この満ち足りた匣庭の中で 三章―Ghost of miniature garden―

至堂文斗

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Fifteenth Chapter...8/2

計画書

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 ……起床は早く、時計の針は午前七時を示していた。龍美がいるせいもあって、体が自然と早起きしてしまったらしい。こういうときではあるが、ぐうたら寝てると心証は悪いのだし。そもそも、今日は時間を無駄にできない。
 着替えを済ませ、カーテンと窓を開ける。皮肉なほどの陽射しが、満生台に降り注いでいた。
 今日、GHOSTによる闇深き実験が行われることなど、感じ取れるはずもない。
 ただ、晴天の夏がそこにあって。

「分かんねえよな……」

 何事もなく、この先も満生台が続いていく。そうであれば、どれほどいいことか。
 全てが妄想、杞憂であればいいと、今も少しくらいは考えてしまう。
 階下からは、機械の駆動音が微かに聞こえてくる。どうも俺より早起きなオヤジが、いつも通り仕事をこなしているらしい。こんな日こそ、ルーチンワークをこなすことで落ち着けるというのはあるだろうな。
 とりあえずおはようと声を掛けに行くか、と思ったとき、俺は偶然視界の隅に人影を見つける。それは意外な人物の姿だった。
 久礼羊子……つまり、貴獅の奥さんだ。

「何で……」

 こんな朝っぱらから、彼女はまるで目的も無く彷徨っているかのように歩いていく。方向からして、つい今しがたまで森にいたらしい。
 どういう理由で、彼女は今ここにいるのだろう。何をしているのだろう。気になった俺は、すぐさま彼女を追いかけることにした。
 いくら羊子さんの歩みが遅いからと言っても、視界不良な俺だと中々追いつくことができない。結局、彼女を見つけてから五分ほど経って、ようやく制止させることに成功したのだった。

「久礼さん」
「……あら……あなたは」

 振り向いた瞬間は虚ろだった目に、微かな光が戻ったようだった。もちろん、それは俺の感覚的なものでしかないが。
 羊子さんは俺の名前を呼ぶと、満雀をいつもありがとうと、何度も聞いた言葉を口にする。

「何かふらふらしてるように見えたんすけど……大丈夫っすか?」
「ああ、いえ……」

 羊子さんはそこで少し言い淀むと、

「……虎牙くんの方こそ、随分久しぶりに顔を見せてくれたけれど……どこにいたの? 満雀もみんなも心配していたわ」
「はは、まあ色々あったんでね。久礼さんも知ってるでしょうけど」
「ええ……ここ数日で、本当に恐ろしい事件ばかり起きて。本当に」

 羊子さんの口振りに、俺はどことなく違和感を覚える。何かしらの迷いがあって、口にするのを躊躇しているかのような。
 だから、目が泳いでいる。

「俺、自分が目撃者になっちまったこともあって、事件を解決しようって調べてるんすよ。結構色んな大人の協力してくれてる。ねえ、久礼さん。久礼さんも何か知ってたら、些細なことだって構わないんで教えてくれないっすか?」

 しばらく、沈黙が続いた。
 羊子さんは初め、驚いた顔をしてから、すぐに表情を曇らせた。彼女にしか分からない葛藤。それが頭の中で繰り返される。
 そして。

「……私には、分からないのよ」
「え?」
「彼の考えていることが――」

 ゆっくりと、左手が差し出される。
 その手には、小さな冊子が掴まれていた。

「ま、まさか……」

 意外なところから、それはもたらされた。
 あれほど求めていた、真実へ至るための情報が。

「貴獅さん……夫は、この満生台で怪しい実験を続けている。永射さんやあの人が所属していた団体に援助を受けながら。でも、永射さんがあんな風に死んでしまって、それだけじゃなく優亜ちゃんまであんなことになって……街中では、鬼の祟りだとか恥を知れという言葉まで、耳にするようになったわ。でも、あの人は全然立ち止まろうとはしなくて……」
「……久礼さん……」

