伝説の湖畔の塔と三匹のエルフたち

星ふくろう

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第二話 ハッシュバルの森

第3話 沙雪TUEEEE

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 まったく!
 沙雪の怒りはここ数日で頂点に達していた。
 ブラウニーと別れてからどれくらいの時間が経過したかはわからない。
 ただ、この世界に着いたときの最初の記憶は、大木の枝に引っかかっていた。
 それが最初だった。
 どうにかそこから降りようとしたら、あっけなく引っかかっていた部分が折れた。
 そのまま、まあ、あれだ。
 香港映画によくあるような、アクションシーンかと思うほどに枝葉を勢いよく突き抜けて行き……。
 当然のように大木であれば何某かの鳥類の巣があってもおかしくないわけであり……。
 なぜか、巣、と思しき丸い。
 いや形容としては枝を器用に使い巨大なボールの一部に出入り口ができたようなその巣にはなぜか卵などなく。
 中にいたにも鳥ではなかった。
 居たのは狼とも思えるような、狐とも言えそうな羽のある四つ足の生物だった。
 まあ、巣にいるということは幼獣だから親はその倍は大きいだろう。
 五匹?と呼んでいいのか、言葉が通じるわけでもないそれらにエサだと勘違いされるのは、これもまた当たり前なことであり。
 天井を突き破って落ちてきたエサを育ち盛りのそれらが、見逃すわけもなく。
 沙雪はあっけなく噛みつかれ、噛みつかれ、噛みつかれ……。
 しかし、服もおろかその身に傷一つつかない状態だから、幼獣たちはこれに怒り更に襲い掛かる。
「ちょっ、ちょっと!
 さきはエサじゃないってばあっ!!!」
 と本人にしては多少叫んだつもりが、彼女の力はブラウニーによって普通の人間は愚か、この異世界でも相当な威力を持つ存在になっていたものだから叫び声一つでも、危険な幼獣たちを気絶させる程度には威力があった。
 ここにタイミング悪く、子供たちにエサを運んできた親が戻ってきてしまった。
 この親が地球でいえば大人のライオンに羽が生えたような生物である。
 もちろん、沙雪にしてみれば見たり聞いたりといった感覚も強化されているが、視界に入ったそれを恐怖として認識するのは当たり前のことだった。
「ひっ……」
 と悲鳴を上げて後ずさりしたところにあるのは、もちろん、気絶した幼獣たちである。
 それを見た親獣の怒りが凄まじさを増す。
 だが普通の人間なら、その場で正しい判断を下せるだろうか?
 それがさらに、異世界のなにも分からない場所で、自身の世界では勝てないどころか生命の危機を覚える相手のような猛獣が目の前にいるのだ。
 恐怖を感じるなというほうが無理、というものだろう。
 まあ、沙雪の異常さというか、その場で意識を失わなかったことは称賛に値するだろう。
 ただ、この場合、可哀想な被害者は彼女ではなかった。
 その親獣と幼獣たちの方が能力的、生存能力的には圧倒的に沙雪より劣っていたのだから。
「来ないで!!!」
 と発したその声の圧力だけで親獣はひるんでしまう。
 しかし、何とかして自身の子供たちをこの眼前にいるより脅威的な捕食者から守ろうとしているのが、実際の現実だ。
 だが、沙雪からすればその真逆な訳である。
 この両者の視点の逆転劇を第三者からしたら、楽しめる者もいるかもしれないが……。
 いまの沙雪の頭の中はパニックである。
 この場所からどうにか逃げようとするが、本能的な恐怖を抑えつつ逃亡するのは無理というものだ。
 結局、両者睨み合いが続き、回避策を思いついたのは沙雪の方だった。
 落下でできた天井の穴が視界に入って来たときに、ふと気づいたのだ。
 上に穴が開くのなら、下にも開ければいいじゃないか、と。
 親獣を視線で牽制しつつ、両腕に力を込めて床を踏み抜くように両手両足を叩きつける。
 結果ー。
「へ?!」
 あっけなく巣に穴が開き、沙雪は再び中空を漂う。
