この満ち足りた匣庭の中で 三章―Ghost of miniature garden―

至堂文斗

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Fifteenth Chapter...8/2

WAWプログラム②

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「信号領域下では、失われた身体機能も回帰する。聴力を失った人間も音が聞こえるようになるし、声を失った者もそれを取り戻せる。……無論、視覚もだ」
「違う! それは前提からして大間違いの方法だろうが! 何で失ったものを取り戻すために、生身の生を失わなくちゃならねえんだよ!」
「肉体が枷にしかならんからだ」

 貴獅は当然のようにそう言ってのけた。

「私は医師としてこれまで数多くの患者を診てきた。治せる者もいたが、死を見送らねばならない者も大勢いた。現在の医療は万能ではない。いや、これ以降も万能な医療など生まれることはないだろう。人が肉体を持つ限り、傷病は切っても切り離せない命題なのだ。
 それでも……私は救える命を救っていこうと考えていた。溢れていく命は、初めからそういう運命であり、むしろ私は幾許かでもそれを繋ぎ止められたのだと。自身の中に広がっていく虚な思いから目を背け、私は生命を天秤に掛けて生きてきた……だが」

 貴獅はそこで、僅かに声を震わせた。彼が言葉に感情を乗せたのは、初めてのように思えた。

「他ならぬ肉親が病に倒れたとき、その欺瞞は簡単に砕け散った」
「あ……」

 ――あの人が一番治したいと思っているのは、やっぱり満雀ちゃんだからさ。

 双太さんの言葉が蘇る。
 それは、結局真実だったのだ。

「君たちに詳しく説明したことは一度もなかった。しかし、彼女の病が良くならないものだということは何となく察していただろう。奇しくも彼女の病は、牛牧さんの息子が患っていたものと同じ。実体験を詳しく話してもらう機会もあり、聞くほどに絶望感が増していくのみだった」
「それは……」

 治る見込みのない病。これからただ、活力を失い、身体機能を失っていく娘を見ていることしかできない。他でもない医師の自分が。それは……確かに絶望的ではある。
 けれども、だ。

「WAWプログラムの計画書を見て……でも、牛牧さんは言ってたんだぜ? 自分ならその選択はしないって。息子はそんな未来、望まないって。なあ、あんたは満雀ちゃんに聞いてみたことがあるのかよ。肉体を失ってなお生き続けたいのかって……」
「ないさ。だから、これはある意味私のわがままだ。我が子の苦しむ様を見ていられない、そんな自身の気持ちを優先させているだけなのかもしれん。だが……最早これまでなのだ。これ以上は……待っていられないんだ」

 貴獅の表情が歪む。
 俺たちの認識していなかった事実。
 ああ、つまり満雀ちゃんの身体は――。

「だからってよ……何で街ごとなんだよ? 裏で勝手に計画進めて、住民全員を否応無しに道連れにするってことだろ? 信じて貰えるかどうかは別にして、無理矢理じゃない方法はとれなかったのかよ」
「この計画……いや、信号領域の構築には条件がある。如何に信号強度の高い満雀を中心に据えるとはいえ、単身では構築できる規模が非常に矮小なものとなるからだ。それでは別の檻にあの子を閉じ込める結果にしかならない。可能な限り自由な世界を創り上げる……そう、この街を信号領域によって再現しなければいけないのだ」

 それこそが、この街の全てを被験体とした理由。記憶によって構築される世界を完全な街の模倣とするために、住民全てを魂魄化し、領域を共有させるということ。
 肉体という檻から離れ、欠け落ちたものを取り戻した魂魄は、小さな箱庭に住まう。WAWプログラムの行き着く先は、そんなものだった。
 そこにほとんどの人間の意思はなく。

「冗談じゃねえ。そんなもの、それを理想郷と思う奴らだけでやれってんだ。GHOSTは相応の規模の組織なんだろ? お前らだけで実験でもなんでもすりゃいいじゃねえか。訳の分かってない人間を、勝手に巻き込むんじゃねえ」
「計画初期は内々で進める小規模なものだったさ。しかし、私の目標は満雀のために変わった。システムを大規模化し、緻密化し、満生台という素晴らしい下地を構築することができた。この数百人規模の世界は既に、研究員だけで成り立つ世界ではないのだ」
「もう後戻りできない。結局、そういう話なわけかよ……」

 もし、最初に貴獅が満雀ちゃんの意思をハッキリと確認していたら。この計画は進められなかったのだろうか。いや、彼の性格なら突っ走ったようにも思える。実際、一度は聞いたことがあったかもしれない。
 いずれにせよ、計画はここまで至ってしまった。満生台の信号領域化を止めるならば、話し合いは最早無意味だ。
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