奴隷姫の奏でるbig willie blues

星ふくろう

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奴隷姫の奏でるbig willie blues 7

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「あら、こんばんは、御主人様がた。
 今夜はいまからお帰りですか?」
 そうーー紫のドレスを着た黒髪のアジア女性は、テダーたちに挨拶をする。
 ヨーロッパの淑女がするような、スカートを軽く持ちあげて、優雅な姿勢で。
 そこに多少の甘美な誘惑の視線と、奴隷としての奉仕の雰囲気を醸し出しながら‥‥‥。
「いや、ご令嬢。
 我らはこれより、酒を酌み交わす予定だ。
 もしかしたら、あなたの舞台はもう幕を閉じたのかな?」
 セオが、先程言った通り、ミスターセオ御一行の主人として、ハットを片手に胸に手を当てて挨拶を返した。
「まだ続きがあるのなら、ぜひ、酒宴の華として拝見したところだがーー??」
 そういうセオに、数段下のタチアナこと琴子は静かに首を振った。
「申し訳ございません、御主人様がた。
 わたしのステージはもう終わりましたの。
 ここらは、ルシールお姉さまとシャーリーン様の。
 お二人の歌姫が、御趣向を楽しんで頂けるようになされるはずですわ」
「おや、それは残念。
 あなたの歌を、ぜひ、お聞きしたかった。」
「おいおい、セオ。
 なに口説いてるんだよ‥‥‥」
 後ろでテダーが悔しそうに言う。
「ひがむなよ、お前の本命はあのルシールだろうが、ルガー」
 あきれたようなバルダックの声も聞こえて来た。
 それを耳にして、セオは少しばかり口元がほころんでしまう。
 今夜の酒は、なかなかに楽しめそうだ。
 彼がそう思った時だ。
「ですがーー」
 おや?
 男たち全員がその先の言葉に関心を示した。
「わたしの歌が聞きたいとおっしゃられるのでしたら、御主人様ーー」
 どうかお名前を、と琴子は手を差し出す。
「わたしは‥‥‥」
 どうしたものか。
 そうセオは悩んでしまった。
 ここで名乗るのは簡単だ。
 だがそれをすると、仲間とは離れることになるだろう。
 このアジア人の奴隷姫は、自分を一夜の共にしないか。
 そう誘っているからだ。
「気にすんなよ、セオ。
 テダーも、みんなも。
 たまにはそういうのもありだってさ」
 バルダックが気を遣うなよと、セオの肩に軽く手をかける。
 振り返ると、誰もがいい思いをしやがって!! 
 そんなにやけた顔つきで彼を見ていた。
 ただ、一人。
 セオの配下のある男だけはそれではない別の視線を、彼に送っていた。
 このアメリカ大陸にはまだ少ないはずのアジア人。
 それも、中国やその辺りの大陸の生まれではない。
 同郷の少女が目の前にいる。
 こんな偶然は、出来過ぎている。
 部下の視線はそう語り掛けていた。
「ああ、まあ‥‥‥難儀はなかろう」
 セオはわざと、日本語でそれを部下に伝えた。
 琴子にも聞こえるように。
 テダーたちには、もちろんその意味はわからない。
 だが、琴子が理解したように瞳を動かしたのはセオも、彼の部下にも見てとれた。
 セオは帽子をかぶり直すと、女性をエスコートするときのように腕を腰に当てる。
「では、その歌を披露していただこうかな、お嬢さん。
 わたしは、セオ、そう名乗らせてもらおう」
 琴子はその腕をセオの腕に絡め、そして名乗りをする。
「わたしはタチアナ。
 和名を琴子。そう申します」
 和名ーーなるほど、日本人だと示し合わせたかマクスウェルめ‥‥‥
 セオにはなんとなくだが、琴子が自分に向かってきた理由が理解できた。
 この娘の主。
 マクスウェルは自分を取り込もうとしているのだ。
 同族の娘を利用して。
 さて、この出逢いをどう利用するべきか。
 テダーたちの横を通り抜け、琴子が案内するままに階段を上がる間。
 彼の脳裏には多くの憶測が入り混じっていた。


