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第二章

補正される世界線 1

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「参ったな‥‥‥遠矢にはかなわないや」
 金曜の夜に仲間たちと走る峠を抜けて、友紀は隣県まで足を延ばしていた。
 どこを目指す訳でもなく、ガソリンがもつ距離をのんびりと流していく。
 遠くに遠くに行きたいと道を走らせてきたはずなのに。
 気づけば、見慣れた街並みがそこにはあった。
 国道を一周してきたらしい。
 そう気づいた時、心のなかに誰がいたのかを実感してしまう。
 自宅よりバイト先の職場に近いガソリンスタンドで給油をしている時、ふと呟いてしまっていた。
 セルフだから自分でガソリンを入れている訳だが、後からフルフェイスのヘルメットを脱ぐのではなかったと友紀は後悔することになる。
 半分ほどガソリンタンクに燃料を入れた時だった。
 その赤い、原付がすぐそばのレーンに止まったのは。
 ガソリンメーターに視線をやっていた友紀は相手が誰だか気づくのが遅れた。
 声をかけられて初めて彼女が誰かを認識する。
「あれ、遠矢さん?
 いつもと違うバイク? 原付だけかと思ってた」
 遠矢?
 また双子の兄と間違え声をかけられた。
 そう思いながら振り返ると、バイト先の同僚。
 友紀が遠矢の名前を使って声を仲良くしていた年上の大学生、甘利佳南がそこにいた。
「あ、ああ佳南じゃん。
 なんで、ここに?
 住んでるとこ反対じゃ?」
 何度か仕事中に交わした会話でその程度のことは知っていた。
 二歳年上の近所の私立大学に通いながら夜勤の時間帯でアルバイトをしている。
 確か、経営学部だったか?
 七星や樹乃並みに身長が高い彼女はヒールを履いていたから、目線は友紀より少しだけ高かった。
「うん、今日は街に買い物に来たの。
 そろそろ秋物がセールだから。
 遠矢さんは?
 そのバイク、おっきいね?」
 近寄ってきて、チームのステッカーだの、好みで付け替えた足回りだの。
 いろいろと趣味がいいね、綺麗だね。
 そう誉めてくれるのは嬉しかったが、都度、遠矢さん。
 そう呼ばれるのは罪悪感しか生まれない。ましてや、秋穂なんて存在が心にまだいたなんてーー
 そんな事実を思い知らされた後なのに。
「あのー佳南、ごめん。
 僕、弟の方なんだけど‥‥‥?」
 遠矢じゃないよ?
 そう軽く否定してみた。
「ふうんー‥‥‥」
 間近で見る大人の女性に近い佳南は、秋穂とは違う余裕に溢れていた。
 そういえば、そのスタイルの良さを生かしてたまにモデルなんかもしている。 
 そんな話を交わした記憶も友紀にはあった。
「な、なにかな?」
 思わせぶりな素振りと、短パンにキャミソール、外側にだけどこかのブランド物の厚手のカーディガン。
 何もかもを見透かしているようなその視線が、逆に友紀をイラつかせた。
 丁度、給油が完了した。
 そんな音声が流れたから、給油ノズルをしまい給油口を閉めて友紀はバイクにまたがろうとした。
 その時だ、佳南が思わぬ一言を投げかけて来たのは。
「やっぱり、双子でも違いはあるんだね、遠矢さん?」
 自信ありげなその問いかけに背筋が一瞬だけ寒くなる。
「いや、だから僕はーー」
 そう改めて振り返ると、佳南の顔がそこにあった。
「ほら、ここ。
 オデコの右側。
 遠矢さんなら、必ずしわがあるもの。
 あれはずっと友紀君だったんだね?
 工場だとマスクと帽子で目しか分からないから、佳南が知らないと思ってた?」
 にっこりと微笑みながら、怒ってはいない。
 だけど、騙してたんだ?
 そんな視線で見られると、罪悪感だけしか残らない。
「いつからーー???」
 佳南と同じシフトにはいったのは、五回もなかったはずだ。
 しかもこの二週間足らず。こんな短期間でバレるなんて。
 シフト表は派遣会社しかわからないし、佳南は別の派遣会社から派遣されてるはずなのに。
「うーん‥‥‥二回目?
 三回目かな?
 途中で、秋津さんに相談したんだよね。
 そしたら、遠矢さん目が見えないよって言われて」
 七星のばか。余計なことを‥‥‥!
「で、佳南さんどっちが好きなの、なんて聞かれたから意味が分からなくて。
 よくよく話聞いてたら、双子の弟さんもいるよ、なんて周りの人に教えて貰ったから」
 七星だけじゃないんだ?
