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番外編 ムニル過去編
碧色の鬼灯
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しかし、体を強張らせたムニルとは対照的に、妓主の手はムニルの肩にそっと乗せられて、微笑んでいる。その妓主の反応にムニルはますます混乱した。
(旦那様は、一体何を考えているんだろう…?)
そのムニルの疑問を滲ませた瞳を見てとったのか、
「なぜ学ぶのだろうと思っているのだろう?これはこの先ムニルにとって必要なものとなるからだ。わかったね?」
そう妓主は笑顔を貼り付けたまま言った。
しかし、妓主をじっと見ると、その目は笑っていない。多額の金を落としていく客に対する時と同じ目だ。ムニルはそう考えて、身震いした。己は何かに巻き込まれていようとしているのだと、本能的に悟ったのだ。
しかし、ムニルが今こうして生きて、食べるものに困っていないのも、この妓主が拾ったからだと言える。つまり、ムニルはこの男に反抗することはできないのだ。
(俺はどうなるんだろう…)
何もわからず、心細かったものの、
「はい。」
とムニルは頷くしかなかった。
そして、今までの状況とは大きく変わった。ムニルは少女達と共に、まずは読み書きを習い始めた。下働きのような労働はほとんどなくなり、ただひたすらに知識を詰め込んでいく。一日中机に向かうこととなったが、人々に蔑まれながら労働するよりは心も楽だった。また、己の行く末を案じることも出来ず、考えれば考えるほどに不安が掻き立てられたため、事実から目を背けるためにも、ますます勉学に励んだ。
その結果、十を迎える前には読み書き計算、詩に囲碁は水揚げ前の妓女と同等の知識をもっていた。
これには妓主もご満悦のようで、ムニルが一つ、また一つと知識を深める度に、褒美を与えた。褒美は帯や髪留めなど、他の妓女と変わらない。しかし、ムニルは男だ。これにはムニルも首を捻った。
(旦那様は男に贈る贈り物がどう言ったものがいいのか、わかっていない…?)
最初はおかしな人だと思っていた。しかし、それが三年も繰り返されれば、流石のムニルも薄々と気がついた。
(旦那様は、私をここの女の子と同じように着飾って売りに出したいんだな)
ついに褒美の品として、白粉や紅色と言った化粧道具が届いたときにそう確信した。そして、そう確信したと同時に、嫌悪感が込み上げる。そして、礼儀作法や舞、琴の稽古が始まった頃から、ムニルの扱われ方は激変した。
「もっと上品に喋りなさい。せっかく美しい姿が、その言葉遣いで台無しです。」
「それは男性向けの礼です。この前正しい礼の仕方を教えたでしょう?」
相変わらず妓主はムニルの成果次第によって、簪やら帯などを与えるが、特に何も言ってはこない。しかし、稽古をつける者たちが、突然女らしさはどうだ、とかそんなものは男がすることだ、など口煩く言うようになった。
(おれ…私は、喋り方や仕草まで旦那様の言いなりになるの…?)
たしかに、ムニルは天涯孤独な身であった己を拾ってくれたと言う点で妓主に恩があるし、己は逆らえないのだと考えていた。労働であれば幾らでもするつもりでもいる。しかし、己の一部でえる性別や、それに付随する話し方や仕草まで望んでもいないのに制限されることは果たしてどうなのだろうか。
(そんなこと、私は望んでいない…)
今は明け方で、夜の街である花街も静まり返っている。きっと起きていたとしても、睦言を交わすことに夢中で、外で動き回っても気付かれにくい。そう考えて、ムニルは思わず窓から外へと飛び降りた。二階からだったため、怪我なく降りることはできたが、裸足に砂利が食い込んで痛い。ひりひりとした痛みと熱を帯びたまま、走り出した。
この花街は大きな水路にぐるりと囲まれている。それは借金を抱えた祇女たちが逃げ出さないようにするためだ。どうやってそこを超えれば良いのかはわからない。しかし、まずはそこに行って、どうすれば良いのか考えてみるしかない。
ムニルは生まれてこの方、拾われた妓館の辺りを主に生活の場としていたため、花街の境界線がどうなっているのかは知らなかった。
(よくよく考えると、私はあの狭い中で生きていたのね…)
ムニルはそのことにも驚いたが、己が今までそのことに気がつかなかったことにも驚いた。
心の臓がとくりとくりと今までに聞いたことがないほどに速く胸を打っている。息はあがり、呼吸することがこんなにも苦しくなることに驚く。ただ、水路に向かうだけのことなのに、驚きばかりだ。ムニルはずるりと引きずっている衣装が煩わしく、裾をまくり上げる。夜気が残った空気がひやりと触れて気持ちが良かった。
ようやく目的の水路の前にたどり着き、ムニルは乱れた息を整える。
水路は噂に聞くように、たしかに幅も広かったが、水面と地上との落差が大きかった。
(これは…あれだわ、堀に似ている。)
ムニルは以前習った堀のことを思い出す。堀はたしか、城など重要な拠点を囲み、守るために作られるはずだ。でもここは違う。外からの敵から身を守るのではなく、内から逃げようとする人間を阻もうとしているのだ。
(旦那様は、一体何を考えているんだろう…?)
