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かつての栄光
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真夏の外の空気よりも暑い部屋で、鍛冶屋は額に流れる汗を気にもとめず、もくもくと作業を続けた。
じゅわっと熱した鉄が冷却材で急激に冷やされて、音をたてる。己を包んでいた熱気が消え去り、鍛冶屋はほうっと息をつく。そのまま、冷めた鉄の形を整えるためにしばらく研いでいると、部屋の戸を叩く者がいた。
「今行く。待ってろよ。」
と鍛冶屋は年老いて自由の利かなくなってきている膝を伸ばし、よっこいしょと立ち上がる。よたよたと歩いて戸を開けると、幼い子供が立っていた。
「おお、お前さんか。頼まれていたものがもうすぐ出来上がる。部屋に入って、少し待ってくれんか」
「うん!」
子供はここに立ち入るのが初めてのようで、目を輝かせる。そのあともきょろきょろと辺りを見やっていた。だが、鍛冶屋の男の姿が視界に飛び込んできてからは、子供は真っ直ぐに彼を見つめていた。
刃のように鋭い眼差し、切れ味を悪くせぬよう寸分違えずに研ぐその姿は、幼いなりにも何か感じるところがあるのだろう。子供は息を詰めて鍛冶屋を見つめる。
いつまでそうしていただろうか。鍛冶屋がふっと笑い、辺りの空気も綻ぶように感じた。
「ぼうや、できたよ。ほら、持ってお帰り。」
そして鍛冶屋は振り返り、笑顔で子供にそう告げた。子供は詰めていた息を勢いよく吐き出して、駆け寄る。
「気を付けて持つんだぞ。この鎌はよく切れるからな」
「おじいさんありがとう!えっと、これ!」
子供の差し出したものは、米だった。ここの辺りは農家が多いため、物々交換も多い。鍛冶屋はその子供の手をそっと押し戻す。
「こんなに貰えんよ。」
「え、でも母さんが…」
「わしには家族はおらん。だからこれで十分だよ。」
子供の手元に戻ってきた米は、持って来た半分はある。この量なら、子供の兄弟たちならば全員賄える量だった。
「…わかった。」
親に頼まれていたことと違うことが起きたので、もう少し粘っておつかいを見事に果たしたい気持ちもあったのだが、鍛冶屋の顔を見ると、これ以上粘っても無駄だと子供は悟った。
鍛冶屋は笑顔を絶やさずにいたが、彼は一度決めたら引かない人間だ、と何となく伝わってきたのだ。
「おじいさん!ありがとね!」
そう言って子供は駆け出す。鍛冶屋は子供の姿が見えなくなるまで見送っていた。
・・・・
鍛冶屋は誰もおらず、しんとしている部屋で一人息をつく。熱気もとうに失せ、外から聞こえてくるセミの声の騒々しさが、侘しさを掻き立てる。
「今日はこれでしまいか。」
そう呟くとどっと疲れが押し寄せた。軋む体を引き摺りながら、隣の部屋へ行く。その部屋には幾振りかの刀が飾られていた。無機質な鈍い光を放ち、沈黙を保っている。本来ならば、この刀たちは戦で名を轟かせるはずだった。しかし鍛冶屋が国のために刀を作ることをやめ、出番を失ったまま、今に至る。
しかし、今からでも鍛冶屋がこの刀たちを世に送り出せば、みな喉から手が出るほど欲しがり奪い合うだろう。彼はそれほどの刀匠なのだ。
かつてこの国は小国でしかなかった。しかし凄まじい速さで国力をつけ、周辺の国々を武力で押さえ込み、今や対抗できる国がいないほどの大国となっている。
その大国になるために必要だった軍事力は、鍛冶屋の尽力した所が大きい。鉄器の刀が主流となった頃、鍛冶屋は独自の鉄の配合と冷却によって、誰にも負けぬ刀を作り上げたのだ。
その刀は鋭く、そしていくら人の血を被っても切れ味は変わらなかった。その上、羽のように軽かったのだ。
その刀たちは主力の武人の手に渡っていき、たった一人で一夜のうちに千以上もの敵兵を斬ったとも言われている。
そしてその刀を作った鍛冶屋は称えられ、地位を授けられ、王族や軍御用達の刀鍛冶となったのだ。
そんな栄華を誇った彼が、なぜこんなにもひっそりとした農村の隅に居を構えているのか。それは彼以外誰にもわからない。
そして、ここの農村の人々は武勇伝を持つ武将たちの刀を作っていた男がここにいるなど知りもしなかった。
人づきあいの苦手な男が喧騒を嫌い、商業地区から離れ、居ついていると思っているのだ。
「お前たちは…。今に不満はないのか?」
本来ならば戦の地で人を屠る身だった刀たち。もう二度と刀は打たず、世にも出さないと決めていたが、こうして問いたくなることが何度もあった。しかし、彼らは黙したままで、答えが見つかることなどこの先来ないだろう。
