華の剣士

小夜時雨

文字の大きさ
上 下
154 / 221
番外編 ムニル過去編

碧色の鬼灯

しおりを挟む
「ようこそお越しくださいました、ホン・ビョンジン様。ビョンジン様がお越しになることを心待ちにしておりました。」

 妓主は本日訪れた一番の上客に頭を下げる。この客はこの妓館に長年通い、妓館1番の売れっ子の一夜を買っていく。金払いも他の客と比べても格段に良く、彼が妓館を訪れた夜は、普段の妓館の一週間分の収入を得ることができる。
 ただ彼は身分を偽っているからわからないが、王城の官僚のようで、訪れる頻度は月に一、二度がやっとだ。そのため、ビョンジンが訪れる日は皆総出で出迎える。今夜も例外ではなく、この妓館で美女とされる妓女達がビョンジンを前に並んでいる。その中には女の着物を纏ったムニルもいた。

「相変わらず、この妓館は儲かっておるなぁ」

 ビョンジンは妓館の入り口に立ったまま、ぐるりと辺りを見渡す。

「いやいや、ビョンジン様あってこそ、この妓館は成り立っているのですよ」

 妓主は愛想の良い笑みを浮かべている。表立ってはそう言っているが、彼の頭の中では、ぱちぱちと忙しなく算盤が動いているだろう。臆さず金の損得だけを考えて動くことができるからこそ、彼は花街一の妓主なのだ。

「はは、そうか?お前ならわしがいなくてもやっていけそうだがな。」

 そのことはビョンジンも承知しているのか、満面の笑みながらもそう言った。特に気分を害された様子は無いようだ。

「ご冗談を」

 妓主も同じように微笑んでいるが、内心どう思っているのかを測り知ることはできない。この二人は互いに求めていることが合致したからこそ、商売が成り立っているのだが、こうして時折、お互いを試すようなやり取りをする。
 ムニルは二人の真意が分からず、二人のやりとりを見た最初の頃は内心おろおろしていた。しかし、今は慣れたものだ。ムニルは平然と二人の様子を眺めていた。

(もう座敷で芸をするようになってから、二年経ったものね…。色々なお客様もいたわけだし、度胸がついたのは間違いないわ。)

 そして、花街を抜け出そうとしたあの日を思い出して苦笑いする。もう三年も前のことだ。あの時に感じた己のちっぽけさは、ずっと心に残っている。いや、座敷に上がり様々な人を見てきたことで、それはさらに増すこととなった。
 しかし逆にそれは、狭い世界の中でも様々なものに触れるからこそ増したのだ。ムニルはいかに面倒な客をいなすか、碁を打つときにどうすれば自然に相手を勝たせることができるのか、からいかに己を美しく見せる方法までもをわかってしまった。
 ムニルは少年であるものの、上級の妓女となんら遜色無いほどに美貌も芸能的才能も手に入れていた。

「では、ビョンジン様。参りましょう。」
「ああ」

 妓主がムニル達に目配せをする。ビョンジンの座敷に来いという合図だ。普段からビョンジンに付く妓女達は大抵決まっている。大抵は階級の高い妓女で主に構成されていた。しかし、今回は妓主からムニルももてなすようにと指示された。
 ムニルは基本的には他の妓女の側で で控えて琴を弾いたり舞を舞ったりすることが多かった。妓女達と比べれば大した役割でもないのに、なぜ選ばれたのか、ムニルにはさっぱり見当がつかなかった。

(私が男だから、珍しいと思ってかしら…?)

 ムニルは移動しながらそう考える。そう言ったことならば度々あった。
 座敷に赴き、他の祇女達の中心で踊った後に、妓主がムニルは男だと種明かしをする。そうすると皆客は驚き、珍しい少年がいるものだと、物珍しそうにムニルを見る。その目つきはまるで、曲芸師を見るような、奇妙なものを見た時のそれだった。
 そういう演出が需要があることはムニルも分かっていたが、己の異様さを改めて突きつけられるため、ムニルはその目つきを好きではなかった。
 ムニルはビョンジンの席へと持っていく膳を厨房の女達から受け取り、座敷へと向かう。ムニルと同じように、膳を運び、遅れて座敷に入る者は数名いたが、彼女達は皆、将来有望とされる若い妓女達ばかりだった。歳はムニルとそう変わらない。

(やっぱり、今晩もそういう役回りなんだわ…。)

 ムニルは少々気が重かったが、不思議と以前ほど落ち込むことはなかった。

(これが、慣れというものなのかしら…?)

