聖女である御姉様は男性に抱かれたら普通の女になりますよね? だから、その婚約者をわたしに下さいな。

星ふくろう

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第一部 クローディアと氷の精霊王

帰還の時

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「さて、どうかな愛しのクローディア。
 我が王妃よ。
 これで、両家にも良い縁が叶うと思うのだがな?」
「あ、あは、あはは‥‥‥。
 ええ、そうですねぇ旦那様。
 ええーまさしく」

 まさかあの土地を与えると言い出すなんて。
 クローディアは心のどこかで残念そうな声を出していた。
 あそこは、いま着ている毛皮の主人だった氷雪熊の一大群生地なのだ。
 王国を放逐された者、犯罪者などが集められ惨たらしい末路を終える場所。
 簡単にいえば、氷雪熊の餌食になるか凍死して肉食動物のエサになるしかない。
 そんな場所である。
 
「不満か?」
「いいえっ、不満はないですよ。
 ただー‥‥‥死ぬなあって」

 聞こえるように精霊王に返事をして、クローディアはアンナをチラリと横目で確認する。
 うーん、愕然として震えているわ。
 多分、恐怖にだと思られるその打ちひしがれてしおれている様は、まあ‥‥‥やり返したという意味では満点だった。
 しかし、いざやり返すとクローディアも元聖女。
 悪い復讐心による報復を果たしたわけだが、その悪夢からも覚めてみれば慈悲の心も生まれてくる。
 
「さて、それはどうかな?
 どう転ぶかは彼等次第だ」
「ですが‥‥‥」

 あれでも妹。
 とはいえ、神官になるために神殿に上がって以来ずっと顔を合わせていなかったから、ほとんどその実感は薄れていたのだが。
 
「お前な、クローディア。
 もう賽は投げられたのだ。
 何より、ここで慈悲など与えてみろ?
 永遠に死ぬまでお前に復讐しに来るぞ?
 あれはそういう部類の存在だ」
「そんな密やかに言わなくたってわかってますよ。
 王国の法の下にあの子たちが裁かれることも」
「なら、妙な慈悲など出さんことだ。
 出してもまた空回りするぞ?」

 そう言い、精霊王は側室などまっぴらごめんだと背筋を震わせていた。
 彼の嫌い方があまりにも可愛らしく、クローディアはついクスリ、と笑ってしまう。
 
「満足しましたわ、旦那様。
 これからどうなさいますか?」
「うん?
 そうだな‥‥‥。
 王には詫びをせねばならんからな。
 臣下の前で頭を下げさせてしまった。
 わたしも王なら、彼も王だからな」
「はあ‥‥‥。
 それは御随意に。
 あの二人は?」

 請けてしまったのか!? 
 この愚か者が。
 そんな仕草をしたいができない、叫び声をあげたいがもうここまで醜態をさらしたあとに披露するものなどない。
 マクシミリアンは首を悔し気に振りながら敗北感に打ちひしがれていたし、アンナに至っては――

「熊‥‥‥氷雪‥‥‥熊――???」

 と目を見開いて、冗談でしょ、冗談と言って下さいまし、ねえ、マクシミリアン!!
 なんて、返事のない夫の胸元にすがりついていた。

「仲良くー‥‥‥なれそうです、ね。
 どうにか」
「その仲良くの定義が違いような気がするが。
 まあ、あの二人もいずれは王になるだろうしな。
 民の不遇が無ければいいんだが」
「それはどうしようもないですね。
 でもあそこは、わたしの――」

 と、ここで二人の密やかな会話は一人の人物によって止められてしまう。
 それは彼、精霊王の配下の一人、ジェスロの進言だった。

「王、そろそろ時間でございます‥‥‥」
「ん?
 もうそんなに時間が経過したか?」
「はっ。
 陽光も高くなっておりますれば、この場がいずれは‥‥‥」

 語尾を濁すジェスロにクローディアは不思議そうな顔をする。
 精霊王がここにいれば、何かが起こるというのだろうか?
 彼は氷の精霊王で、陽光? 太陽が高くなると何か問題でも? と。
 その問いかけには夫、自らが教えてくれた。

「わたしは氷河の大地を管理するもの。
 現世にいてはそれを誘うようになってしまう。
 結界の中とそとの差が小さくなれば、あれは効果を緩めるからな。
 王国の民が、風邪をひいてしまう。そういうことだ、妻よ」
「あー。
 そういうことですか。
 なら――」

 クローディアは一つだけ、結婚して初めて甘えてみた。
 それはそれは、彼女らしい提案であり彼女らしい甘え方だった。


 結界の外。
 狼たちが待つソリの側には数人の護衛が待機していた。
 先に行き、その場で待つ精霊王はなぜこんなことがしたいのだ?
 そう、不思議そうな顔で結界の内側である王国から出てきた妻を出迎えていた。

