華の剣士

小夜時雨

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番外編

受け継がれしもの

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  チャンヒは生まれてから一度も、己が不幸だとは思ったことはない。しかし、人はチャンヒの身の上話を知ると、決まって「苦労したね」「大変だったね」「何か困っていることがあれば、力になるよ」と言ってくる。それは勿論ありがたいことなのだが、それと同時に、不幸という名の枠に押し込まれそうな気持ちになる。皆に不幸だと思われても、大切な人を失っても、今は娘のハヨンがいる。それだけで十分に幸せなことなのだ。
  娘のハヨンは今、城の兵士、それも最強部隊である白虎の隊員となるべく、日々鍛錬に明け暮れている。普通の親子のように、農作業を共にすることもないし、彼女は年頃の娘のように、容姿に拘ったりはしない。チャンヒはそのことを少しだけ寂しくも感じるが、己の夢を必死に叶えようとするその姿は、亡くなった夫のことを思い起こさせた。

  チャンヒとのちに夫となるソンヒョンが出会ったのは、チャンヒが16、ソンヒョンが17の時だった。
  チャンヒの父は名だたる刀工で、王族御用達でもあり、そのほかにも有数の武家の刀も打っていた。ソンヒョンはそんな父のもとに刀鍛冶になりたいと弟子入りを願い出たのだ。
  しかし、チャンヒの父ジホはこの鍛冶屋の街で一番の頑固者だと有名だった。ただでさえ職人気質の男は頭が固いと言われることが多いのに、その職人達の集う街でそう言われるのだ。もはやここまで来ると、偏屈といっても良い。
  ごくごく一般的な弟子入りは、幼い頃から丁稚奉公をすることで成り立つ。丁稚奉公でその家の掟を知り、商売のやりくりを知り、職人としての誇りを知っていく。そのため、丁稚奉公の期間などとうに過ぎているソンヒョンを、ジホは絶対に弟子入りなどさせぬと言い、鼻であしらったのである。
  しかし、ソンヒョンはそんなことではへこたれなかった。工房の扉の前に、正座をしてジホが再び出てくるのを待った。チャンヒも初めはこの人も大変だなぁ、と他人事のように見ているだけだったが、十刻以上もの間、全く姿勢を崩さない姿を見て、驚きと焦りが生じた。

(大丈夫かしら、この人…。地面に座り続けるなんてどんなに辛いことか…。)

  その上、季節は冬も差し掛かった、寒い頃である。その日に限って強い風が吹き、ソンヒョンの身体に冷たく吹き付けている。

(寒くはないかしら)

  そう思ってこっそり窓の外からソンヒョンを覗くと、身体が冷え切っているのか、唇が青くなっているように見える。チャンヒはたまらず外に出た。

「申し訳ないんですが、父はこうと決めたら一歩も引きません。こんな寒さの中、ずっと待っていては風邪をひいてしまいます。どうかお引き取りください。」

  チャンヒはわざと固い口調で威圧するように告げる。そうだ、望みはないのだから、無理をすることはない。こんなに身体を震わせて、真っ青になるのなる必要はないのだ。
  ソンヒョンがその青い顔を、チャンヒの方へと向ける。血の気はなかったが、その顔は穏やかで、チャンヒは驚いて一歩下がりかけた。

「私はどうしてもあの方に教えを請いたいのです。ですので、このくらい耐え抜きます。心配してくれて、ありがとう」

  そうやって柔らかく、顔を緩ませるような笑みは、チャンヒの周りにいる男達の中では絶対に見ることのない表情だった。

「そ、そうですか…。」

  チャンヒは動揺して、思わずそう返事をしただけで、すごすごと家の中へと戻ってしまう。なぜ寒いのにも関わらず、こんなにも頰が熱く、胸が高鳴るのかわからない。その胸のざわめきを抑えるように、ふうと息をついた。
  その後も、家の手伝いの合間に、ソンヒョンのことが気になって、何度か彼のことを覗き見る。相変わらずジホは出てこず、ソンヒョンはずっと同じ姿勢で座り続けていた。

「なんだ、あの小僧はまだいたのか。」

  そんな時、父の声が聞こえて、チャンヒは肩を揺らす。ふん、と気に食わないと言うように鼻を鳴らした父を見て、チャンヒは意を決する。

「父上」
「何だ。」
「彼を認めてはあげないのですか」
 「なぜ、そんなことを言う」

  顔をしかめ、鼻に皺まで寄せた父を見て、チャンヒは思わず怯みそうになる。いつも厳格な父親に対して、反抗する子が一番恐ろしいことだと思ってきたため、いくら覚悟を決めたとしても、怖いものは怖い。

「彼は父上が認めてくださるまで、一歩も動かないようです。あのままでは死んでしまいます」

  まだ冬ではないといえ、ここの地域は夜になると肺が凍りそうなほどに冷え切る。あのまま暖もとらず、延々と座り続ければ、倒れるのは間違いない。

「俺の技は、ああやって半端な者には身につけられる者ではない。その上、あの小僧の服を見たか。あれはよほど裕福な所の者でないと買うことなぞできない。あんな者を普段着として着ているのだ。余程の家の出だとわかる。苦労やこの職人の世界の常識も知らない者に、わしはここでの修行を耐えられるとは思えない」

  ジホはそう強い口調でチャンヒに告げた後、さっさとその場を立ち去った。彼の目には強い光が宿っており、その職人としての強い誇りの現れであることを物語っていた。
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