 ああ、それで遠矢が噂になってるって怒ってたのか、と友紀は理解した。
「そんなに相談するほど、気になったんだ?」
 思わず、否定されるだろう質問を振ってみた。
 あれ、なんで固まる?
 怒るとこだよね、ここ。
 友紀の方が佳南の反応に困ってしまう。
「あの、さ。
 どっちが好きなの?」
 こんな質問にまともな返事なんかしないだろう。
 そう友紀は踏まえた上で発言する。秋穂の存在を忘れたい。
 誰ともいまは深く関わりたくなかった。
「どっち、かあ。
 難しいなあ、秋津さんからは遠矢さんはなかなかこの時間帯入らないよって聞いたからずらしてみたり。
 してみて話したんだけどね。
 あんまりピンと来ない。癖も分かったし、ね?
 だから、友紀君だなあって。
 通りすがりにパッとみて思ったんだけど、確認しよーかなってさ。
 で、いま話してる」
 そんな一人で話ながら、僕のバイクの後ろ跨がないでよ。
 その丈の短い短パンでさ。チームの連中に見られたらなんて言われることやら‥‥‥
「あのさ、佳南って、呼び捨てはごめん。
 甘利さんさ、騙してたのは謝るよ、悪かった。
 ただ、そういう気持ちではなかったーー」
「とは言わないよね?
 今更?」
「え、いやだからさ」
「誘ったよね?
 遊びに行こうか、って。佳南のこと。
 遠矢さんの仮面つけて」
 ああ、怒りがあるんだね。
 まあ、それは当然だな。
 騙してたんだから。
「誘った。
 遊びに行こうってね。いやらしい意味はなかったよ。
 ただ」
「ただ?」
「もっと話をしたいとは思って誘った。
 それは嘘じゃない。まあ、キモいよね、ごめん。
 兄貴の名前使ったのは謝るから、そこどいてくれないか?」
 だが、謝るどうこうよりも佳南には不思議だったらしい。
 どけと言われたことが。
「なんで?
 佳南乗せてくれないんだ?」
 いや待てよ‥‥‥ちょっと。
 そういうやり返し方は誤解させるには、まあ、いい方法だよね。
 遊んでるのか、からかってるのか、天然なのか。
 適当にからかってからバカにされて怒られてからの、バイト先で全部しゃべられて追い出される。
 そんなパターンだろうな。
 友紀はそう思った。
 最悪の展開でもまあ、いいか。
 バイト先は遠矢も七星も樹乃もいる。
 居づらいなら、移るにはいい機会だとも思った。
「女は乗せないんだ。
 男もだけど、後ろには誰も乗せない」
「なんで?」
 その名前通りに甘えてくる仕草はなんなんだよ‥‥‥
「危ないからさ。
 佳南がもし、彼女でもだめだ」
「ふーん?
 なら、奥さんならいいんだ?」
 秋穂を乗せたことは何度もある。
 この一年で病院に連れて行くときも、そうじゃない時もそうしてきた。
 共有されても、妻だと思ってきたから。
 なんでこうも思い知らされる一日なんだと頭が痛くなりそうだった。
「そうだな、妻ならあるかもな。
 もういいだろ? どけよ、佳南」
 あ、しまった。
 ついつい、苛立ちで本性が見え隠れしてる。
 これは穏便に退職できないかもな?
 自分のことばかりに頭が回って、佳南のことはどうでもよくなっていた。
「そっか。
 それが、友紀君なんだ。
 遠矢さんとは違う面がまた見れたね」
 遠矢、遠矢ってうるさい女だ。
「兄貴が好きなら、兄貴を追いかければいいだろ?
 比較すんならのけよ」
「じゃあ、友紀だけを見てたらのかなくてもいいの?」
「いや、意味わからないだろそれ。
 佳南はさっさと僕をあの工場から追い出したいんじゃないの?
 周りに噂されまくってるって遠矢からキレられたよ、ついさっきさ」
 大人の女性って怖いね、本当に。
 鈍感な僕には先が見えないよ。
「へー、そっか。
 友紀は周り見えてないんだね。遠矢さん、あれだけ大人なのに」
「見えてない子供に騙される大学生も、大学生だと思うけど?
 そんなからかいまでしてさ。
 大人げないね?」
 そう思うんなら、さっさと兄貴にいけよ。
 秋穂の心を独占してるだろう、兄貴のとこへさ。
「そうかなー?
 佳南は子供っぽくてキレやすい、冷たい友紀が好きだけど?」
「本当にからかいが上手いね、甘利さん。
 僕は年上に興味ないから。
 マジでどいて?」
 つれないなー、そんな事を言いながら佳南はバイクから降りて原付に戻って行く。
「友紀さーもう少し暇だよね?
