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第五章 夢霊の女王と死霊術師

そして、悪夢は舞い降りた

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 月光に照らされながら舞い降りるその優雅さは、まさしく黒曜と称するに相応しい‥‥‥
 闇よりも暗く、墨のように光を吸い込みながらその鳥はやってきた。
 どこか不穏な騒動の空気を漂わせながら。

「ラス。どこかで会う気がしていたよ」
「これは宮廷死霊術師様‥‥‥、イディス様がなにゆえこのような場に?」
「うん? 俺は上からやって来たんだよ。ラスたちと同じようにさ」

 ふうん、とラスは降り立ったあたりをそっと見渡して何かを覚えたようだった。
 バルバロス王の隣に座る彼を見て、珍しいとそう口にしたのだ。

「ロア族の王、お初にお目にかかります。天空よりの訪問、どうかお許しください」
「お許しと言われてもな。あなたがどこのどなたか、我らは何も知らない。領主様はご存知のようだが」
「領主‥‥‥?」

 不思議そうにそう呼ばれたアーチャーとバルバロス王を見比べ、その後ろにうずくまるイオリを見――
 今度は面白そうな顔を作っていた。
 着ているドレスは以前に会った時のものと違いより豪奢を増しているラスは、美しいというよりも妖艶な美を放っていた。

「イディス様? 領主様とはまたこれいかに?」
「左遷、かな? ありていに言えばそんなとこだよ。あれ以降、勇者ライルにパーティーを放逐されて、いまはロアのお姫様を妻に迎えろと迫られている。そんなとこかな? まあ、預かりになりそうだが」
「アーチャー!?」
「いいから、俺のモノになりたいなら黙ってろ」
「うー‥‥‥」

 そんな気もないくせに。
 イオリもそれなりに賢くなっている?
 だがアーチャーの手元から不機嫌を理由に盃を奪ったのを見て、これで静かになるだろうとアーチャーとバルバロス王は顔を見合わせていた。
 納得がいかないという態度のイオリをそっと抱き寄せながら、死霊術師は改めてラスを見る。
 席を用意しろという命が王から下り、彼女はルカとアーチャーの合間という微妙な場に席を設けらえていた。

「ご先祖様‥‥‥?」
「あら、あなたはバジェスの血を継ぐ末裔かしら? それでもまだ血があるだけましかもしれない」
「末裔と言いますか、いえ、バジェスの正統はすでに無く‥‥‥」
「それもそうね。我らの本流はあのカイネの時代に失われたもの。悲しいこと」
「カイネ? チェネブ神のことですか?」
「そうよ、あなたたちには歴史も満足に伝わってないの? 複翼もないなんて、憐れな子だこと‥‥‥」
「ラスっ」

 言い返せない悔しさに言葉を堪えるルカを見て、思わずアーチャーは口をはさんでしまっていた。
 魔族は古ければ古いほど、その血統も純血に近いものになる。
 その意味では、どちらが高潔かといえばルカは俗、に近いものになってしまう。
 だが、古ければ良い、新しければ駄目。
 そんな価値観が、彼の肌には合わなかった。

「なんでしょうか、イディス様。ああいえ、領主様‥‥‥しかし、不思議なこと」
「何も不思議はないよ。ただ、この地は俺の下にある。まずは俺を立ててもらいたいな」
「ふっ、うふふ」
「何がおかしい?」
「だって、たかだか人間の領主なんて――この魔界を知らないにも程がありますよ、イディス様」
「魔王に対して不遜だ、とでも言いたいのか? あいにくと俺はライルのような身の程知らずじゃない。古き王たちに倣えという気は無いよ」
「ですが、宮廷‥‥‥いえ、新領主様。それを仰るな我が主は更なる主を得まして」
「ああ、そういう意味かよ。ラスクーナの国王、魔王エミスティア様、だったか?」
「ええ、さようでございます」
「第五位の魔王‥‥‥夢魔の女王が、この最果ての地に何の用かな」

 とりあえず飲むかとイオリが抱きしめて離さない盃を奪うと、少女は眠たそうな顔をして無駄に抗い、ラスの持つ妖しさにぼうっと見入っていた。

「受けてくれるか?」
「頂けるならば。でもどのような盃になりましょうかね」
「上も下もない。ただの知己に再会した。そんな、祝いの酒でいいんじゃないか?」
「再会の盃ですか。ならば、まだ話にはなりますね、領主様」

