華の剣士

小夜時雨

文字の大きさ
上 下
96 / 221
番外編

受け継がれしもの 弐

しおりを挟む
  ついに日が沈み、夜を迎えた。ソンヒョンはまだ、門の前に座っていた。彼の吐く息は白く立ち上る。チャンヒはそんな痛ましい姿を見るにたえなかった。父の目を盗んで、もう一度彼の元へと行く。

「諦めてお帰りください。本当に、このままだと風邪をひくどころか、凍え死んでしまいます。」

  冷たい風がチャンヒとソンヒョンの頬を叩くようにして、通り過ぎていく。直に冷気に触れ合っている所が痛かった。外套を着ているチャンヒでさえ、歯の根が合わぬほどがたがたと震えてしまいそうな寒さの中、ソンヒョンは外套さえ着ていなかった。真っ暗な闇の中、青白くなったソンヒョンの顔が、浮かび上がるようにして見える。歯を食いしばり、寒さを耐えているようだが、そんなもので収まりはしない。

「大丈夫です。私はどうしても諦めるわけにはいかないので。」

  そう寒さに耐える姿は健気だが、チャンヒにとってはじれったさが増すばかりだった。

「もう!」

  チャンヒは外套をばさりと脱ぐ。

「え」

とソンヒョンが慌てているが、気にすることはない。チャンヒはそのまま外套をソンヒョンの身体に被せた。

「諦めるも何も、死んでしまったら意味がないでしょう?」

  何故、今日出会った男に、こんなにやきもきさせられなければならないのか、チャンヒは理解できなかった。でも、この男に何かあれば、それは後悔することになると、頭のどこかで理解していた。

「いや、でも流石にこれは…」
「これは私が勝手に貴方に被せたんです!だから貴方のせいじゃありません。」

  いつからだろうか。チャンヒはこの彼の無謀な頑張りを、支えたいと思ってしまっていた。できっこないと頭で決めつけながら、彼のことが頭から離れなくなっていた。
  もし後にジホが出てきて、彼が外套を羽織っているのを見たら、結局甘やかされたのだな、とソンヒョンは言われるかもしれない。しかし、チャンヒは彼を凍え死にさせるまで放っておけはしなかったのだ。

「…ヒ!チャンヒはどこだ!」

  そんな時、風に乗って父の声が聞こえてくる。チャンヒは見つかったのかと、びくりと肩を揺らした。

「行ってください。」

  ソンヒョンがそう言った。弾かれるようにして、再び彼を見ると、先ほどよりも表情が和らいでいる。どうやら少しは外套も役に立っているらしい。

「でも」

  それでも気がかりだ。外套があるとはいえ、この寒さだ。夜はますます寒さを増す。

「大丈夫です。」

  ソンヒョンは今日で何回目かの大丈夫を口にする。相変わらず、人を温かな気持ちにさせるような、柔らかな笑みだった。その彼の笑顔に見惚れているうちにも、父の声は聞こえてくる。

「…また、後で来ます。」

 チャンヒはその場から駆け出した。急いでその場を離れなければ、いつまでも彼が気がかりで、動けなくなってしまうと思ったのだ。
  ジホがなぜチャンヒを探していたかというと、どうやら食事の準備の際に、いつもは手伝っていたチャンヒがおらず、母がてんてこ舞いになっていたからだ。母のためにと父が動いてくれたことは嬉しかったが、その優しさをあの門で延々と座り続けている彼にも分けて欲しい、とチャンヒは少なからず考えた。

  食事が終わり、チャンヒはまた、こっそりと門へと向かった。

「…!大丈夫と何度も言ったのに…。」

ソンヒョンは気にしなくて良い、と言いたげな様子だったが、チャンヒは構わず近寄った。

「これ」

  そう言ってチャンヒが差し出したのは、温石おんじゃくだった。こっそり石を火で温めて、布で包んできたのだ。

「一体これは…」

  見た目はただ布に何かが入っていると言うことしかわからないので、ソンヒョンが訝しげな表情をして受け取とる。しかし、触れた瞬間にその熱で分かったのだろう。ぱっと表情が明るくなった。