 もとい、落下する物体へとなってしまう。
 可哀想なのは先程の獣の親子だ。
 巣を破壊された上に、上位種(この世界の生態系からすれば)から消しようのない恐怖を与えられたのだから。
 可哀想を通り越して、同情するべきかもしれない。
 しかし、当の沙雪本人はそうは思わない。
 良かった、危うく見知らぬ凶暴な獣から逃れられたー。
 それが、彼女の逃げれた本音だった。
 そして、まだまだ地上は遠く、さきほどのような巣穴を幾つか避けたり、横を通り過ぎたりして、ようやく沙雪は枝の一つに落ち着くことなる。
「はあ……無理、吐く……」
 彼女の存在は位相をずらしてあるからこちらの世界とは別の場所にあるわけだが、ブラウニーはなるべくその場所ではないこちら側。
 つまり、沙雪がかりそめではあるが存在しているこの異世界で感じる感覚を伝えるように設定してある。
 痛みや衝撃だけならどうにでもなっただろうが、視界が様々に交錯する状態は認識を乱した。
 つまり、乗り物酔いのような状態になったわけである。
 ここにブラウニーがいたらため息の一つでもついたことだろう。
 沙雪TUEEEはどこにいったんだ、さきちゃん、と。

 
 しかし、これだけの時間帯を滑落し落ちてきたにも関わらず、この大木の現在の場所からは地上が見えない。
 地球に存在しない大樹の存在を沙雪は酔いが醒めてきた頭で理解しつつあった。
「えーと……。
 ブーちゃんを待つのはいいとして。
 なんだったの、あの獣。
 あーなんかベタベタする……」
 全身を幼獣たちの唾液がついたまま落ちてきて、その落下速度で乾いた唾液はひどい匂いがした。
 幸い、衣服類はあれだけ噛まれ、落下でさまざまな枝葉を突きぬけてきたにも限らずどこも破れていなかった。
 どうやらブラウニーの言う、沙雪TUEEEの表層は彼女の皮膚から十数センチほどの効果を及ぼすようだった。
「うーん。
 ここはどこだろ。
 っていうかあれだよね」
 いま見える範囲で上を見上げた限りでは頂上が見えない。
 まあ、これは枝の位置にもよるから仕方ないとしよう。
 しかし、あれほどの落下してきたということは滞空時間からして、軽く数百メートルは落ちたはずなのだ。
 それなのに、下も上も見えない。
 そしてその高さなのに雲が見えない。
 少なくとも、上には、だ。
 しかしー。
「なんなの、あの下の雲海は……」
 はるか下には確かに。
 いや、間違いなくあの高山地帯で見てきた雲海が広がっている。
 つまり、この大樹は雲が存在する最低でも5000メートルから1万メートル以上の高さにあることになる。
「さて。
 どうしよう。 
 怪我はない。
 お腹も好かない。
 トイレも行きたくならない。
 でも、音や匂いはきちんと伝わる。
 ブーちゃんどんな五感の伝え方をしようとしたんだろ……」
 どうにも文章や想像したことと、現実化された技術には差があるようで順応できるはずだけれどもどうすればよいのか。最大の問題点は致命的な何か、を知らないとこにある。
 真空の宇宙でも生きれるのか?
 太陽の中を歩けるのか?
 深海の水圧に耐えれる?
 いや、何よりもどこまで可能で不可能かが分からない。
「実験……かな」
 試しに腕時計を確認する。
 ソーラー電池で動く充電されるそれは動きはするが、どこまで正確な時間を伝えるかどうか。
 まあ、それはいい。
 デジタル表示の秒針を覚えている範囲の速度でタイミングを計る。
 まあ、多分、普通に動いている。
「せーの」
 息を吸い込んで止める。
 人間が息を止めて我慢できる限界はまあ、適当に考えても数分もてばいいところだろう。
 彼氏が書いていた小説では、アメリカ軍の特殊部隊が訓練をして5分前後の水中運動ができる、あったはずだ。
 そしてー。
 1時間経過してもまったく苦しくない。
「ふむ。
 息はそれなりに持つ、と。
 耐久性もそこそこある、と。
 あとは音と匂いと視界、だよね」
 と、試しに自分で自分の頬をつねってみる。
 これも痛みがない。
 では攻撃力はどうか。
 試すとしたらどれがいい?