そのムニルの疑問を滲ませた瞳を見てとったのか、
「なぜ学ぶのだろうと思っているのだろう?これはこの先ムニルにとって必要なものとなるからだ。わかったね?」
そう妓主は笑顔を貼り付けたまま言った。
しかし、妓主をじっと見ると、その目は笑っていない。多額の金を落としていく客に対する時と同じ目だ。ムニルはそう考えて、身震いした。己は何かに巻き込まれていようとしているのだと、本能的に悟ったのだ。
しかし、ムニルが今こうして生きて、食べるものに困っていないのも、この妓主が拾ったからだと言える。つまり、ムニルはこの男に反抗することはできないのだ。
(俺はどうなるんだろう…)
何もわからず、心細かったものの、
「はい。」
とムニルは頷くしかなかった。
そして、今までの状況とは大きく変わった。ムニルは少女達と共に、まずは読み書きを習い始めた。下働きのような労働はほとんどなくなり、ただひたすらに知識を詰め込んでいく。一日中机に向かうこととなったが、人々に蔑まれながら労働するよりは心も楽だった。また、己の行く末を案じることも出来ず、考えれば考えるほどに不安が掻き立てられたため、事実から目を背けるためにも、ますます勉学に励んだ。
その結果、十を迎える前には読み書き計算、詩に囲碁は水揚げ前の妓女と同等の知識をもっていた。
これには妓主もご満悦のようで、ムニルが一つ、また一つと知識を深める度に、褒美を与えた。褒美は帯や髪留めなど、他の妓女と変わらない。しかし、ムニルは男だ。これにはムニルも首を捻った。
(旦那様は男に贈る贈り物がどう言ったものがいいのか、わかっていない…?)
最初はおかしな人だと思っていた。しかし、それが三年も繰り返されれば、流石のムニルも薄々と気がついた。
(旦那様は、私をここの女の子と同じように着飾って売りに出したいんだな)
ついに褒美の品として、白粉や紅色と言った化粧道具が届いたときにそう確信した。そして、そう確信したと同時に、嫌悪感が込み上げる。そして、礼儀作法や舞、琴の稽古が始まった頃から、ムニルの扱われ方は激変した。
「もっと上品に喋りなさい。せっかく美しい姿が、その言葉遣いで台無しです。」
「それは男性向けの礼です。この前正しい礼の仕方を教えたでしょう?」
相変わらず妓主はムニルの成果次第によって、簪やら帯などを与えるが、特に何も言ってはこない。しかし、稽古をつける者たちが、突然女らしさはどうだ、とかそんなものは男がすることだ、など口煩く言うようになった。
(おれ…私は、喋り方や仕草まで旦那様の言いなりになるの…?)
たしかに、ムニルは天涯孤独な身であった己を拾ってくれたと言う点で妓主に恩があるし、己は逆らえないのだと考えていた。労働であれば幾らでもするつもりでもいる。しかし、己の一部でえる性別や、それに付随する話し方や仕草まで望んでもいないのに制限されることは果たしてどうなのだろうか。
(そんなこと、私は望んでいない…)
今は明け方で、夜の街である花街も静まり返っている。きっと起きていたとしても、睦言を交わすことに夢中で、外で動き回っても気付かれにくい。そう考えて、ムニルは思わず窓から外へと飛び降りた。二階からだったため、怪我なく降りることはできたが、裸足に砂利が食い込んで痛い。ひりひりとした痛みと熱を帯びたまま、走り出した。
この花街は大きな水路にぐるりと囲まれている。それは借金を抱えた祇女たちが逃げ出さないようにするためだ。どうやってそこを超えれば良いのかはわからない。しかし、まずはそこに行って、どうすれば良いのか考えてみるしかない。
ムニルは生まれてこの方、拾われた妓館の辺りを主に生活の場としていたため、花街の境界線がどうなっているのかは知らなかった。
(よくよく考えると、私はあの狭い中で生きていたのね…)
ムニルはそのことにも驚いたが、己が今までそのことに気がつかなかったことにも驚いた。
心の臓がとくりとくりと今までに聞いたことがないほどに速く胸を打っている。息はあがり、呼吸することがこんなにも苦しくなることに驚く。ただ、水路に向かうだけのことなのに、驚きばかりだ。ムニルはずるりと引きずっている衣装が煩わしく、裾をまくり上げる。夜気が残った空気がひやりと触れて気持ちが良かった。
ようやく目的の水路の前にたどり着き、ムニルは乱れた息を整える。
水路は噂に聞くように、たしかに幅も広かったが、水面と地上との落差が大きかった。
(これは…あれだわ、堀に似ている。)
ムニルは以前習った堀のことを思い出す。堀はたしか、城など重要な拠点を囲み、守るために作られるはずだ。でもここは違う。外からの敵から身を守るのではなく、内から逃げようとする人間を阻もうとしているのだ。
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