 工場でこれ言わないから、代わりに付き合わない?
 あと少しだけ。買い物選んでよ、一緒にさ」
 交換条件だして安心させておいて。 
 次にシフトに入ったら周りから四面楚歌。
 いい報復だと思うよ、本当に。
 そう思いながら、友紀は提案を受けることにした。
「いいよ、ならバイクで先に行くから。
 どこにいればいい?」
「乗せてくれないんだ?
 まあ、いいっか。駅前のスタバでどう?」
 返事をするのがめんどくさいから先にスタートしてガソリンスタンドを友紀は飛び出していく。
「あーあ、本当に冷たい。
 佳南はそういうのが好きなんだけど」
 そんな一言を聞き逃したことを友紀は知らない。
「お疲れ様です。
 高遠ですけど、ええ、友紀のほうです。
 すいません、ちょっと家庭でいろいろとありまして。
 ええ、来週から退職を。いえ、兄たちはそのままです。 
 両親のいる海外に呼ばれて、ええ、すいません。
 よろしくお願いします」
 そんな電話を友紀が派遣会社の事務所に入れ終わった頃に、佳南はのんびりと原付を走らせてやってきた。
 スタバで最新の商品を手に一時間の何気ない会話を聞き流し、その上にそびえるファッションビルで買い物に付き合う。佳南のセンスはいいものがあった。
 秋穂にもあれくらいのセンスがあればな。
 それよりも、あれくらい自由に動けるようにしてやれればな。
 そんな後悔だけが脳裏を占めていく。
「ねえ、これ友紀に似合うんじゃない?」
 セール品の秋物のジャケット。黒のフォーマルなやつで、何にでも合うだろう。
「センスいいね、佳南は」
 つい、誉めてしまった。いけないと理解しているのに。
「着てみてよ? ほら」
 無理矢理、着さされてしまい、気づいたら購入してくれて‥‥‥
「おい、これって‥‥‥」
 文句は相手も素通りさせることにしたらしい。
 何も聞き入れて貰えない。
 なんだかんだで、数時間を付き合わされてあのジャケットは友紀の隣にあった。
「こんな高い物‥‥‥」
「いいのいいの。
 佳南がそれがいいと思ったから買ったの」
 変な女だなあ。呆れて物が言えない。
 結局、ビルの飲食店街の一つで、夕食まで付き合う羽目になった。
 注文を待つ間、彼女が化粧室へと消えてくれた。
「さ、行くか」
 注文した全額分の代金をすぐには見えないようにテーブルの上に置いたメニューの下に隠す。
 そのまま、トイレに行くと言い、ビルを降りてこのジャケットを購入した店へ。
 レシートは佳南から貰っておいたから返品しておいた。
 勿論、これの代金もあのメニューの下に置いてある。
 佳南が席に戻った時、友紀の姿と彼に買ってあげた商品の袋が消えていた。
 食事が運ばれてきてメニューの下に、佳南はジャケット分の代金込みの食事代全額を見つける。
 ああ、逃げられたんだ。
 そう理解して初めて佳南は泣きそうになった。
 翌週、バイト先で会えるだろう。
 そう思ってシフトに入ったら、彼はいない。
 前に相談した秋津さん。つまり七星から友紀さん?
 辞めたよ? そう不思議そうに言われてショックを受ける。
「なんでだろ?
 なんか先週の昼間かな? いきなり電話かかってきて家庭事情とか。
 さっき派遣会社の営業の人言ってたのななせ、聞きましたけど。
 あれ、甘利さん遠矢さん目当てじゃない?」
 ほぼ、内情を知りながら七星は適当に爆弾を放り込んでみる。
 友紀が職場をやめた原因は、友紀が悪い。
 遠矢の名前を使って、甘利佳南と遊ぼうとしたのだから。
 七星はそれは知っていたが、どうもこの甘利と言う女子大生はどっちかに気がありそうだ。
 そう思っての質問だった。
「それにほら。
 遠矢さんなら、あそこにいますよ。休憩時間被ったみたい。
 ななせ、声かけてこようか?」
 と更に追い込んでみる。
「え‥‥‥ううん、いいの。
 ごめんね、変なこと、質問して」
 そう言って佳南は席を後にした。
「ふーん‥‥‥ななせはなんとなく理解したよ」
 名探偵のアンテナに、なにかひっかかったらしい。
「でもめんどくさいからパス。
 友紀が自分で蒔いた種、誰も刈らないからねーー」
 名探偵七星はつくづく、樹乃以外にはドライで冷たかった。
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