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プロローグ
第0話 暴走する魔導車
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王都郊外の車道を、一台の魔導車が疾走していた。
道は舗装されたレンガが敷き詰められており、魔導車は凄まじいスピードでその上を蛇行している。
車輪は前後合わせて四つ。
引き馬のいない馬車が自走していると考えたら分かりやすい。
その後部にある車輪の一つは大破し、レンガ道とこすれて大量の火花を散らしていた。
やがて、車は歩行者専用の一段高くなった部分にぶつかり、けたたましい音を鳴らして、左へと大きく転倒しそうになったが、どうにか持ち堪えていた。
中に居るのは、お抱えの運転手と令嬢が一人。
彼女の名は、エネミー侯爵令嬢ナタリーといった。
「きゃあっ!」
「お嬢様! もうしばらくで、屋敷に到着します、どうか持ってくれよ……ッ!」
上がる悲鳴、運転手は額に大量の汗を垂らしながら、ハンドルから両手を離さない。
彼らが目指しているのは、郊外にある侯爵家の別邸。
そこで父親と落ち合い、そのまま夜会へと顔を出すはずだったのだが。
どうやらそれは叶わなさそうだ。
「くそっ、なんでよりにもよってこんな日に! あれ? あっ、ブレーキが」
「何言って? あ! あなた、前をっ! まえええっ――――っ!」
ズタダダっ、と激しい音を立て、車は侯爵家と道の合間にある川に前進する。
このままでは欄干に激突し中にいる人間は車外に放り出されたまま、大河の支流へと消えていくことだろう。
昨夜降った雨のせいで、河は増水し呑み込まれたら二度と、生きては帰れなさそうだった。
「ひっ……ッ! アンダーソン!」
「あああっ、神様ー!」
欄干を突き破り、車は眼下の支流に向けて落下する……はずだった。
魔導車がドスンっ、と重く鈍い音を立てて、停車する。
激突のショックで後部座席から放り出されたナタリーは、窓ガラスを突き抜けて外へと放り出されてしまった。
もう、これで終わりなのね……!
短い人生。
たった十六年の人生だ。
今夜は国王陛下主催の夜会で、婚約者である公子アレッサンドロとの正式な結婚の日取りが決まった報告をするはずだったのに。
――どうして、こんな日に!
ナタリーは涙を零しながら中空を舞う。
あと数秒で濁流の中に呑まれる、というところで誰かが彼女をふわりと受け止めた。
懐かしい匂いがする。年寄りくさいといっては悪いが、彼が愛用しているムスクの香りだった。
「お怪我はございませんか、お嬢様」
懐かしい声がした。暖くて力強い、年齢の割にかくしゃくとした声だ。
執事、アンダーソンの優しさに満ちた、包容力のある声だった。
そして、事実。抱擁されていた。
「え……? アンダーソン? えええっ……?」
「大変遅くなり、申し訳ございません、お嬢様。シシリー侯爵家筆頭執事アンダーソン、ここに馳せ参じました」
「はああぁ? え、だって、車。ええええっ」
ナタリーは腰まである美しい金髪を振り乱し、信じられないといった感じで、自分を抱きかかえている老爺の顔を覗き見た。
彼のかけている黒縁眼鏡のレンズには、そのあどけない苔色の瞳が、目一杯見開かれているのが映り込んでいる。
「先に暴走した車を止める必要がありました。オージスを放置しては、家名に関わりますので」
「それは良い行いだけれども」
オージスとは先ほどまで運転席で必死に車を操っていた、お抱え運転手のことだ。
今年、四十になる彼は、つい昨年末に遅い結婚をしたのだった。
欄干に激突したはずの魔導車はエンジン部分に巨大なへこみが見受けられた。
オージスは車内からいつの間にか車内から、数メートル離れた大木の根元に寝かされている。
「お嬢様の救出を最後に選んだこのアンダーソンをどうか、お許しください」
「べっ、別に良いわよ……。どうせ、分かっていたのでしょう? これがあるということを」
言いながら執事の手から離れ、大地に足をついたナタリーは、まとったえんじ色のドレスのしわを直し、裾についた汚れを払って、体裁を整えている。
彼女の胸に煌めく宝石が一つ。
それは持ち主の身代わりになり、一度だけならどんな怪我でも病気でも身代わりになってくれる護符だった。
「さすがお嬢様。聡明なご回答、恐縮でございます」
「恐縮しなくたっていいじゃない。まったく……分かっていて、私を最後にするんだから。いつもながら、あなたには敵わないわ。でも、助けてくれるって信じてた」
そう褒められて執事は痛み入る。
オールバックにした銀髪を手で撫でつけると、眼鏡の位置を少しだけ手直ししてから、胸に腕を当てて一礼した。
助けられたナタリーは仕方のない筆頭執事ね、と苦笑する。