 ラスは控えているようで控えない。
 丁寧でいるようで無礼。
 へりくだっているようで、まるでその気を見せない。
 あくまで自分はアーチャーよりもこの場にいる誰よりも古き偉大なるもの。
 そんな雰囲気を崩さないでいた。
 これを面白く思わないのは誰でもない、その子孫たるルカだった。
 もっともこの天空はルカたち、現世の黒曜族の領分。
 勝手にやってきて好き勝手を言われるのも、彼女には面白いはずがなかった。
 
「何ですか、ご先祖様。仮にも彼はこの最果ての地を託された身ですよ。少しは身を引いて頂きたいと思います‥‥‥」
「あら、この子ったら。そう見えていたの? 私にはそんな気は無かったのよ? あなた――」
「ルカです、氏族名を頂けるような身分ではありません‥‥‥」
「そう。なら、イニアスの氏族を名乗ると良いわ。私の持つ、限りない名の一つだから」
「イニアスって――」

 溜まりかねて今度はルカがそう言ってしまう。
 だが、ラスのあまりにも冷たい力強い目を見ると、ただ黙ってしまうしかなかった。
 おまけにイニアス氏族、それはずっと昔に失われた旧い氏族名だ。
 名乗れと言われても、自分には無理ですとしかルカには言えなかった。

「名乗れないと? 私が許可しているのに?」
「ラス様が許可なされても、我が王は許されません。私は名もなき一族の端に連なる者ですから。そんな大層な名前‥‥‥」
「名乗ったら命に関わるんだろ、ルカ?」
「ええ‥‥‥領主様の言われるとおりです」

 はあっ、とルカが悲しそうにため息をつくとさすが同族、ラスも似たような声を漏らしていた。
 似た者同士だよな、二千年の時間が経過していても。
 そう思ったのはアーチャーだけではないらしい。
 バルバロス王も困ったような顔をしていて、アーチャーはこの義父ともいえる彼のことを他人だと思えなくなっていた。
 苦労人。
 その一言がどことなく似合う感じが自分に似ていたからだ。

「ルカ、いいよ。俺があとから触れを出す。正式に名乗れるまで大事に抱いておけばいいさ」
「えっ? でもそれでは我が王が――」
「王よりも偉大なるご先祖様がそこにいるだろ? この決定に文句をつけるようなら、ラスはお前の王の城に乗り込んで行くだろうな」
「それは――困ります。でも、家族もいますし‥‥‥」
「ならパルド市に呼べばいいだろ。まあ、そう簡単には行かないだろうけどな」

 身分って世知辛いわ。
 そうラスが漏らすのを、死霊術師や周りの面々は聞いてあきれていた。
 さっきまでは自分がその血統を盾にして、威張っていたのに。
 果実酒が効いたのか、それとも落ちぶれた子孫を見て悲しくなったのか。
 ラスはあの時、とそっと何かを思い出しているようだった。

「あの時、シェナ様とイゼア様がちゃんと夫婦になられていたら。竜神アルバス様がカイネに討たれなければ。魔神グレアム様がまだ存命だったら‥‥‥世界はまだ、魔族はまだ地上世界に生きていられたはずなのに」
「シェナ様に、イゼア様ですと??」
「ええ、そうよ。ロアの王」

 そう、声を上げたのはバルバロス王だった。
 彼はその二人の名を知っているようで、悲しそうな顔を浮かべるのはラスとよく似ていた。

「ロアの英雄。だが、虚空に去ったとも言われる」
「そう、かも? シェナ様は我が黒曜族の始祖ともいえるべきバジェスの最後の姫。イゼア様はロアの魔王の第一子だった」
「ロアが魔王?? そんな話は聞いておりませんが――」
「どこかで狂ったのでしょうね。ロアよりもレパードやグリムガルが覇を一族の中で競っているなんて。この魔界に降りて初めて知りましたよ」
「詳しく‥‥‥伺いたいですな」
「そうですか? 領主様が許可されるなら、古い話でもしましょかね。この酒のお返しに」

 二人の視線がアーチャーに集まる。
 だが、死霊術師はそれを首を振って否定した。

「俺がいないところでも出来る話だろ、それは。ラス、ここに来た理由を知りたい。まさか、いまさら子孫を従えに来たなんて――言わないよな?」
「まさか。そんな気はありませんよ。本当ならば主と共に深く眠るはずでしたので」
「なら、何をしにここに来た? しかも、この結界に入ってくるなんて、な?」
「それは――ここより少しばかり地下世界の入り口に近いあの街‥‥‥そう、パルドでしたね。そこで行われたからですよ、死霊術師様。魔人様の作り上げた結界を誰かが意図して操作した。あんな夢まがいなものを見せられるなんて――」

 我が夢魔の女王は大層、不満だそうですよ。
 そう、笑顔でラスは告げるのだった。 

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