華の剣士

小夜時雨

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孟の地へ

怪しげな老婆

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 部屋に通された老婆は見るからにみすぼらしかった。擦りきれた衣服に、長い間櫛を通していない乱れた白い髪。顔には深い皺が刻み込まれ、泥と思われるものが服にも顔にもついていた。

(農民、かな…)

 ハヨンは自分の母も農作業をした後はそのような姿になっていることを思い出した。しかしよくみると老婆の服には細かい刺繍が施された豪奢なものだ。その上、色褪せているものの、元は紫色のようだ。紫は染め物の中でも工程が複雑で、稀少な色だ。老婆の着ている服は、財力の有るものしか手に入れられないような代物だ。

(なんだかちぐはぐだなぁ…)

 ハヨンは彼女の素性がさっぱりわからず首をひねる。彼女は王族の前でありながらも不遜な笑みを浮かべ立っていた。   
 燐の国には大きく分けて王族、貴族、平民と階級が存在する。そしてさらに、この三つの階級の中にも様々な上下関係は存在する。これらの階級によって礼儀作法、民としての役目など、様々な違いがある。
 しかし、身分による違いがある中でも、貴族、平民の中で等しく定められていることがある。それは、王族の者と目通りする際は、必ず叩頭すると言うことだ。これは王や王族が絶対的な存在であることを示す。
  しかし、老婆は額ずく様子もなくリョンヘと目を合わせている。その様子を見たセチャンが少しじれた様子で老婆に声かけた。

「リョンヘ様の御前で無礼を働くのがどう言うことか承知の上でこうしているのか?」

 ハヨンは、ここしばらくセチャンと過ごしてきて、彼ガチャ生真面目な性格であることが良くわかっていた。礼節を重んじ、王族への尊敬の念を忘れない。下々の者を理不尽な扱うことはないが
、この事に彼が怒りを覚えていることは何となく察せられた。

「無礼?」

 彼女は恐れ入る様子は一切なく、さらににやにやと笑う。ハヨンはセチャンが何と反応するかはらはらしてしまった。

(どうしてムニルといいこの人といい、こんなにはらはらさせられるんだろう。こんなんじゃあ心労で倒れる方が先な気がする…。)

 当然ではあるが、王城ではそのような心配事は一切なかった。逆に、王城を出てみれば、王族に囚われずに生きている人が居るということが、ハヨンは少しずつわかってきた。

「私は逆にこちらに礼儀をもって対応して欲しいね。何せ私はそこにいる王子の遠い親戚なんだからさ。」

と彼女はみなの息の止まりそうなことを言って笑って見せるのだった。

「出鱈目なことを言うと厳重に刑に処すことになるぞ…!!」

不敬に値する行動を重ねられて、セチャンは挑発されたと思ったらしい。

「待て、セチャン。熱くなりすぎるな。生真面目なところはお前のいいところでもある。でも、そのせいでいささかお前はむきになってしまうところがある。こういうときはちゃんと相手の話を聴き終えてから決めなければ」

  セチャンは申し訳ないといった様子で口をつぐんだ。セチャンはリョンヘよりも十以上歳が離れている。しかし、リョンヘはその年の差に目をくらませることなく、人の本性を見抜く。これが彼の才なのかもしれない。

(リョンヘ様は…王族に必要な獣を操る力はないけれど、人を見るという才能に長けている。国を治めるにあたってはとても大事な才能だ…)

  ハヨンはこの国のしきたりを少し恨めしく思った。以前、彼女はこの獣を操る力で助けられ、兵士を志したが、今ではずいぶん王族に持つ感情が変わっていた。

「私はあんたに知らせに来たのだ。」

  老婆は口を開いた。ハヨンはとっさにセチャンへ視線を向ける。あんた呼ばわりに怒りはしないかとほぼ反射的なものだった。
  彼は顔色が少し白んではいたが、苦虫を噛み潰したような渋面のまま耐えていた。

「ほう。それはありがたい。その知らせとは?」

  リョンヘは椅子から少し身を乗り出す。

「あんたを今回城から追い出した首謀者を知っていると言うことさ。」

  部屋の中は水を打ったような静けさが広がった。ハヨンはその時、リョンヘが椅子のひじ掛けを強く握ったところを見逃さなかった。

「それは誰だ…?」

  いつもより上ずり気味のリョンヘの声がやけに大きく聞こえる。
  皆は固唾を呑んで老婆の返答を待った。

檮杌とうこつという魔物だよ。この燐の初代国王が立たれる前、この世は荒れに荒れた。あの頃の魔物が力を取り戻し始めてるのさ。」
「魔物…」

  リョンヘは実感がわかないのか、噛みしめるようにゆっくりとその言葉を口にした。周りにいたハヨン達も一様に怪訝な表情になる。

「しかし…。リョンヘ様を捕らえよとの命を出したのはリョンヤン様ですが…」

  セチャンも困惑してリョンヘにそう言った。

「あんた達、魔物の存在を信じていないのかい?あんた達のところに今、四獣の青龍がいるだろう。その者だって人ではない力を持っている。人でないものがいたっておかしくはないだろう?」
「…確かにあなたの言葉にも一理ある。その魔物とやらはリョンヤンのふりをしているのか?だとしたら本物のリョンヤンは…?」

 王族の獣を操る力以外に、超人的な力を見たことがないために、魔物がいると言った信仰は、ハヨン達には疎いものだった。ある一定数の者は、掟を破れば魔物による厄災が降りかかると信じている者もいる。しかし、ハヨン達武人たちは形ある者と対峙し、戦うことが生業だ。そう言った不確かなものを暗殺の元凶と見ることは殆どないに等しい。
 もし仮に、魔物のせいであってリョンヤンがそのような仕打ちをしたので無くとも、また新たな疑問や心配事が増えてゆく。ハヨンはリョンヤンの身が今ごろどうなっているのかと思い、胸が痛かった。

「わしも詳しいことはわからんが、あれは人を操ることができる。ただし、王族には神からの御加護もあって、術がきかんのだ。だから、あれは王族を操るより、周りを操って、王子を無理矢理服従させているのが合理的と言えるな。」

(なるほど…。それならば王子もいるから、表立ってはちゃんと機能している城の体裁を守れる。外部とのやり取りもリョンヤン様を使えば公的なものになるし…)
「なるほどな。しかし、あの建国伝記に、四獣のことは出ていたが魔物は一つも出ていなかった。それはどういうことなのだ?」

   魔物が実在したとして、この燐の国の成り立ちに深く関わっているのであれば、四獣の伝説や王族のことなど、調べなければならないことがたくさんある。リョンヘが王城に帰還するまでの道のりは、気の遠くなるほど先のことのように思えたのだった。








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