鍛冶屋のため息は誰にも届かず、ただ飾られた刀だけが見ていた。
じゅわっと熱した鉄が冷却材で急激に冷やされて、音をたてる。己を包んでいた熱気が消え去り、鍛冶屋はほうっと息をつく。そのまま、冷めた鉄の形を整えるためにしばらく研いでいると、部屋の戸を叩く者がいた。
「今行く。待ってろよ。」
と鍛冶屋は年老いて自由の利かなくなってきている膝を伸ばし、よっこいしょと立ち上がる。よたよたと歩いて戸を開けると、幼い子供が立っていた。
「おお、お前さんか。頼まれていたものがもうすぐ出来上がる。部屋に入って、少し待ってくれんか」
「うん!」
子供はここに立ち入るのが初めてのようで、目を輝かせる。そのあともきょろきょろと辺りを見やっていた。だが、鍛冶屋の男の姿が視界に飛び込んできてからは、子供は真っ直ぐに彼を見つめていた。
刃のように鋭い眼差し、切れ味を悪くせぬよう寸分違えずに研ぐその姿は、幼いなりにも何か感じるところがあるのだろう。子供は息を詰めて鍛冶屋を見つめる。
いつまでそうしていただろうか。鍛冶屋がふっと笑い、辺りの空気も綻ぶように感じた。
「ぼうや、できたよ。ほら、持ってお帰り。」
そして鍛冶屋は振り返り、笑顔で子供にそう告げた。子供は詰めていた息を勢いよく吐き出して、駆け寄る。
「気を付けて持つんだぞ。この鎌はよく切れるからな」
「おじいさんありがとう!えっと、これ!」
子供の差し出したものは、米だった。ここの辺りは農家が多いため、物々交換も多い。鍛冶屋はその子供の手をそっと押し戻す。
「こんなに貰えんよ。」
「え、でも母さんが…」
「わしには家族はおらん。だからこれで十分だよ。」
子供の手元に戻ってきた米は、持って来た半分はある。この量なら、子供の兄弟たちならば全員賄える量だった。
「…わかった。」
親に頼まれていたことと違うことが起きたので、もう少し粘っておつかいを見事に果たしたい気持ちもあったのだが、鍛冶屋の顔を見ると、これ以上粘っても無駄だと子供は悟った。
鍛冶屋は笑顔を絶やさずにいたが、彼は一度決めたら引かない人間だ、と何となく伝わってきたのだ。
「おじいさん!ありがとね!」
そう言って子供は駆け出す。鍛冶屋は子供の姿が見えなくなるまで見送っていた。
・・・・
鍛冶屋は誰もおらず、しんとしている部屋で一人息をつく。熱気もとうに失せ、外から聞こえてくるセミの声の騒々しさが、侘しさを掻き立てる。
「今日はこれでしまいか。」
そう呟くとどっと疲れが押し寄せた。軋む体を引き摺りながら、隣の部屋へ行く。その部屋には幾振りかの刀が飾られていた。無機質な鈍い光を放ち、沈黙を保っている。本来ならば、この刀たちは戦で名を轟かせるはずだった。しかし鍛冶屋が国のために刀を作ることをやめ、出番を失ったまま、今に至る。
しかし、今からでも鍛冶屋がこの刀たちを世に送り出せば、みな喉から手が出るほど欲しがり奪い合うだろう。彼はそれほどの刀匠なのだ。
かつてこの国は小国でしかなかった。しかし凄まじい速さで国力をつけ、周辺の国々を武力で押さえ込み、今や対抗できる国がいないほどの大国となっている。
その大国になるために必要だった軍事力は、鍛冶屋の尽力した所が大きい。鉄器の刀が主流となった頃、鍛冶屋は独自の鉄の配合と冷却によって、誰にも負けぬ刀を作り上げたのだ。
その刀は鋭く、そしていくら人の血を被っても切れ味は変わらなかった。その上、羽のように軽かったのだ。
その刀たちは主力の武人の手に渡っていき、たった一人で一夜のうちに千以上もの敵兵を斬ったとも言われている。
そしてその刀を作った鍛冶屋は称えられ、地位を授けられ、王族や軍御用達の刀鍛冶となったのだ。
そんな栄華を誇った彼が、なぜこんなにもひっそりとした農村の隅に居を構えているのか。それは彼以外誰にもわからない。
そして、ここの農村の人々は武勇伝を持つ武将たちの刀を作っていた男がここにいるなど知りもしなかった。
人づきあいの苦手な男が喧騒を嫌い、商業地区から離れ、居ついていると思っているのだ。
「お前たちは…。今に不満はないのか?」
本来ならば戦の地で人を屠る身だった刀たち。もう二度と刀は打たず、世にも出さないと決めていたが、こうして問いたくなることが何度もあった。しかし、彼らは黙したままで、答えが見つかることなどこの先来ないだろう。
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