 僅かな躊躇いの後、俺は静かに手を伸ばす。

「……お借りしますよ」

 分厚い紙束は、しかし所々がくしゃくしゃと折れ曲がっている。乱暴に扱われたか、破れている場所も幾つかあったが、読めないというレベルではなかった。
 表紙には、この街で進められてきた計画の名称が英語で綴られている。
 Waxing and Waning Program――と。

「ねえ、虎牙くん。あなたはいつから満雀と会えていないのかしら」
「え? ええと……」

 突然そんな問いを投げかけられたので、俺は慌てて記憶を遡る。満雀ちゃんと最後に会ったのは確か、住民説明会があった日だ。それ以降、永射の事件を境に俺は身を隠しているから。
 だから……。

「……?」

 住民説明会は七月二十四日のことだ。それは覚えているのだが、具体的な記憶が何故か霧にかかったように思い出せない。特に、永射との話ではなく学校で過ごした時間の方が。……どうしてだ? あまりにも単調な日常だったから、記憶に残っていないのか?

「どれくらい前か、正直なところ分からないんじゃないかしら。……私もね、あの子と面と向かって話せたのは二週間も前のことだわ」
「二週間……」

 何だろう。
 とてつもない齟齬が、そこにある気がする。
 認識を許されないような、大き過ぎる陥穽が。

「貴獅さんは、全て満雀のためだと言いながら怪しげな研究を続けてきた。そして二週間前、私はとうとう満雀に近づくこともできなくなった。どうしてなの? あの子の身に危険が迫っているとしたって、私にも会わせないなんておかしい。そこに書かれてる計画がどんなものなのか、私には理解できなかったけれど……あの人はまるで悪魔に取り憑かれているようだわ……!」

 全ては満雀ちゃんのため。確かに、俺は以前双太さんから貴獅の行動理念について聞いていた。あの人は家族を、満雀ちゃんを大切に思っているのだと。
 だが、今の羊子さんの話を聞く限り、少なくとも夫婦間の気持ちはバラバラだ。彼女は何も知らされず、我が子と引き離されることをただ嘆いている。
 その状況で、何かしら反抗しなければと持ち出したのが、この計画書なんじゃないだろうか。

「俺も満雀ちゃんのことは大事だし、もちろんこの街のことも大事っす。だから、貴獅さんがヤバいことに手を染めてるってんなら止めたい。ここしばらく、俺はそのために動き回ってました」
「虎牙くん……」
「正直言って、たとえ何人協力してくれる人がいても、必ず止められるなんて自信は湧いてこないっすけど。……でも、いつもの日々を取り返したいってのは本当なんで」

 気弱な玄人と。
 勝気な龍美と。
 そして柔和な満雀ちゃんと。
 俺たちの日常は、こんなところで終わらないのだと、証明したい。

「久礼さんが持ってきてくれたこの計画書は、どうにか糸口にしてみせます。久礼さんも、出来る限りのことを頑張ってください」
「……そうね。それしか、ないんだもの……」

 拳をぐっと握り締め、羊子さんは呟く。

「私は……母として、満雀を……守らなきゃ」

 そうして彼女は身を翻すと、

「ありがとう、虎牙くん。あなたもどうか……気を付けて」

 相変わらずふらふらとした足取りではあったが、ゆっくりと病院の方へ歩いていくのだった。

「……はぁ」

 羊子さんの姿が見えなくなって、少しずつ緊張感が増してきた。今ここにあるのは間違いなく、俺たちが追い求め、龍美が一瞬は手にした計画書だ。
 これはもはや手掛かりではなく、答えに等しいもの。久礼貴獅や永射孝史郎が行ってきた実験の全容を明かすものなのだ……。
 手の震えを感じ、もう片方の手でそれをぐっと押さえつける。……とにかく今は、帰ってこの内容を確認しなければならない。
 俺は逸る気持ちを抑えながら、来た道を引き返すのだった。
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