「行っちまったなあ……」
 羨ましそうに言うテダーをバルダックが、まあまあ。
 そう友人らしく慰めてやる。
「お前の本命はほら、そこにいる、あの美しいご令嬢だろ?
 まあ、俺としてはあちらのーブルネットの髪の女性の方がいいがな?」
 舞台の上にはルシールが登場し、その銀色に近い髪を豪華に結い上げて登場していた。
 白い簡素なドレスが細い彼女の肢体をよりなまめかしく彩っていた。
 歌い始めたのは奴隷の曲。
 黒人たちが歌い、いつしかこの南部で流行りとなっている、恋愛の歌。
 静かに、悲しそうな声で男女のなにげない恋物語を歌い上げる。
 厳しい労働と過酷な環境。
 故郷のアフリカ大陸への郷愁の念と、新天地での生き抜く力。
 それの歌詞もまた、彼女の人生の一幕を表しているようで、物悲しくも生きる力に溢れていた。
 テダーは階下に降りると、わずかに開いていた最前列のテーブルに座り眼前のルシールを見上げる。
 バルダックがカウンターから持ってきてくれたボトルをそのまま口にしつつ‥‥‥
 彼もまた数週間前に離れた故郷のロンドン、そしてわずかにいる知人たち。
 家族に、あの夜。
 マクスウェル商会の上階にいる彼女を、路上から見上げていた自分を思い出していた。
 ガス灯の灯りに照らされながら、あまりにも美しく、自分の心を奪ったこの女性。
 あの海底から、信じられないような彫刻のような巨人と共に浮かんできた彼女。
 このアメリカ大陸に着いた時、マクスウェルの傍にいる時は別人のように媚びた笑顔を持つ彼女。
「なあ、どれが一体、本当のあんたなんだい?
 俺の心を奪った奴隷姫様?」
 静かに聞こえない程度に、彼はそう呟いてしまう。
「ルシール。
 俺はあんたが欲しい。
 マクスウェルなんかよりも、俺の傍にいて笑ってくれよ。
 あの悲しそうな笑顔を、俺は見たあの日からーー」
 あんたに惚れてる。
 自分が酒に呑まれているのは分かっている。
 それでも、目の前で歌うルシールは美しく、テダーの目を惹きつけて離さない。
 そしてルシールもまた、観衆の中に見覚えのある男性陣がいることに気づいていた。
 そのうちの一人、テダーがやまない熱い情熱的な視線を注いでくれていることにも気づいていた。


 数曲続く曲が終わり、間に別の数人の楽団による間奏が入る。
 幕が下りたままなのは、中の舞台セットを変えているからだろう。
「あーあ、終わっちまったよ、バルー」
 こいつもう酔ってやがる。
 酔っ払いに絡まれてバルダックは頭を抱えた。
 わざわざカウンターから持ってきた、バーボンの瓶がもう空になっていた。
「酔いすぎだ、ルガー。
 もう寝てろ、まったく‥‥‥」
 大して酒に強くもないくせに、この相棒は何かがあると酒に手を出す癖がある。
「そんなんじゃ、ずっと人生変わらんぜ、ルガー。
 俺たちがいたポーター仲間みたいによ。
 仕事が終わり、多めの日銭はポーターなんて同名の酒に消えて‥‥‥
 人生、みじめに過ごすのをやめるためにここに来たんだぜ‥‥‥」
 バルダックはしみじもそう言うと、エールを軽く口にした。

 次の舞台は、彼が望んでいたブルネットの美女。
 豊満な胸を大きくだした、エリザベス朝時代の貴族風ドレスでお出ました。
 何を歌うのか?
 民族曲か?
 それとも何かのテンポのいい戯曲?
 みんながこんなアメリカ大陸の場末で、たいした余興にもならないだろう。
 そう思った時。
 楽団が演奏を始めたのはオペラだった。
 モーツァルト作曲の魔笛の第二部。
 夜の女王によって復讐をされる場面を切り出して歌い上げていく。
 圧倒的な歌唱力、単なる舞台の小物に過ぎないイスが一脚だけそこにはあり、彼女はまるでそこにいる誰か。
 復讐を果たしたい相手に対しての思いをぶつけていく。
 ソプラノが響き渡り、曲目のテーマである『復讐の炎は地獄のように我が心に燃え』。
 それを朗々と歌い上げ、観衆の視線を休ませることなく釘付けにする。
 それはまるでーー

