華の剣士

小夜時雨

文字の大きさ
上 下
103 / 221
異変

胸騒ぎ

しおりを挟む
「これほど速く事態が進み始めるとは…その上リョンヤンのやつも何やら私の周りをかぎまわっているようだ」

 男は部下と共に薄暗く狭い部屋で話し込んでいた。誰も使っていないからか埃っぽく、ほんの僅かに差し込む光が、埃の粒子がゆっくりと漂っているのを、きらきらと反射させている。部下は落ち着きなく瞬きを繰り返していた。いや、不安だからかもしれない。男の苛立ちは周りの者をはらはらさせるほどに顕著だった。
 近頃、男が部下を遣って何かを探らせようてしても、必ずと言っていいほど妨害が入る。どうやら男の動きを察知して先回りをしているようだ。部下は男が怒り狂うとどれほど恐ろしいかを身をもって知っているので、いつ男の堪忍袋の尾が切れるのかと、怯えていた。しかし、その怯えを表に出そうものなら、さらに男を苛立たせることもわかっているので、必死に感情が表に出ぬように押し込める。
 こんなにも恐ろしいと思う相手ならば、なぜこの部下は彼を主人と仰ぐようになったのかと、尋ねたくなるだろう。理由は単純だ。部下はこの男に恩があるのだ。貴族ではあったものの没落し、何もかもを失った。そして、あわや一家心中寸前となりかけた際に、唯一手を差し伸べたのが彼だったのだ。
 また、この男に仕えていくにつれ、彼は男の不思議な力を目の当たりにした。呪詛や人を操る力など、超人的な力である。逆らえば自身はどうなってしまうのだろう、と考えるほどに恐ろしく、萎縮していく。当初は恩や憧れによって仕えていたが、それらは恐れによって縛られ、昔のことなど幻のように思える。しかし、後悔してももう遅い。行き着くところまで行くしかないと、部下は諦めと、ある種の覚悟をしていた。

「おい、もう少し先にしようと言っていたが、あれを明日実行する」
「あ、明日!?あまりに急なのでは…」

 機嫌の悪い男に対して、どう受け答えをしようと考えていると、突然男がそう告げた。
 男はいつもそうだ。行き詰れば行き詰まるほど、無理矢理前へと計画を推し進める。気の弱い部下としては、もう少し慎重に動いて欲しい。しかし、男の手腕は大したものなのだろう。無理矢理計画を推し進めても、正体が露呈するようなへまをしたことはほとんどなかった。以前の王の暗殺未遂の時でも、犯人は迷宮入りとなっている。きっとその事による慢心も相まって、このような行動をとるのだ。

「不審に思われて探られているならば、これほど大きな策は遅かれ早かれ露呈する。できるならば早くに行った方が良い。それに」

 男は少し笑みを浮かべる。どうやらこの策の成功も確信しているようだ。

「明日ならあいつを排除できる良い機会だ。」

 時はもう戻せない。部下は腹の底が冷えるような緊張が湧き上がってくるのだった。



「ハヨン、何を見ている」
「リョンヘ様」

 帰路の途中、野原で皆が休息をとる中、ハヨンは燐の方へじっと視線を凝らしていた。彼女の視線はとても鋭く、猛禽類の目を彷彿とさせた。こんなにも険しい表情のハヨンは、初めて見たかも知れない。

「何やら胸騒ぎがするのです」

 ハヨンはリョンヘに向きなおってそう言った。

「胸騒ぎ?何か不安なことでもあるのか」

 リョンヘは訝しむ。滓との同盟も無事に結び終えた。これで謀反を画策していたものも行動を控えるだろう。そうハヨンとリョンヘは話し合っていたのだ。城内の風向きは良い方へと変わるのではないのか。

「わかりません」

ハヨンがゆるゆるとかぶりを振る。

「何かはわからないのですが、不安にかられるのです。正体がわからないのでさらに…」
「あまりそう悪い方へ考えてはいけない。このところ城内は不穏すぎた。そのせいでお前も悪い方へと考えてしまうのだろう。」
「はい」

 そのとき、立ち込めていた暗雲から、雨が降ってきた。ずっと降らずに耐えていたのに、我慢しきれなかったような、そんな雨だった。みるみるうちに、雨足は強くなる。

「皆のもとへ戻ろう」
「はい」

そう言って背を向けたリョンヘの後を、ハヨンが慌てて追う気配がする。一瞬、夏の生暖かい風がリョンヘの首もとを撫でていった。
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】 ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。

もう散々泣いて悔やんだから、過去に戻ったら絶対に間違えない

もーりんもも
恋愛
セラフィネは一目惚れで結婚した夫に裏切られ、満足な食事も与えられず自宅に軟禁されていた。 ……私が馬鹿だった。それは分かっているけど悔しい。夫と出会う前からやり直したい。 そのチャンスを手に入れたセラフィネは復讐を誓う――。

冤罪をかけられた上に婚約破棄されたので、こんな国出て行ってやります

真理亜
恋愛
「そうですか。では出て行きます」 婚約者である王太子のイーサンから謝罪を要求され、従わないなら国外追放だと脅された公爵令嬢のアイリスは、平然とこう言い放った。  そもそもが冤罪を着せられた上、婚約破棄までされた相手に敬意を表す必要など無いし、そんな王太子が治める国に未練などなかったからだ。  脅しが空振りに終わったイーサンは狼狽えるが、最早後の祭りだった。なんと娘可愛さに公爵自身もまた爵位を返上して国を出ると言い出したのだ。  王国のTOPに位置する公爵家が無くなるなどあってはならないことだ。イーサンは慌てて引き止めるがもう遅かった。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

子育てが落ち着いた20年目の結婚記念日……「離縁よ!離縁!」私は屋敷を飛び出しました。

さくしゃ
恋愛
アーリントン王国の片隅にあるバーンズ男爵領では、6人の子育てが落ち着いた領主夫人のエミリアと領主のヴァーンズは20回目の結婚記念日を迎えていた。 忙しい子育てと政務にすれ違いの生活を送っていた二人は、久しぶりに二人だけで食事をすることに。 「はぁ……盛り上がりすぎて7人目なんて言われたらどうしよう……いいえ!いっそのことあと5人くらい!」 気合いを入れるエミリアは侍女の案内でヴァーンズが待つ食堂へ。しかし、 「信じられない!離縁よ!離縁!」 深夜2時、エミリアは怒りを露わに屋敷を飛び出していった。自室に「実家へ帰らせていただきます!」という書き置きを残して。 結婚20年目にして離婚の危機……果たしてその結末は!?

【完結】赤ちゃんが生まれたら殺されるようです

白崎りか
恋愛
もうすぐ赤ちゃんが生まれる。 ドレスの上から、ふくらんだお腹をなでる。 「はやく出ておいで。私の赤ちゃん」 ある日、アリシアは見てしまう。 夫が、ベッドの上で、メイドと口づけをしているのを! 「どうして、メイドのお腹にも、赤ちゃんがいるの?!」 「赤ちゃんが生まれたら、私は殺されるの?」 夫とメイドは、アリシアの殺害を計画していた。 自分たちの子供を跡継ぎにして、辺境伯家を乗っ取ろうとしているのだ。 ドラゴンの力で、前世の記憶を取り戻したアリシアは、自由を手に入れるために裁判で戦う。 ※1話と2話は短編版と内容は同じですが、設定を少し変えています。

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

処理中です...