「随分と時間がかかったな?
 なにをしていた?」
「旦那様!
 ありがとうございます。待たせてしまいました。
 色々としてましたよ、人ならざる存在が命じた後始末なんかも‥‥‥」
「妙に遠回しな言い方をするな、お前?」
「いえいえ、神殿にて大神官様にお会いしたり、王様やお后様と少しばかりお茶をしたり。
 あのアンナをこのー」

 と、クローディアはまだ深々と埋もれているその毛皮の指先から、氷雪熊の爪を出し入れしてみせる。
 まさか、それで紅茶を飲んでいたのか?
 なんて器用な奴だ、精霊王はそう思いながらも自分の城で、クローディアが人間の手を出さないままお菓子を食べ、紅茶のカップの端を掴みとしていたのを思い出していた。
 これを目の前にして、毒気を抜かれない者はまあ、そうそうはおらんだろうな。
 交渉にはよい道具だ。
 そう思いながら、まじまじとその爪で何をしたのかを話すクローディアは実に楽しそうだった。

「妹の頬をそっと、小さく血筋が立つ程度に撫でてやりましたの。
 氷雪熊には呪いがあって、普段の姿は仮初めのもの。
 殺せば、このような姿になるんだからって」

 あー楽しかった。
 あの青ざめていくアンナの顔を見せたかったわ。
 そうクローディアは微笑むが、その現場は実に陰惨というか恐怖に満ちたものだったらしい。
 最後まで彼女に連れ添って護衛をしていたジェスロやその他の面々は、いやいやあれはないわ。まったくだ、あんな真似をされれば、生涯のトラウマになる‥‥‥。
 そう、各員が言うあたり余程、恐怖を与えたのだろうと精霊王は理解していた。

「王妃よ、しかし、その後ろにあるものはなんだ???」
「え?
 ああ、これですか?
 実家にあったものと、宿舎にあったもので馴染みの深いものだけをー‥‥‥載りますよね?」

 載りますかと問われ、狼たちが見返すのはソリの荷台であり、彼らはおませくださいとばかりに威勢良く吠えて返してくれた。
 しかし、馬車が二台ほどの荷台にあるものはクローディアの私物以外にもいくつか無関係なものも積まれており、その最たるものが――

「なんだ、その像は?
 あまりにも重たそうだが‥‥‥」

 誰かを模して作ったような等身大のその彫像は大理石などではなく、この近辺の地下や洞窟から出る翡翠の塊であり‥‥‥ああ、これですか?
 そうクローディアは嬉しそうに微笑んで言った。

「大神官様が神殿の物は好きにしてよいと仰っていたので。
 氷の精霊王様の神像を頂いてまいりました」
「なっ!?
 お前‥‥‥」
「だって、あの神殿。
 清貧を重んじるのはいいですけど、なにもないんですもん。
 せめて、神像くらい金で作って欲しかったわー‥‥‥」
「信者たちが祈る神像は明日から、どうするつもりだ!?」
「あ、それならば問題ありません。
 このクローディアがきちんと――」

 そう、神殿には新たな以前とは違う。
 あまりにも誇張とは言い過ぎだが、クローディアの内側で美化された精霊王の像が永遠に溶けない氷で形づくられていた。
 あとからこれを知った大神官が眩暈を起こしたのは言うまでもない。

「で、まだこれだけではないのだろう?
 次はなにをしたいのだー‥‥‥?」

 まったく、こんなもの。
 どうやって運んできたんだ!?
 そう怒鳴りつけたくなるほどに、翡翠の彫像は別の意味で凛々しく神気に満ちた物だった。
 どこに隠したものやら。
 精霊王はそう思い悩んでいた。
 友人の神々に見られた日にはなんて言われることかと、ぼやきながらまだ若い妻の新たな要求を待っていた。
 ソリの荷台に高く積まれた嫁入り道具は、精霊王の座る場を奪いクローディアがその膝上に乗る形で二人はジェスロと共に御者台に座っている。

「えーとですね。
 次はあの東南東の丘に行こうかなーって」
「はあ?
 本気ですか!?
 王妃様!!??」
「なっ!
 お前、あそこには何があると――??」
「本気よ、何ですか殿方お二人がびっくりしてだらしがない。
 氷雪熊の巣に挨拶に行こうではありませんか」
「だって、王妃様!?
 そんな装備だってここにはー‥‥‥」

 あーいらないいらない、とクローディアはその氷雪熊の手でジェスロに心配ないとジェスチャーで示すが彼にはまるで死神がおいでおいでをしているように見えて仕方がない。

「むしろ、安全だから。
 逆に困るのよ。
 ようやく、これを狩ることで停戦してるんだから」
「停戦??」

 聞きなれないその言葉に、クローディアはいいから行きなさい!
 そう命じる。
 死にそうなときは、旦那様に押し付ければいいんだから。
 小さくそう呟くのを精霊王は聞き逃さずにいた。

「おい‥‥‥」

 しかし、彼の非難の声はクローディアに黙殺される。
 ジェスロはとんでもないことになってきたと死を予感しながら、ソリの手綱を操るのだった。
 
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