人間のものに戻り、鋭い爪を残している。そして、そこで気がついた。

(俺はこいつらを怪しいやつだと思っているからだ。)

 思わず彼は拳を握り込んだ。しかし、己は彼と共にここまで逃げてしまった。きっと戻っても、これまでのように疎まれるだけではなく、徹底的に痛めつけられそうな予感がする。それに比べればまだましだと白虎は腹を括った。

「…ああ、よろしく」

 白虎は覚悟を決めて、差しのべられた手を握る。驚くほど小さく頼りない声が出て、白虎は情けなくなった。しかし、あの櫓の崩壊後から、ずっと緊張し続けているのだ。心の臓は暴れて、背には冷や汗をかいていた。この状況で落ち着いて対応するなど到底できない。
 平穏にそして影で細々と生きようとしていた白虎には精神的にもかなり辛い出来事だった。面倒ごとには関わりたくなかったのに、この青年に危機が迫っていることを察知すると、勝手に体が動いてしまった。

(どうして…どうしてこうなっちまったんだよ)

 薄氷を踏むような思い出はあったが、人との関わりをできる限り絶ち、人に嫌われても心を動かさず、虚しさに気づかないようにして何とか日々を送っていた。これから己の身に何が起こるのか…。今まで限られた世界で、心を閉ざして生きてきた白虎には想像がつかず、恐ろしさばかりが湧き上がって来る。
 

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