 いま立っている枝で試すのはどうにも嫌だ。
 また視界が回るあの感覚は味わいたくない。
「あれでもそうなると、見ることに関しては……」
 わかんないなーと沙雪は頭を捻る。
 もしこの世界に長くいるとして、ブラウニーは魔法がある世界だと言っていた。
 ということは精神的なもの。
 つまり、幻覚や先程のような酔いも影響を受ける可能性がある。
 これはどうしたらいいのだろう。
 伝説にある、見れば石化するモンスターなんかに出くわした日には……。
「あっ、もしかしてー……」
 位相をずらす。
 観測を内から行なうのがこのシステムだからー。
 つまり、自己に対して平常でない感覚をもたらす干渉を遮断すればいいのだ。
「ってことはこうだよね」
 この世界にも太陽が落ち、夜の闇が来るらしい。
 沙雪はその闇の中に存在する光を昼と同じ光度に上げて見えるように集中する。
「うん。
 やっぱりそうだ。
 ブーちゃんが言ってた通り。
 世界は互いに観測しあってる。
 でもさきは違う。
 さきは、さきを観測してるんだ。
 だから、感覚を変えればいいんだね」
 なんとなく、使い方がわかってきた。
 これまでは全ては周囲から。自分に対して干渉されてきた。
 いまは自分から発し、自分に戻るのだ。
「あの親子はさきを見たいからみてたんじゃないんだ。
 さきが見せてたんだね……」
 ということはこの匂いもー。
 存在しないものだと認識すれば、それは消えてなくなった。
 だが、枝葉は消えてなくなりはしない。
 あくまで彼女の周囲にある限られた範囲だけが彼女をこの世界から隔絶させ、そして存在させている。
 とても不思議な感覚だった。
 沙雪は枝、といっても幅数メートルはある、枝、だが。
 そこに座り込むと、夜の闇を復活させる。
 孤独な感覚。
 そして、望めば誰からも観測されない存在になれる。
 ブラウニーは観測されたくても、それを可能な能力を持つ者がいなかったのだろう。
 彼の言う、久遠と圭祐以外には。
 沙雪は世界から観測させるのを一時的にだが、やめることにした。
 とはいっても彼女から観測しなければあちらからは見えない。
 知りたいのは孤独。
 何も存在しない、静かな孤独。
 人類の誰かは感じた経験があるのかもしれない。
 伝説や神話にある存在たちならば。
 今度は沙雪が知る番だ。
 寂しさを、冷たさを、繋がらない何かを。
 夜が静かに静かに、世界を紡いでいく。
 闇が世界を覆い、雲海の端々を柔らかな光が繋いでいく。
「この世界にもあるんだ、お月様……」
 それは地球のものとは違う、紫色と緑色の二つの月。
 均等な距離を取り、ゆったりと世界を移動していく。
「ここはどこの宇宙なんだろう。
 北極星なんて見えない。
 さきの知ってる星座がないもんね」
 不思議な夜だ。
 紫と緑が入りまじるとより深い蒼、いや、碧にも見える。
「緑色でもない、か。
 なんだっけ?」
 そう言い、スマホで眼前の光景をカメラに収める。
「映るんだ。
 なんでだろ?」
 あ、そうか。
 さきが見てる空間だからだ。
 そう理解する。
 まるで神様が見てるみたい。
 さきが神様で、全部をー……。
 そこまで考えて、思うのを止めた。
 思い出したからだ。
 恋人と見た秋の夜空、夏の花火、春の桜、冬の雪山。
 そのどれも作り出す力は沙雪にはない。
 ただ、この世界からの干渉を受けないだけ。
 特定の空間だけだが。
 彼は言っていた。
 自分は世界を作れる、と。
 恋人を失い、その存在を探していると。
 それなのに失った相手を作らないでいた。
 それがなぜかよくわかる。
 生きていると。
 干渉できないどこかにいて、それでも必ず探し出すと。
 そう、約束したからだ。
「神様なのにね、ブーちゃん」
 沙雪はクスっと笑ってしまう。
 あの眠たそうな顔。
 見えているかどうか分からない糸目に、フワフワの毛皮。
 どこで手に入れたのかわからない、あの衣装。
 似合っているようで、どことなく不似合いな。
 圭祐の小説で毒舌をはく彼は、確かに毒舌家だった。
 ただし、とても優しい愛情を知っている毒舌家だった。
「ありがとう、ブーちゃん。
 けいくんを守ってくれて。
 悪く言わないでくれて……」
 沙雪は知っていた。
 たぶん、自分は圭祐を滅ぼそうとする世界の争いに巻き込まれたのだと。
 ブラウニーは必死に圭祐を守りながら、彼に関係してきた人たちを彼のできる範囲で守ってきたのだろう。
 世界を創造できる二人目の存在。
 仲間をたった一人で守り抜いてきたのだ。
 失った恋人を探しながら。
「多分、けいくんを守らなかったら。
 ブーちゃんはもっと早く久遠さんを探せたかもしれないんだよね。
 多分……」
 自分の恋人はそれを知っているのか?
