この満ち足りた匣庭の中で 三章―Ghost of miniature garden―

至堂文斗

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Fifteenth Chapter...8/2

WAWプログラム①

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静謐なる地下空間。
 病院の地下に存在するとは考えられないほど広く、複雑な構造。
 幾つもの小部屋。これらが実験に使われていた形跡はあるも、全て機能は停止している。
 ただ、広間のような場所にある計器類だけは忙しく明滅を繰り返していた。
 エレベーターの箱から降りた俺たちは、ゆっくりと広間を横切り、捨て置かれるようにしてそこにあるテーブルに向かい合って座った。

「今回は丁重な案内ができて良かったよ」
「皮肉は結構」

 近くには、俺が閉じ込められていた牢のような部屋も見える。思い出すだけで苛々が募ってきた。

「実際、君たちは満雀の大切な友人だ。私には君たちを守る責務がある」
「守る? 冗談じゃない」

 一度は襲われ、監禁までされたというのに、守るなんて言葉が出てくるのは理解しかねる。俺たちのことなど、秘密を嗅ぎ回る鼠くらいにしか思っていないに違いないのだ。

「……まあ、分かってもらうつもりはない」

 貴獅はそこで、小さく溜め息を吐いた。意外にもそれが自然な振舞いだったので、僅かに心を動かされたが。

「計画書を持っているな。WAWプログラム――その全容について、これから説明しよう。この後生きる世界……事前に知っておくのも悪いことではない」
「……この計画が現実に達成されるなんざ、俺にはこれっぽっちも信じられねえが」

 俺は乱暴に計画書を机の上に投げ出した。貴獅は静かにそれを手繰り寄せ、何ページかパラパラと捲る。
 そして、彼にとって壮大で重大な――俺たちにとって恐るべき計画の深層を、淡々と語り始めた。

「この計画は当初『霊磁ネット計画』と呼ばれていた。WAWプログラムと呼称が変わったのは、盈虧園が誕生した頃のことだ。満ち欠けこそが重要なファクタであると上層部が定義付けたのだが、呼び名については特に意見などなかった。私はこの研究を完遂させる。あるのはその強い意志だけだった。
 WAWプログラムとは、端的に言えば魂魄をある種のデータ化し、肉体を離れて生き続けることを目的とした研究だ。魂魄というものの存在自体が非科学的であり、世間一般の医者や学者なら鼻で笑うような研究なわけだが、GHOSTは違う。我々は魂魄の存在を立証している。既に現在の科学よりも一歩前を歩んでいるわけだ。
 魂魄は存在する……換言すれば、死後の生は存在する。ただ、その存在がどのような実態なのかまでは掴むことができず、また俗にあちら側と呼ばれる彼岸の世界については未だに未知の部分だ。降霊実験も幾度となく行われているが、まるでそれがある種の仕組みであるかのように、生者の世界に伝達されることはない。
 ただ、とにかく魂魄の存在は確かなものであり、GHOSTは人類の正しき進化を掲げてこの分野を研究してきた。そして降霊術や魂魄ゲノムの解析など、幾つかの部門が立ち上がる中で出てきたのが私の行う研究……魂魄のデータ化だった」

 データと表現されると、まるでパソコン内のファイルみたいに聞こえてしまうが、本質としては近似しているのかもしれない。こいつの行う研究の果ては、魂魄を生かし続けること……つまり保存し続けることなのだ。

「『記憶世界』という言葉がある。いつの頃からか付いた仮称だが、我々はこれを新たに『信号領域』と名付けた。これは魂魄が発する特異な信号が形成した、一つの世界のことだ。対象の記憶が作り出す、喩えるならば夢のような世界。そのことから、初期は記憶世界と呼ばれていたようだな」

 ふと思い出す。龍美の話によれば、貴獅はここに来るより前、偽名で奇妙な論文を発表していたという。確か表題は『脳内電気信号の乖離後伝達について』……なるほど、それは信号領域について研究したものだったわけか。

「信号領域は通常、現実世界とは異なる次元に存在するものの、電気信号が現実の人間に捉えられることもある。これが残留思念として認知されているものだ。信号領域は、現実に貼り付けられたテクスチャ、或いは別レイヤーとも言えるな」
「記憶世界か信号領域か知らねえが、要は人間が魂魄でだけいられる空間がそれってことだろ?」
「その認識で構わない」

 貴獅は小さく頷いた。

「ただ、信号領域の特殊性は、その存在が魂魄自身によって保たれているということだ。元から存在する空間に魂魄が入り込めるわけではなく、魂魄自身がその空間を形成するに至るのだよ」
「……魂魄自身が信号領域を作る……」
「そしてその強度は、礎となる魂魄の意識強度に左右される」
「……なるほどな」

 難解な計画書の文言では理解できなかった部分がようやく掴めてきた。WAWプログラム、被験者である俺たちに盈虧が必要であった理由。確かに意味はあったのだ。それが貴獅の言葉通り、強度を左右することになるから。

「プログラムの最終目標……それはこの満生台に信号領域を確立させることだ。現実の満生台と寸分違わぬ世界……さながら、VRで再現された満生台といったところか。そこに魂魄化した住民たちを移住させることで、半永久的に人が生き続けられる世界が誕生するのだ」
「それは、魂だけになった人がってことだろうが……!」

 信号領域をまるで理想郷であるかのように説明する貴獅の気持ちが、俺には理解できなかった。魂だけが生き続けるというのは、つまり貴獅がさっき口にしていた死後の生と変わらない。生者と死者との間には、決して埋めようもない溝があるのだ。
 意識だけでも生きられるなら……と望む者もそれは当然いるだろう。だが、この街の全ての人を霊体にするなんて、独善が過ぎる。
 WAWプログラムは、危惧していた通りとてつもなく恐ろしい計画だったわけだ……。

「そうだ。だからこそGHOSTは選んだ。信号領域へ移住する者が満ち足りた暮らしと感じられるように。領域を形成する魂魄の要件は、霊的強度……信号の発信強度の高い者たち、つまり人生において大きな苦難を乗り越えた者であると同時に、身体的な影響を受けた者であるという条件が付与されている」
「……それ、は……」

 予感がする。
 先を聞かずとも、貴獅の言わんとすることが、理解できる。
 この場所が、俺たちが、運命がどういうものだったのか。
 全ては一つの結末に――収束する。

「幻肢、という言葉を聞いたことがあるな? 失ったはずの身体の一部をまるで存在するかのように感じてしまうものだ。このメカニズムについて完全に解明されてはおらず、脳内の神経回路が影響を及ぼしているというのが有力ではあるが、今日でも議論は尽きない。
 だが、これが霊科学的な問題だとすれば。魂魄としての形が、失われる前の形を保っているのだとすれば。幻肢とは、魂魄と肉体との状態の齟齬が引き起こすものなのではないか。そう、たとえ身体的な欠落があろうとも、魂魄としての存在は五体満足であることが可能なのだ」

 だから――。
 だからなんだ。

「そう、だからこそ満生台にはこの医療センターが存在する。精神及び肉体に大きな傷を負った者を治療するための施設として」

 そして、世界は霊界化する。
 この檻から解き放たれるために……。
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