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第一章 春を買いませんか?

着いた先がまともな場所とは変わらない

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「ねえ、まともな格好っていうけど。
 私、やってきたまんま?
 あちらから戻って来たままの姿なんだけど?
 ねえ、エレノアってば!?」
「だから用意万端でしょ?
 いちいち、余計な小物があるだのあれがないだのと気にしなくていいじゃない。
 違う?
 ボクめんどくさいの嫌いなんだ」
「なんだか騙されたような気分だわ。
 それって欺瞞じゃない、まったく‥‥‥」
「ため息をつくと、老化が加速するってしってた?」
「ならないわよ!
 大きく息をはくことはストレスの軽減になるんだから!」
「へえ、物知りだね、綾香は。
 でも、これは知らないでしょ?」

 なによこれ?
 私が普段作り出す、世界と世界をつなぐそれとはかなーり異質なこの世界に馴れないでいる私は彼女がいうこれの意味が理解出来ない。
 これ?
 この普段なら青と白の回廊が、ここでは銀色と黒の粒子になってる。
 まるで、エレノアの胎内にいるみたい‥‥‥?
 そんなわけあるはずないか。
 でも一度、彼女のあの粒子の翼に包まれてその中に入り込んだことがある。
 なかには居住区だの、彼女の大好きな果物の果汁園だの‥‥‥太陽や月まであってまるで異世界に移動した気分になったことがある。
 まるであの時の気分に逆戻りしたようだった。

「これって何‥‥‥?」

 嫌な予感がして、なんとなく質問して見る。
 ああ、それ?
 エレノアからの返事は‥‥‥。

「え、ちょっ!?
 っむふっ‥‥‥」
「ん――!!
 よっし!
 たまーに貰うのは美味しーい!!
 御馳走様――!!」

 ひどい‥‥‥。
 単なる不意打ちのキスだけならともかく、舌を絡めてその舌から吸血ヒルよろしく血を吸われるなんて‥‥‥。
 
「なっばんばんおよ、これ‥‥‥?」

 あ、だめだ。
 舌は腫れあがってまともな声になっていない。
 とりあえず、エレノアの首を両手で締めあげると、回復の魔法を舌に‥‥‥ああ、なんて間抜けなんだろう。
 こんな馬鹿吸血姫に、まさかの――初めてを奪われるなんて。
 情けなさと、みじめさに、さいなやまれながら、私は片手で吸血姫の首を、片手に灼熱の火球を作り上げて、我ながら誰にも見せたくない。
 プルプルと怒りに震えながら涙を浮かべたまぬけな顔をエレノアに晒していた。

「あっあんたねえ!!
 なんでいきなりキスなんか‥‥‥その顔、この火球で焼き尽くしてやるわよ!?」
「そりゃあ、無理じゃない、綾香ちゃん?
 だって、見てみなよ。その火球?
 もう、ボヤ程度にしかなってないよ?」

 え?
 そんな脅しには‥‥‥ああ、嘘。
 本当に、火球はくすぶった程度になってる。
 なんでこんなことに!?

「甘いなあ、綾香は。
 ここはボクの制御した空間なんだよ?
 綾香を生かすも殺すも、全部、ボク次第。
 引き込まれてから何かおかしいって思わなかったの?」
「使い魔にまさか、命を狙われるなんて思うわけないでしょ!?
 あれ、そういえば使い魔の契約なんかした‥‥‥?」

 はて、と。
 なぜか一番大事なことに気づく私。
 今頃?
 だって、エレノアはおばあ様から与えられた使い魔でー‥‥‥??
 その前は?
 お父様やお母様はなぜ、彼女を継承しなかったの?
 何より、使い魔の契約って、個人? それとも家でやったの??
 なんてことを思ってしまった。

「そうねーしてないよ?」
「あ、してないんだ。
 って、ならなんでいままで側にいたの!?」
「うーん?
 昌枝とは契約してるから、ね?
 その命令には従うよ。でも綾香とは‥‥‥ね?
 ボクの世界に取り込んでどうやっても、それは――ボクの好きに出来るのさ?
 だめ?」
「それは、だめでしょう。
 するなら、おばあ様が亡くなってからにして頂戴。そうしたら、全身をこれより熱い灼熱の炎で焼いてやるわ‥‥‥」
「殺すことを決定して発言しないでよー綾香ちゃん。
 ボクはこれでも君のオムツまで変えてきたのに。
 義理の母と言われてもいいくらいなんだよ?」

 義理の母親が子供のしかも、舌から吸血しようなんて思わないはずだけど‥‥‥。
 エレノアの羽の中にあった館でいつか覚えてないけど。
 これ、あなたの若い頃だよ、こっちはあなたのお母さんの‥‥‥そんな写真を見せられながら、言われた記憶がある。