 答えはあの小説の中にあった。
 いまでも覚えている彼の創作という名の、上手なのか下手なのかその分野の小説を読まない沙雪には判断がつかない作品群。
 その中で、確かに二人は探していた。
 久遠という名前のブラウニーの思い人を。
 世界を駆け巡り、別の世界を探し、主人公の愛車の外国産のスポーツカーでどこにでもいく二人。
 でも、そこには沙雪のような登場人物はいなかった。
 そして、そんな物語も存在しなかった。
「なんでいなくなっちゃったの、久遠さん……?」
 自分よりもブラウニーは恋人を優先するべきなのに。
 彼の思い人は、愛した存在は彼の傍にいない。
 少なくとも沙雪は数年だが圭祐と過ごしてきた。
 ブラウニーは?
 過ごした時間以上の孤独をひたすら捧げてきたのだ。
 約束を守る。
 ただ、その為だけに。
「ブーちゃんはさきと約束した。
 必ず、迎えに来るって。
 なら、さきも守らなきゃ」
 眠る必要はないのかもしれない。
 それでも、いまは少しだけ眠りたい。
 世界のすべてから解放されたい。
「そうれっと!!!」
 そう言って、沙雪は高くジャンプした。
 枝から離れ、足場を失いー。
 まるでスカイダイビングをしているように滑空していく。
「死ぬことがないんだったら、まずは下まで行ってみよ。
 あとはどうにかなるよ」
 恋人のいつも言う口癖だ。
 大丈夫、何とかなるさ。
 彼が大丈夫なんて言う時は、いつも大丈夫じゃなかったけど(笑)
 そう思いながら沙雪は滑空していく。
 そして目を閉じた。
 この世界に認識されるように考えながら、それでいて自分には一切の干渉がないようにと。
 システムを意識下で調整する。
 いまのさきは、沙雪TUEEEなんだから。
 このまま、流れに身を任せてみよう。
 この世界がもし、滅ぼしにくるなら戦えばいいじゃないか。
 必ず、帰ってみせる。
 あの場所に。
「沙雪TUEEE、舐めんなよ」
 友達が貸してくれた、俺TUEEEをしている主人公の得意なセリフだ。
 彼は男だけど。
 いまはその口癖を借りておくことにした。
 そして、おやすみなさい、世界。
 沙雪は世界を滑空しながら、ゆっくりと目を閉じた。


 

 目覚めた時、周囲にあったのは一面の青。
 いや、黒と青が混じった視界。
 手をかざすと間を何かが流れて行く。
 ああ、ここは水中か海中か。
 どちらにせよ、水の中だ。
 体の向きを変えてみると、光る水面が頭上にあった。
 どうやらそう、深い位置にいるようではないようだ。
 どうすればいいのだろう?
 泳げばそれでいい?