「温かい…!」

  彼のその声は、やっと人心地ついたというのがありありとわかる程、ほっと息を吐きながら発せられた。外套を着ていたとはいえ、やはり寒かったのだろう。その上、夜になりこの闇だ。一人で門の前で座り続けるのは不安だったに違いない。

「これは何ですか?こんな物があるなんて、初めて知りました。」

  少し頬に血色が戻り、素直に感嘆する姿は、生真面目な顔で頑なにこの場に座り続ける姿とは打って変わり、可愛らしくさえ思えてくる。

(何でかしら、私よりも年上なのに、可愛い。)

などと、チャンヒも思わず考えてしまったが、その後彼の言葉を反芻して、困惑した。

「温石です…。ご存知ないですか?」
「温石と言うんですね…。いや初めて聞きました」

  温石は手軽に暖を取れるので、幼い頃、外に出るときなどは母が持たせてくれた。それは他の家の子供も同じだ。それなのになぜ、彼は温石を知らないのか。それは彼の衣が平民階級のものではないことや、仕草や言葉が洗練されていることに、何か繋がりがあるような気がしてならない。
  彼は一体何者なのだろうと、ぼんやりと考えてしまう。

「チャンヒ!そんなところで何をしているんだ」

  そんな時、父の声が聞こえて、びくりと肩を震わせた。

しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】 ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。

もう散々泣いて悔やんだから、過去に戻ったら絶対に間違えない

もーりんもも
恋愛
セラフィネは一目惚れで結婚した夫に裏切られ、満足な食事も与えられず自宅に軟禁されていた。 ……私が馬鹿だった。それは分かっているけど悔しい。夫と出会う前からやり直したい。 そのチャンスを手に入れたセラフィネは復讐を誓う――。

冤罪をかけられた上に婚約破棄されたので、こんな国出て行ってやります

真理亜
恋愛
「そうですか。では出て行きます」 婚約者である王太子のイーサンから謝罪を要求され、従わないなら国外追放だと脅された公爵令嬢のアイリスは、平然とこう言い放った。  そもそもが冤罪を着せられた上、婚約破棄までされた相手に敬意を表す必要など無いし、そんな王太子が治める国に未練などなかったからだ。  脅しが空振りに終わったイーサンは狼狽えるが、最早後の祭りだった。なんと娘可愛さに公爵自身もまた爵位を返上して国を出ると言い出したのだ。  王国のTOPに位置する公爵家が無くなるなどあってはならないことだ。イーサンは慌てて引き止めるがもう遅かった。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

子育てが落ち着いた20年目の結婚記念日……「離縁よ!離縁!」私は屋敷を飛び出しました。

さくしゃ
恋愛
アーリントン王国の片隅にあるバーンズ男爵領では、6人の子育てが落ち着いた領主夫人のエミリアと領主のヴァーンズは20回目の結婚記念日を迎えていた。 忙しい子育てと政務にすれ違いの生活を送っていた二人は、久しぶりに二人だけで食事をすることに。 「はぁ……盛り上がりすぎて7人目なんて言われたらどうしよう……いいえ!いっそのことあと5人くらい!」 気合いを入れるエミリアは侍女の案内でヴァーンズが待つ食堂へ。しかし、 「信じられない!離縁よ!離縁!」 深夜2時、エミリアは怒りを露わに屋敷を飛び出していった。自室に「実家へ帰らせていただきます!」という書き置きを残して。 結婚20年目にして離婚の危機……果たしてその結末は!?

【完結】赤ちゃんが生まれたら殺されるようです

白崎りか
恋愛
もうすぐ赤ちゃんが生まれる。 ドレスの上から、ふくらんだお腹をなでる。 「はやく出ておいで。私の赤ちゃん」 ある日、アリシアは見てしまう。 夫が、ベッドの上で、メイドと口づけをしているのを! 「どうして、メイドのお腹にも、赤ちゃんがいるの?!」 「赤ちゃんが生まれたら、私は殺されるの?」 夫とメイドは、アリシアの殺害を計画していた。 自分たちの子供を跡継ぎにして、辺境伯家を乗っ取ろうとしているのだ。 ドラゴンの力で、前世の記憶を取り戻したアリシアは、自由を手に入れるために裁判で戦う。 ※1話と2話は短編版と内容は同じですが、設定を少し変えています。

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

処理中です...