伝説の湖畔の塔と三匹のエルフたち

星ふくろう

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沙雪が消えた夜

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「なんだとー?
 お前、その口の利き方」
 どうやら、百田教授の怒りに触れたらしい。
 だが、沙雪はひるまなかった。
「なんですかー?
 昨日も一昨日もわたしたちでしたよねー?
 別にいいんですよ?
 このトラック一台と予備のガソリンあればわたしたち、自分で運転して帰りますからねー!!!!!」
 まだ何も積み込んでないトラックと、下に置いてある食材のケースとガソリンが入った簡易タンクを指差して言ってやる。
 ここに来て数週間。
 運転免許など持たなくても、MT車もAT車も関係なく運転しろと言われて、運転を教え込まれていたから逃走しようと思えば何も問題が無いのだ。
 他の公募に応募した高校生たちもそうだそうだ、とばかりにやいのやいの、と文句を叫んでやる。
「そこ行くからな!
 逃げるなよ!」
 どうやら、頭に来たらしい。
 百田教授は昨夜から痛む腰を抑えながら5メートルに近い坂道をゆっくりと歩いてこようとしていた。
「あれ、教授くるぜあれ」
「沙雪、やばいんじゃない?」
 そんな声が後ろから聞こえるが、当の本人は機材を縛り付けることに夢中でそんなのは後回しだ。
「あーあ、あれ本気で怒ってるわ……」
 何人かがそういうので、さすがの沙雪も心配になり、後ろをちらっと振り返る。
 たしかに百田教授が坂道を降りてきて、こちらに向かっているのが見てとれた。
 ただし、その歩く速度は常人より何倍も、スローペースではあったが。
「はあ……。
 いいよ、ここ私がするから。
 みんな、もう積んだやつ運転して上がって。
 教授も拾ってあげて」
 仕方ないなあ、と他の五人は三台のトラックを運転して坂道を上がり、途中で一台が教授を乗せようとして口論になっている。
 どうやら、沙雪にいますぐ一言物申さないと気が済まないらしい。
「教授、腰痛いんでしょ?」
「降りて文句言うより上で寝ててくださいよ。本当に邪魔なんで」
 などど聞こえてくるのを聞きながら、沙雪は空のトラックに何から積みこむべきか辺りを見渡した。
 残っているのは簡易食糧などを詰め込んだクーラーボックスと、水類を入れたボトツ群。野営用のテントなどだ。
「じゃあ、まずわっとー」
 上で教授がやいやいと、文句を言うのを仲間たちが止めているのが聞こえる。
「あの人、大した役に立たないんだよね。
 文句だけは一人前なのに。測量の機材すら扱えないし……」
 そう、百田は地質学専門だから訪れた地質を観察し、その年輪などを撮影して記録することに余念がなかった。
 はっきり言えば、今回の活動には必要ない人員なのだ。
 文句を言う教授の声を尻目に、ふと、日本に置いてきた恋人の圭祐を思い出す。
 「ま、そうは言ってもここにいないんじゃ、寂しいなんて言うだけ意味ないか」
 どうやら、周囲になだめられて静かになった教授、はトラックの一台に載せられて、高台のキャンプ地へと移動したらしい。
 辺りが静かになり、陽も沈みかけている。
 早くしないと何も見えなくなる。
 急いで積みこもう。
 身長160センチに満たないその身体で、一つ20kg以上ある荷物を持ちあげて積み込み、さらに崩れないようにロープで縛っていく。
 縛り方も慣れたもので数種類ある結び方を駆使しながら、菱形にしたロープをトラックのフックに括り付けてどうにか荷造りを終えた。

 さあ、車のエンジンをかけて移動しようとするが、どうにも上手くエンジンがかからない。
「あれ?
 機嫌悪いのかなー?」
 電装系を幾つかライトを付けたりしてみるがそれは問題ない。
 バッテリーは一昨日充電したばかりだし、ガソリンも満タンだ。
 そうなると、車のご機嫌伺いになるのだが、彼女には電気系統の知識は皆無だった。
「困ったなー……」
 仕方ない、と高台の誰かを呼びに行くことにした。
 最悪、ロープで牽引してもらい、移動することになるだろう。
 5メートルの坂道。
 上るだけで一苦労だ。
「はあ……」
 軽くため息をついたその時だ。
 ドンっと遠くで何か鈍い音がした。
 それはこちらに近づいてくるが彼女の目線ではわからない。
 最初、それに気づいたのは高台でトラックから降りた百田だった。
「なんだ、あれは……いかん!」
 彼にはそれが何か理解できていた。
 上流で氾濫した昨夜の雨が姿を変えて増水した川の水だった。
「橘ーー! 
 にげろーーーーー!!!」
 叫んだがそれは沙雪には届かない。
 濁流の流れる速度とその音量によって、百田の警告は掻き消されてしまう。

「え?」
 誰かに呼ばれた気がした。
 後方を見ると百田教授が何かを叫んでいる。
 前を見ると、経験したことの無い黒い何かがこちらに向けて押し寄せてくるのがわかった。
 まだ、トラックを降りていなければ。
 もしくはトラックの荷台の上に立てていればまだ助かる見込みはあったかもしれない。
 だがー。
 沙雪はその時はトラックを降りて、高台へ続く坂道を登るために、そこから離れていた。
 そして、坂道までは全力で走って逃げても、濁流の方が押し寄せる速度が早かった。
 誰もが助けに行こうとして間に合わない。
 そんな状況だった。
「けいくん……」
 押し寄せる黒い壁に死を予感した沙雪の最後の言葉は、恋人の名前を呼ぶことで終わった。
「たちばなーーー!!!!!」
 その姿が暗闇の中に流れる奔流に消えた時、数人がその名前を呼んだ。
 だが、濁流が流れて行く中にもはや彼女の姿は無く、トラックの運転席の天井が薄くその頭をのぞかせているだけだった。




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