この満ち足りた匣庭の中で 三章―Ghost of miniature garden―

至堂文斗

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Fourteenth Chapter...8/1

八〇二の深淵②

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 扉の向こう。塵芥や様々なものが沈澱した空間。絶望的な暗闇に、オヤジは懐中電灯の光を差し込む。後の二人もちゃんと懐中電灯を持参してきたようで、仲間内だけで行った最初の探索よりも幾分か明るくはなった。
 始めは役所かと思っていた内装も、研究施設だと知るとなるほどと感じられる。七十年近く前に、こんな場所にコンクリート造の建物があるのなら、役所などではなく余程事情の混み入ったものであるのは考えてみれば当たり前だ。
 受付と思わしき、最初の部屋。棚に並んだ大量の文書は、研究に関わる資料か。だとすれば、あの名前が書き連ねられた文書は在籍していた研究員の名簿だったりするのだろうか。

「土砂に埋もれていたにしては……結構綺麗なまま残っているね」
「ええ、これは手掛かりも期待できるかもしれない」

 蟹田さんと八木さんが、早速周辺を調べながら言葉を交わしている。オヤジもライトを色々な方向へ当てながら、慎重に空間内を検めていた。
 そして、俺たちが放置したままになっていた本に、光が当たる。びっしりと名前の書かれたそのページに、忽ち三人の目は釘付けとなった。

「……これは」

 触れようとし、しかし脆くなっていることに気付いたオヤジは、一度手を引っ込めて鞄から何かを取り出した。ピンセットのようだ。オヤジは右手にそれを握ると、慎重にページをめくっていった。

「どこまでも名前……ですね」
「名前、もそうだけど……バツが付いているものもあるな」
「あまり考えたくはない符号ですが……」

 ページは十や二十ではなく、百近くあるらしい。見開きに記されている名前は八つくらいなので、単純に考えると八百人前後の名前が載っていることになるが。

「……八百……まさかな」
「いや、まさかじゃないかもしれないよ」

 蟹田さんが、珍しく険しげな表情でそう答えた。……そうか、この人もまた、俺と同じ考えが浮かんだということか。

「ここが軍事施設……特に化学兵器のようなものを研究していたのなら、むしろ当然の帰結だ。この無数の名前は全て、被験者のものであるというのもね」

 残酷な真相。
 この名前に付いたバツの意味は自ずと理解できるし、そもそも名前が一部適当なのも、名前が分からないために施設側が勝手に付けたというのが透けて見える。
 そう……これは犠牲者たちの名簿なのだ。
 あの日考えた、過去の村人たちの名簿などではなく……。

「ざっと見た感じではありますけど、この文書には八百近くの人名が書かれてますよね。……これもまた、妙な符号です」
「というのは?」
「いえ、龍美さんが話してくれたことがあるんですが、この街に点在する道標の碑というのも、彼女たちが一度数えてみたことがあるらしぅ、途中で止めてはいるものの、恐らくは八百前後あるんじゃないかと」
「それで、八〇二って入口の数字と結び付けて考えたこともあったんだよ」

 しかし……被験者の数が八百二人だったとすると、そこには別の意味が生まれる。
 決して字面の通りではない、道標のもう一つの意味が。

「もしかして……あれは、墓標なのか」

 蟹田さんの言葉に、死んだような静寂が降りた。……そう、被験者の数と道標の碑の数が同じだったのだとすれば。
 碑は、恐らく終戦直後にできたものだという。事情を知る者たち――元軍人や当時の村長などが、鎮魂のために碑を立てたのではないだろうか。犠牲となった八百二人のため、この施設を基点として村中に、墓碑を。

「八〇二の名の下に、同じ数の被験者が連れてこられ…そして全てが終わったとき、同じ数の墓が、出来た」
「もしかすると、今もこの周辺には埋まっているのかもしれない、いやきっとそうなんだろう。犠牲となった者たちの遺体は、きちんと処理する時間もなかっただろうから」

 封じられているのは、鬼ではない。
 ある意味では、鬼なんかよりも余程恐ろしい、歴史の闇。

「池の底は……どうなってるってんだ……」
「いずれは……確かめられなければならないと、俺は思うよ」

 水底に沈む、無数の骸。
 それを想像するだけでも、俺は吐き気を催すような息苦しさに襲われた。
 道標の碑は、生者のために作られたものではなく。
 死者が安らかに逝けるよう、鎮魂の意味を持って作られたものだというのか……。

「つくづく、あいつらを連れてこなくてよかったっ。最初に来たときは何も分かってなくて、これは当時の村の名簿かと思ってたくらいっすから」
「そう考えるのが常識的だね。こんな場所に、よもや軍事施設跡があると誰も思わないんだから、被験者のリストなんていう解も当然出てこないさ」
「そりゃそうだ」

 ここまで常識が覆されることになると、二週間前までの自分は想像もしていなかった。満生台に横たわり続けていたものの大きさに、ただ戦慄してしまう。

「ここはまだ受付のようだけど……先があるんだろうね」
「ええ、こっちに扉が」

 俺は扉を指差し八木さんに示す。彼はそちらに光を向け、一つ頷いた。
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