「本物の夜の女王が復讐を誓ってるようだな。
 大した見世物だよ、これは‥‥‥」
 バルダックはまだ若い時分。
 といっても10代前半だったが。
 親戚に連れられてオペラ座へ行ったことがある。
 その時に目にした女性も、彼女よりはもちろん若かったが。
 同じ曲目を同じように諳んじて歌い上げていた。
 曲が終わり、彼女が観客の拍手喝采を浴びている間、バルダックはその歌手の名を思い出していた。
 そう、シャーロックホームズの冒険譚、ボベミアの醜聞に出てきたあの女性。
 その名はーー

「アイリーン・アドラー」
 静かになったまばらな拍手の中で、そう呟いたバルダックの言葉を。
 その歌姫、シャーリーン・アドラーは思わず耳にしてしまい立ち止まる。
 その観客席に座る、赤髪のローマ人のような。
 自分と同世代の男性に視線が止まる。
「え、?
 なんだ、俺か????」
 思わず、バルダックも彼女と目を合わせてしまった。
 シャーリーンは意味ありげな微笑みを浮かべて、舞台の裾野へと消えてしまう。
「なんだったんだ、いったい‥‥‥???」
 不思議な体験に、バルダックは呆けたようになってしまっていた。



 あれから数回上へと二人で階段を上ると、そこはゲスト向けのホテルとなっていた。
 そのうちの一室のドアに鍵を入れてノブを回すと、琴子はセオを室内へと誘う。
 暗い室内には灯りがなく、琴子はガス灯りとそっとともすと、セオをどうぞ、と奥へと連れ込んだ。
 室内には数名が座れるテーブルと椅子、タイル張りの浴室に、個別のトイレ。
 奥には大きなベッドが一つ。
 簡単なオーブン式の暖炉があり、それに火を入れて琴子は紅茶を用意する。
 その間、セオは慣れない西洋風の娼館の造りもホテルと変わらないのだな、そう辺りを見渡していた。
 ついでに、誰かに聞かれていないかという、誰かが潜んでいるかもしれないと。
 そんな気配に気を配りながら。

「どうぞ、セオ様、でしたわね」
 薄暗いガス灯のあかりの中では、紫のドレスは更に妖艶に見えてしかたがない。
 まだ17~8歳。
 もし、故国に生きていれば同じ年の娘がいることを、セオは思い出さずにはいれなかった。
「そう、ですな。
 琴子、というお名前はあの時代にしては珍しいもの。
 公卿の出、ということでしょうか?」
 京都の公家辺りの出身かと思ったのだ。
「いいえ、それならば京言葉が入るでしょう?
 残念ながら、江戸ですわ。
 それでも、品川域ですから、江戸とは申せませんが‥‥‥」
 妙に詳しいその感覚に、セオは警戒心を崩せない。
 品川域。
 ならば、御家人筋ではないはず‥‥‥

「どちらの藩の方かな?」
「セオ様こそ、どちらの?」
 これでは互いに疑問を投げかけ合っているようなものだ。
「わたしは直参で、一時期は馬廻り役の家柄だった。
 白川卿の弟君の用人として、この欧州へと出向いたが‥‥‥。
 主君が帰参するときには既に幕府はなく、また主以外にも多くの者がーー」
 あの時には、全ての者が戻るだけの資金がなかった‥‥‥。
 それを言い出せずにいた。
「残られたのですか?
 お目見え以上の、時が時ならば老中にもなれる家柄の方が?」
 はっ。
 セオは笑って見せる。

「そんな良い家柄ではないよ、琴子殿。
 単なる、その場凌ぎ。
 外国政府に向けての、見せかけの身分だ。
 いまは単なる浪人。
 そなたも、本名はそれではあるまい?
 まあ、聞いても仕方がないがな」
 そうですね、お互い故郷を遠く離れた身。
 そう言って琴子は微笑み、セオに近付こうとする。
「おっと。
 その前に聞いておきたいことがある。
 マクスウェルはそれほどに、我が剣技にご執心かな?」
 あ‥‥‥
 琴子の仕草が止まってしまう。
 隠しきれないように悪戯をした子供のように笑い、そして彼女は白状した。
「既に、お見通しだったのですね、セオ様は‥‥‥」
 と。
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