二人の後ろで、魔導車が激しく燃え上がったのは、そのすぐ後のことだった。
道は舗装されたレンガが敷き詰められており、魔導車は凄まじいスピードでその上を蛇行している。
車輪は前後合わせて四つ。
引き馬のいない馬車が自走していると考えたら分かりやすい。
その後部にある車輪の一つは大破し、レンガ道とこすれて大量の火花を散らしていた。
やがて、車は歩行者専用の一段高くなった部分にぶつかり、けたたましい音を鳴らして、左へと大きく転倒しそうになったが、どうにか持ち堪えていた。
中に居るのは、お抱えの運転手と令嬢が一人。
彼女の名は、エネミー侯爵令嬢ナタリーといった。
「きゃあっ!」
「お嬢様! もうしばらくで、屋敷に到着します、どうか持ってくれよ……ッ!」
上がる悲鳴、運転手は額に大量の汗を垂らしながら、ハンドルから両手を離さない。
彼らが目指しているのは、郊外にある侯爵家の別邸。
そこで父親と落ち合い、そのまま夜会へと顔を出すはずだったのだが。
どうやらそれは叶わなさそうだ。
「くそっ、なんでよりにもよってこんな日に! あれ? あっ、ブレーキが」
「何言って? あ! あなた、前をっ! まえええっ――――っ!」
ズタダダっ、と激しい音を立て、車は侯爵家と道の合間にある川に前進する。
このままでは欄干に激突し中にいる人間は車外に放り出されたまま、大河の支流へと消えていくことだろう。
昨夜降った雨のせいで、河は増水し呑み込まれたら二度と、生きては帰れなさそうだった。
「ひっ……ッ! アンダーソン!」
「あああっ、神様ー!」
欄干を突き破り、車は眼下の支流に向けて落下する……はずだった。
魔導車がドスンっ、と重く鈍い音を立てて、停車する。
激突のショックで後部座席から放り出されたナタリーは、窓ガラスを突き抜けて外へと放り出されてしまった。
もう、これで終わりなのね……!
短い人生。
たった十六年の人生だ。
今夜は国王陛下主催の夜会で、婚約者である公子アレッサンドロとの正式な結婚の日取りが決まった報告をするはずだったのに。
――どうして、こんな日に!
ナタリーは涙を零しながら中空を舞う。
あと数秒で濁流の中に呑まれる、というところで誰かが彼女をふわりと受け止めた。
懐かしい匂いがする。年寄りくさいといっては悪いが、彼が愛用しているムスクの香りだった。
「お怪我はございませんか、お嬢様」
懐かしい声がした。暖くて力強い、年齢の割にかくしゃくとした声だ。
執事、アンダーソンの優しさに満ちた、包容力のある声だった。
そして、事実。抱擁されていた。
「え……? アンダーソン? えええっ……?」
「大変遅くなり、申し訳ございません、お嬢様。シシリー侯爵家筆頭執事アンダーソン、ここに馳せ参じました」
「はああぁ? え、だって、車。ええええっ」
ナタリーは腰まである美しい金髪を振り乱し、信じられないといった感じで、自分を抱きかかえている老爺の顔を覗き見た。
彼のかけている黒縁眼鏡のレンズには、そのあどけない苔色の瞳が、目一杯見開かれているのが映り込んでいる。
「先に暴走した車を止める必要がありました。オージスを放置しては、家名に関わりますので」
「それは良い行いだけれども」
オージスとは先ほどまで運転席で必死に車を操っていた、お抱え運転手のことだ。
今年、四十になる彼は、つい昨年末に遅い結婚をしたのだった。
欄干に激突したはずの魔導車はエンジン部分に巨大なへこみが見受けられた。
オージスは車内からいつの間にか車内から、数メートル離れた大木の根元に寝かされている。
「お嬢様の救出を最後に選んだこのアンダーソンをどうか、お許しください」
「べっ、別に良いわよ……。どうせ、分かっていたのでしょう? これがあるということを」
言いながら執事の手から離れ、大地に足をついたナタリーは、まとったえんじ色のドレスのしわを直し、裾についた汚れを払って、体裁を整えている。
彼女の胸に煌めく宝石が一つ。
それは持ち主の身代わりになり、一度だけならどんな怪我でも病気でも身代わりになってくれる護符だった。
「さすがお嬢様。聡明なご回答、恐縮でございます」
「恐縮しなくたっていいじゃない。まったく……分かっていて、私を最後にするんだから。いつもながら、あなたには敵わないわ。でも、助けてくれるって信じてた」
そう褒められて執事は痛み入る。
オールバックにした銀髪を手で撫でつけると、眼鏡の位置を少しだけ手直ししてから、胸に腕を当てて一礼した。
助けられたナタリーは仕方のない筆頭執事ね、と苦笑する。
二人の後ろで、魔導車が激しく燃え上がったのは、そのすぐ後のことだった。
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