 だとすれば、慣れというのは恐ろしいものだ。初めの頃は己の尊厳を貶められていると感じていたのに、近頃はそういうものかと思うようになっていた。まるで己の心が踏みにじられて原型を失くしたため、何が起きようとも心が動くことが出来なくなってしまったようだ。
 ムニルはそんなことを考えながら、ビョンジンの居る座敷の、襖の前に座る。他の妓女達も二列になって膳を並べ、その前に座った。

「ビョンジン様、ジェヒョンでございます。」

 その列の一番先頭に座っている、この店一番の妓女は、襖越しにこの座敷の主にそう声をかけた。ムニルは妓主に事前に指示されていた、ジェヒョンの隣に座っていた。

「入れ」

 ジェヒョンはたおやかな手つきで襖を開ける。



しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】 ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。

もう散々泣いて悔やんだから、過去に戻ったら絶対に間違えない

もーりんもも
恋愛
セラフィネは一目惚れで結婚した夫に裏切られ、満足な食事も与えられず自宅に軟禁されていた。 ……私が馬鹿だった。それは分かっているけど悔しい。夫と出会う前からやり直したい。 そのチャンスを手に入れたセラフィネは復讐を誓う――。

冤罪をかけられた上に婚約破棄されたので、こんな国出て行ってやります

真理亜
恋愛
「そうですか。では出て行きます」 婚約者である王太子のイーサンから謝罪を要求され、従わないなら国外追放だと脅された公爵令嬢のアイリスは、平然とこう言い放った。  そもそもが冤罪を着せられた上、婚約破棄までされた相手に敬意を表す必要など無いし、そんな王太子が治める国に未練などなかったからだ。  脅しが空振りに終わったイーサンは狼狽えるが、最早後の祭りだった。なんと娘可愛さに公爵自身もまた爵位を返上して国を出ると言い出したのだ。  王国のTOPに位置する公爵家が無くなるなどあってはならないことだ。イーサンは慌てて引き止めるがもう遅かった。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

子育てが落ち着いた20年目の結婚記念日……「離縁よ!離縁!」私は屋敷を飛び出しました。

さくしゃ
恋愛
アーリントン王国の片隅にあるバーンズ男爵領では、6人の子育てが落ち着いた領主夫人のエミリアと領主のヴァーンズは20回目の結婚記念日を迎えていた。 忙しい子育てと政務にすれ違いの生活を送っていた二人は、久しぶりに二人だけで食事をすることに。 「はぁ……盛り上がりすぎて7人目なんて言われたらどうしよう……いいえ!いっそのことあと5人くらい!」 気合いを入れるエミリアは侍女の案内でヴァーンズが待つ食堂へ。しかし、 「信じられない!離縁よ!離縁!」 深夜2時、エミリアは怒りを露わに屋敷を飛び出していった。自室に「実家へ帰らせていただきます!」という書き置きを残して。 結婚20年目にして離婚の危機……果たしてその結末は!?

【完結】赤ちゃんが生まれたら殺されるようです

白崎りか
恋愛
もうすぐ赤ちゃんが生まれる。 ドレスの上から、ふくらんだお腹をなでる。 「はやく出ておいで。私の赤ちゃん」 ある日、アリシアは見てしまう。 夫が、ベッドの上で、メイドと口づけをしているのを! 「どうして、メイドのお腹にも、赤ちゃんがいるの?!」 「赤ちゃんが生まれたら、私は殺されるの?」 夫とメイドは、アリシアの殺害を計画していた。 自分たちの子供を跡継ぎにして、辺境伯家を乗っ取ろうとしているのだ。 ドラゴンの力で、前世の記憶を取り戻したアリシアは、自由を手に入れるために裁判で戦う。 ※1話と2話は短編版と内容は同じですが、設定を少し変えています。

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

処理中です...