 でも水の流れは早い。
 泳いでいるというより、もがいている、に近い。
 さて、どうしたものか。
 水に対する比重を変えれば、身体のいる深度も変わるはずだ。
「へー……、この世界の魚も、似たようなやつがいるんだね……」
 一度、水上に出よう。
 いや、待てよ。
 比重を変えるよりももっと簡単な方法がある。
 いま観測されている部分だけを切り離せばいいのだ。
 重力も扱えるような気がしたが、もし引力から解放された時にどうなるかわからない。
 そんな不安が頭をよぎった。
 だが、すぐにそれは間違いだと気づく。
 自分は異質な存在なのだから。
 この世界の干渉を逆に使えばいいのだ。
 考える通りに世界に干渉できるようにしてみよう。
 まずは浮かび上がる。
 イメージを濃くしよう。
 周りにあるのは単なる立体映像だと思うのだ。
 自分は全ての力の作用を変えれると。


 水面に全身が持ち上がり、その上を歩く感覚。
 奇跡を起こしたというどこかの宗教の創始者はこんな感覚だったのかもしれない。
 でもそれは有限の力。
「さきは、力に限りはない、だよね、ブーちゃん」
 想えばそれが実現する。
 それが世界を視るということ。
 そして、力を相互に環流できる力を持つ方がより強い干渉力を持てる。
「これが、神の力、なんだ……」
 ブラウニーが恋人の小説のアイデアを聞いた時に重たそうな、なにか見逃せない。
 そんな顔をしたように見えたような気がした。
 その理由が理解できた。
「これは人間が持つには早いんだね、まだ……」
 多分、もしすべてが終われば。
 ブラウニーは圭祐の書いた小説の幾つかを破棄させようとするかもしれない。
 そんな気がする。
 でも、それは仕方ないのかも。
「伝えていいことと、駄目なことがあるんだね、多分。
 でもけいくんは怒るだろうなあ」
 そう思いながら、水面から周囲を見渡す。
「これじゃわかんないや。もっと上にー?
 行けるかな?」
 翼を意識する?
 ううん、そんな古いやり方なんていらない。
 やるなら最新式でいこう。
 今ある引力と重力をシステムに計算させる。
 なにも沙雪がする必要はないのだ。
 全てはそれが可能な方に考えればいい。
 無理なら成功しないだろう。
 可能ならばー。
「ほらー!
 できるよ!
 人だって、飛べるよ……」
 大きく天空を飛翔する。
 風よりも早くなんて考える必要は無い。
 いまある空間の中でそれが継続して繋がる中を泳ぐように飛べばいいのだ。
 それが許す速度の範囲で、世界に影響を与えないように余波をすべて内部に環流させればいい。
「すごーい!」
 沙雪は感嘆の声を上げる。
 鳥でもない。風でもない。
 ただ大気を移動する気流のように世界を移動できる。
 確かにこのシステムはすごい。
 だけど、と沙雪は考える。
 ブラウニーは言っていた。
 ほんの少しだけ物理法則が違うのだと。
 それはなんだろう?
 重力が違う?
 万有引力の法則が通用しない?
 いや、そんなことはいまの沙雪には関係ないはずだ。
 位相をずらし、世界から離れているのだから。
 それでも、元の世界へと戻れないのはなぜだろう?
 ここが地球からはるかに離れた惑星だから?
 それなら、SFにあるように宇宙船のようにワープを繰り返して、座標を計算させて、何年かけても地球に戻ればいい。
 だが、そうではないはずだ。
 この場所。
 この惑星。
 この沙雪が存在している世界に、何かの理由がある。
 それはもっと根源的なもの。
 ブラウニーが言っていた、圭祐を狙う世界を作ろうとする力を持つ存在を消滅させようとする力。
 それはなんだろう。
 人間と同じような、いや、もっと大きい意志?
「おかしいよね。
 さきは世界の観測から離れているはずなのに。
 でも、この力は限りなくゼロに近い存在になるって言ってたっけ……」
 つまり、どれほど望んでも、人はその根本にある存在からは離れられないのだろう。
 位相をずらし、別の法則性がある世界に移動している沙雪でも何かの影響を受けるのかもしれない。
「こんな時に、けいくんならもっと別のことを思いつくんだろうけど。
 あの人、数学とかわからないって勉強しないんだもんね」
 沙雪は飛びながら世界を観測する。
 いまの高度はどの程度だろう?