「子供にキスするなんて、最低な義理の母親ね、エレノア。
 おまけに血まで吸うなんて。
 私が魔法を使えなければ、今頃は舌がはれ上がっている頃よ?」
「吸ったんじゃないよ、綾香。
 与えたの。勘違いしないでね?
 飲まそうとしたら、たまたま血を吸いたくなったんだ‥‥‥」
「言われて申し訳なさそうにしないでくれない?
 与えたって何を与えたの?
 毒物?
 それとも――」
「数時間したら脳内にウイスルが回って、ボクのために愛していますって叫ぶようになるよ?」
「嘘!?」
「嘘。
 そんな悪趣味な真似しないから。
 綾香、君は世界を渡る際に気を付けなきゃいけないことを忘れているよ?」
「何よそれ?
 座標に位置に、時間と空間を反作用させてどの世界からも影響を与えない泡に身をつつんで‥‥‥」
「はい、不正解。
 その泡を構成する要素の中に君は含まれていない。
 つまり、いつか君は弾き飛ばされてしまうよ?」
「え。
 だってそれだけしか知らない」

 まあ、そりゃそうだよね。
 エレノアは呆れた顔をしてた。
 泡を構成する要素?
 それはよくても、制御する要素はどこにあるの、と。
 そう問われても答えようがない。
 だって、泡を制御する方法は祖母から聞いた限りだし、これまでこんな長い間、泡の外壁に頼ったことなんかない。

「あのねー」
「だって、いつも数瞬、数秒間でイルベルから日本に戻って来てたもの!?」
「それはー、ボクがその路を補正しつつ崩壊しないように守っていたからだよ。
 いまボクはここにいるの。
 つまり、あちらの管理者はいないってこと。
 そうなると?」
「あー‥‥‥つまり、一方は管理されてもう一方は管理されていない?」
「不正解。
 ボクはイルベルでも、地球でも双方の管理をしていたの。
 意味わからないか‥‥‥な?」

 まったく意味が分からない。
 何より、これまで自分でしていたと思ってきた魔法の制御がまさかの‥‥‥エレノアに助けられていたなんて屈辱だわ。
 自分の力じゃないと自覚させられてどこか意気消沈している私がいた。

「世界と世界。
 その狭間を行き来するには大きな道が必要になる。
 それはいわば、海底に薄い膜を張ってその中を歩くようなものだよ。
 膜をずっと張る力もいるし、大気圧から異常を起こす副作用も計算して問題が起きないようにしなきゃならない。
 それはとても大きな力が必要なんだ、綾香。
 でも、そうしなくてもいい方法もある」
「何よそれ。
 何かで聞いたわね‥‥‥光の速度近くまで加速された力は光を越えることもできるけど、その分、質量も増加するだっけ?
 何か関係があるの?」
「頭悪いね、君。
 世界と世界の壁を越えるには光を越えないといけない。
 もしくは、その壁を捻じ曲げる力がいる。
 でも、いまの科学技術では不可能。なら、なぜたかだか十六歳にも満たない君ができるのか?」
「魔女だから?」
「違うよ、綾香。
 移動することに成功した神や魔もそう。
 光を操る機能も生まれながらに持っていたか、それともより高次元に。
 いまボクたちが生きている世界の制約から放たれる存在に、変化するか。
 そのどちらかしかない。
 でも、例えば1~2の上にあがれば物理法則は変わるんだよね。
 そうなると、どうやっても人間は高次元にはいけないことになる。
 例外を除いてね?」
「例外?」
「そう、例外。
 自分の存在を高次の存在からその物理法則から見えないようにするのさ。
 誤魔化すんだよ。それが、さっき上げたやつ。
 君に飲ませた、ボクの一部。
 ボクたちは、世界を歪ませて移動する種族だ。数少なくなったけどね」
「頭が痛くなりそうだわ‥‥‥。
 とりあえず、あちら側の制御していたエレノアがいなくなったから、こうなった、と。
 で、どこにいくつもりなの?」

 うーん?
 エレノアは不思議そうに頬に指を当てて考えていた。

「多分?」
「多分‥‥‥?」
「うまくいけば、アーハンルドの川のほとり、かな?」
「うまく!?
 じゃあ、失敗したら‥‥‥!?」

 まあ、川の中かな?
 あははゴメンネー。
 なんて無責任な声がしたかと思った途端、私の意識は全身を貫くような寒いなにかの中に飛ばされていた。
 絶対に放してなるものかと両手でつかんだ、エレノアの片足を巻き添えにして‥‥‥
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