華の剣士

小夜時雨

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異変

逃亡

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 一行は追われることを恐れて、皆でずんずんと突き進んでいた。しかし、城の喧騒が聴こえなくなって随分と経った頃、後ろを振り返る。城はもはや視界に入っておらず、そのことを確認した一同は、思わず息をついた。緊張を完全に解くことはなかったが、それでも修羅場を乗り越えた、という実感があった。
 ハヨンも同様で、共に逃がれる事ばかり考えていたが、肩の力が少し抜けた。それと同時に、腕に鈍い痛みが走る。ハヨンは今まで、腕の矢傷のことをすっかり忘れていた。当分追っ手が来ないとわかっていると、どうしても意識がそちらへと向けられてしまう。

(痛いけれど…ここで抜いても出血を酷くするだけだ。でも、いつまでも抜かないままでいるのも体に障る。)

 そして腕も異変を訴えて、ハヨンは徐々に自分の体力が消耗してきていることをひしひしと感じていた。

「ハヨン、その矢傷、大丈夫なのか」

 隣を歩いていたリョンヘは、息の荒くなったハヨンに気づき、そう尋ねる。山道は険しい。ますます体力が消耗するであろうし、傷による感染等も心配だった。

「リョンヘ様は私をお気になさらず、ご自分の身を守ることをお考えください。私も少々疲れていますが、孟に行くまでは保つでしょう。」

 リョンヘには、そう言って無理に笑みを浮かべるハヨンの姿が痛ましかった。そして相変わらず己のことよりも他人ばかり大切にしたがることにも腹が立った。

「そんな状態のままで元気になれる者がいるか!私が背負うなりするからせめて休め!」
「リョンヘ様の足手まといになっては追っ手のいいようになってしまいます。それならば少しだけ私はここで休みますので、リョンヘ様たちはお先に…」

 ハヨンは異例の出世をしたものの、まだ新人の兵士だ。王都周辺以外の地域のことなど、殆ど知らないと言っていい。ここで別れれば孟までの道もよくわからないだろう。この燐の国は山が多い。そのため、商隊のような、道に詳しい者の案内がなければ、迷ってしまうような山道がかなり多い。その上、夜には獣がうろつく。手負いのハヨン一人で行動するのは困難だ。

「無茶をするのも大概にしろ!」

 リョンヘは思わず声を荒げてしまった。先頭を歩いていたセチャンが、その声に気がついて足を止める。思わず他の者も足を止め、二人の様子を見守る。

「城の前ならまだしも、ここまで来たのなら逆に一人でいる方が危ない。それにここで体力を回復させるなんてどうやるって言うんだ!その傷では不可能だろう…!」

 そうハヨンに訴える彼の口調は、王子としてと彼のものではなかった。懐かしい、友人のリョンのときの口調が入り混じっている。

「しかし、このまま私がついていきますと、足手まといになってしまいます。」
「ならば私が背負う。」

 その言葉に周りの者たちは仰天した。王子が部下を背負うなど前代未聞である。

「しかし…」
「これ以上言うな!ハヨンは俺の護衛者だろう…!!ならばこれからも私を守らなければならない。他に適任者はいない。ハヨンだけなんだ!私は部下を使い捨てるようなことはしたくない。部下が窮地に立たされたのなら、何だってする。私の足手纏いになっているのではない、私がしたいからしているんだ!」

 かなり無茶なことを言っているのは、リョンヘも周りの者もわかっていた。王族とは人の上に立つ者。時には大を優先し、小を切り捨てる必要もある。それはより多くの民を救うための決断である。リョンヘ自身、幼い頃からそういう教育を受けてきた。この言葉は、弱き者も全てを救う。それは、はっきり言えば現実的ではない。しかし、リョンヘは今の状況だからこそ、誰も見捨てることは出来なかった。

「私のもとにいる者たちは数少ない…。しかし、私はこうしてそばにいてくれることをとても感謝しているし、誰も失いたくははい。その上、私は今回の事でみなの地位や名誉、住む場所、家族…様々なものを奪ってしまった。いつか必ず皆をもとの場所へ戻したい…。」

 リョンヘはここにいる者たちの家族のことを考えると、こみ上げてくるものがあり、それを抑え込むために、ぐっと眉を寄せる。

「だからこれ以上お前たちを無駄死にさせるわけにはいかない。だから私はお前たちが助かるならなんだってする。それに…私は今、あの王子リョンヘではない。ただの人、いやそれよりもっと悪い反逆者だ。」
「いや、王子それは…」

 その言葉にセチャンが口を挟む。その動きをリョンヘはやんわりと制した。

「あれは不当なものだと言いたいのだろう?しかし城の様子を見ろ。あの場にいた殆どの者は城の味方だ。もうあそこまで城の支配下にあるかぎり、町の者たちも我々が反逆者だと信じてしまうだろう。私はそもそも城でもあまり好かれていなかった。この事を鑑みればなおさらだ。」

 あまりにも何気なく話された言葉に、ハヨンは胸が痛んだ。やはりリョンヘも城の者が何と言っていたのか知っていたのだ。人と言うのは聞きたくない言葉ほど聞こえてしまうものだ。リョンヘはどれほどその辛さに耐えたのだろう。
 彼は幼い頃に一度行方不明になり、記憶を失った。その事件よりも以前は王族の獣を操る力も持っていた。記憶のない自身と、王族の資質を兼ね添えていたかつての知らない自分を比較されながら生きる。それは、気持ちを全てくみ取ることは出来ないが、間違いなく悩むことはあっただろう。そんなことを積み重ねてきて、そのような考えに至ったというのは、ハヨンには酷くやるせないものに感じた。

「私は今、リョンヤンの敵だ。そして私は王子の地位の正当性を失いはしたが、王子である誇りは失わない。外道な道に入りは決してしないし、臣下や民を誰一人見捨てたくはない。」

 そしてリョンヘはハヨンの肩に手を置き、目線を合わせてこう言った。

「私はそのためなら何をすることも厭わないし、王子だから優先しろだの、王子だからお手を煩わせるわけにはいかないだのの言葉は聞き入れない。」
「王子…」

 ハヨンはリョンヘのときの姿と、リョンのときの姿がようやく重なったように見えた。今まで考え方も雰囲気もまるで違っていると思っていたが、人に篤くなれるところや、人を惹き付けるところなどは変わらない。
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