 高度を更にあげて雲海を抜けた。
 成層圏と呼ばれる辺りだろうか?
 残念だが沙雪にはその知識がない。
 ただ、航空機が酸素が少なくなる高度1万メートル付近までしかいけない、ということは聞いたことがあった。
 もう少し上へ。
 この惑星を見渡せる程度の宇宙へ。
「どこだろ?
 もうわかんないや」
 その声はずらされた位相の中にいる沙雪にだけ響く言葉だ。
 はるか足元には地球とは似ても似つかない大陸が広がっている。
 東西に長く、南北に短い。
 そして、あの大樹はなんと沙雪が飛んでいる付近までその枝先を見せている。
「そっかあ。
 そうだよね、それじゃあ、上も下も見えないよね」
 惑星の裏側、月が見えていた部分にすこしばかり移動してみる。
 この惑星の衛星は3つだ。
「凄ーい。
 紫に緑に赤。
 それにあの太陽は、地球のより大きい……」
 惑星の夜の世界を眺めてみる。
 ところどころに灯りが集中して見える。
 つまり、文明があると言う事だ。
 夜の闇を、はるか天空から眺めても照らし出すことのできる程度には、明るさをもたらすことのできる文明が。
「うーん……。
 さきが来たのはー、あそこからだから……」
 東西南北の概念をもし当てはめていいのならば、あの大樹は北!
 
「確か、地球に上下の概念ってなかったはずだしーあれ?
 北が上だとしたら北極が上だから、いいのかな、これ?」
 ということは、あの大樹は北極よりは下。でも大陸の中央よりは北上にある。
 どうすればいいのだろう?
 この光景をスマホに収めることはできるけれどもそれでは何かが足りない気がする。
「あ、そうだ。あれだ!」
 地図が無いのだ。
 この星そのものの地図が無いから、惑星のさまざまな側面が理解できない。
 ならー。
「あ、でも待ってよ。
 もし観測する誰かがいるならさきのこともわかっちゃうし……」
 うーん?
 沙雪は考える。


 この惑星のすべてを知りえる情報を手に出来る方法はないものか。
「そういえば、さきがこの世界から見えているようで見えないのはさきが見てるからだからー。
 あ、わかった」
 光だ。
 惑星が一周する間にある一点に立ち、幾つかの観測点から反射してくる太陽光を集めたらそれはつまりー。
「衛星からレーザーを照射して地図を作ることと同じだもんね」
 と、沙雪は考える。
 どうすれば、数か所からの情報を均等に分析できるかな?、と。
「あ、そっか。
 衛星を作ればいいんだ」
 ということは、この惑星の上空に均等に衛星を配置する必要がある。
 それも同じ高度に。
「うーん???
 そんなやり方知らないぞー????」
 でもけいくんは考えてなんとかするんだろうなあ、この力があるなら。
 ブーちゃんならどうするかな?
 大きな泡で包めばいい?
 だってそれをすれば、惑星神とかわけわからない存在に出会ったりしたりしない?
「おかしいよね。
 だって。あの北極星だって自分で光ってるし、他のー」
 と、天空を見上げる。
「あの星たちだって誰かの光を受けてここまで光ってるんだから。
 今更他の世界から誰か来たからって文句いうのがおかしいよね!!!」
 え、待ってよ。
 沙雪の中に何かが思い浮かぶ。
「何これ、なんだろ、この違和感。
 なんで、見られたら困るの?
 困るんじゃなくて、見られたいんじゃない?
 ひょっとして?」
 お互いを利用して存在しあってるんじゃない?
 だから、見えない何かがいると困るんじゃない?
 存在できなくなるから。
 そうだよ。
 きっとそうだよ。
 魔法が無くなったんじゃないんだ。
 貸し借りが出来なくなったから、魔法が使えなくなったんじゃないんだ。
 ブーちゃんが言う、惑星神の力が弱くなったっていう話もそうだよ。
 力が弱くなったんじゃなくて、見せなくなったんだよ。
 それを使える誰かがいたら困ることになるから。
 そうだよ。
 ブーちゃんは言ったもん。
 世界がけいくんを認めたくないって。
 世界は宇宙なんだ。
 泡そのものなんだ。
 ブーちゃん。
 いまのやり方じゃだめだよ。
 けいくんを泡で包んでるんでしょ?
 別の世界をそこに作ってるんでしょ?
 壁で守ってるんでしょ?
 だめだよ。
 それじゃ反発しちゃう。
 けいくんを滅ぼそうとしてるんじゃないよ。
 世界は、けいくんに力を使わさないようにしてるんだよ。
 わざと、反発させてるんだ……。
「誰だろ?
 誰かが、わざとやってるんだ。
 なんで?
 ブーちゃんに全部話せばいいのに。なんでわざと逆のことをさせてるの?」
 もしかして。すべてからいないように見せようとしてる?
 なんで?
 けいくんは何を背負ってるの?
「あっ……」
 あれだ。 
 沙雪はある事に思い当たる。
 ブーちゃんが言ってた久遠さんが、消えた理由。
 圭祐の小説に出てきた敵は、宇宙を自在に操っていた。
 惑星を農地代わりにして、そこに住む生物を食べていた。
 無限に広がろうとしてる宇宙を管理するのが手間だからって、宇宙そのものをつなげてしまっていた。
 もしそれが、ブーちゃんが言ってた泡なら……。
「異世界なんてないんだ。
 異界があるだけ。誰かが。全部を食べちゃう何かが自由に行き来できた、異界同士があるだけ。
 けいくんの小説じゃ、あれは。全部たべちゃうあいつらは、異界を超えてはるかなどこかへ行ったはず。
 でも戻ってくるのがわかってー」
 最後はブラウニーが作った新しい異界へと、沙雪たちのいる異界から、生命体を移動させたはずだった。
 残った力ある種族たちが力を合わせて、あれを迎え撃つ。そんな粗筋だったはずだ。
「世界は気づいたんだ。
 戻ってくるって。
 自分たちの存在を守れる最後の切り札が、けいくんなんだ。
 だからー」
 ブラウニーがいくら語り掛けても、伝わらなかったのだ。
 何かが、誰かが、ブラウニーを頼らなくてもいい方法を伝えようと、もしくは整えようとしているからだ。
「でも、だったらなんで久遠さんは消えたんだろう……」
 あの小説。
 久遠。
 そうブラウニーに呼ばれていた少女は、ブラウニーが作った空間。
 最初に沙雪を救ったあの空間。
 いま沙雪がTUEEEと呼んでいる位相をずらした閉鎖空間に敵を閉じ込めようとしたはずだ。
 いや、はずだった。
「あの中で閉じ込めようとした空間は、別の異界に繋がってた。
 だから、久遠さんは自分の粒子化した力でそれを塞ごうとした……。粒子化。
 粒子化?
 いま、さきが使ってるこの力の何かを進化させた力が、久遠さんにはあったんだ。
 じゃあ、さきがここに来たのは……」
 巻き込まれたんじゃない。
 歴史が必要とした?
 運命?
 神様?
 なんでもいい。
 誰かがそうさせたんだ。
 沙雪はそう気づく。
 そしてある可能性にも。
「いいよ。
 やってやるんだから。
 持って帰って来いって言うんでしょ?
 そこにいる、見えない誰かさん……。
 ここに秘密があるってことだよね。
 この惑星に」
 けいくん、さき帰るよ。
 必ず。
 それとー。
「出てきたやつ、ぶん殴ってやるんだから……。
 絶対にさせない。
 彼だけに背負わせるなんてこと」
 仲間をすべて失ってこの宇宙にきたブラウニーを利用し、久遠を利用して。
 そして自分を守ろうとしてる誰かがいる。
 その誰かは、知られたら困る秘密も持っている。
 それも多分ー。
 沙雪は足元に広がる惑星を見下ろした。
「ここにあるんだ」
 
 













 
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