この満ち足りた匣庭の中で 三章―Ghost of miniature garden―

至堂文斗

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Eleventh Chapter...7/29

死と手形と

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「……いないのか、早乙女」

 心臓が止まるかと思った。
 すぐ裏手の方から聞こえてきたその声は、聞き間違えようもない、久礼貴獅のものだった。
 何故 いや、きっと奴も俺と同じような理由でここまでやってきたに違いない。
 帰ってこない早乙女さんを気にして、この邸宅跡までやってきたのだ。
 つまり、早乙女さんは龍美と鉢合わせした可能性がある……?
 訳が分からない。事態を飲み込むよりも前に、ほとんど反射的に俺は隠れる場所を探した。幸い大体の場所が暗がりで、瓦礫も大量だったため、すぐ隠れる場所は決められた。
 音を立てないようにだけ気を付け、俺は身を潜める。すぐに貴獅の声はこちらまで近づいてきた。

「……お、おい早乙女……!?」

 俺とは違い、貴獅はすぐに異常を察知する。視覚的に、とんでもないものが飛び込んできたのだから当たり前だ。
 奴はすぐ死体に駆け寄り、その脈を調べて死亡を確認していた。深い溜め息が場を満たす。

「なぜ……このような仕打ちを」

 貴獅はそんな言葉を呟く。最初は殺人そのものに対するものかと思ったが、少しニュアンスが違う気がする。惨い、という言葉が後に続いたからだ。
 俺の目ではハッキリとその惨状を視ることが叶わない。しかし、途切れ途切れの呟きが少しずつ状況を鮮明にさせていった。

「何故腹部を……それに、この手形は……早乙女の血で……?」

 腹部を切り裂かれ、その床に血溜まりを作った早乙女さんの死体。言うまでもなく殺人だが、その行為の後で犯人は、血の手形をべったりと壁面に付けていったらしい。
 本当に、何故だ? 貴獅と同じように、俺は意味不明な現場状況に頭がおかしくなりそうだった。

「……鍵はあるな」

 貴獅は膝をつかないように気を付けながら、床に落ちていた鍵を拾う。見逃していたが、あれが地下室の鍵らしい。
 ならばやはり、龍美もここへ来ていたのは確実だ。その上で、早乙女さんがこうして殺されている……。
 背筋が震え上がった。

「どうすることもできん、か。仕方ない、救援を呼ばなければ……」

 貴獅はそう呟くと、早足で現場を立ち去っていく。てっきりスマホで助けを呼ぶのかと思ったが、取り出す素振りすら見せなかった。
 ……件の電波障害は、やはりあいつが意図してのものなのだろうか? それとも、早々に気付いて諦めているだけだろうか? まあ、恐らくは前者だろう。
 しかし……恐ろしい事態に陥ってしまった。第二の事件、それも明白な殺人事件が起き、俺が知る情報から導き出される容疑者は、龍美を置いて他にいないのだ。
 でも、まさか。龍美が早乙女さんを殺害し、更には腹を引き裂いて血の手形をつけるなんて猟奇的なこと、できるはずもないだろうが。
 一体全体、何がどうなっているのか……!

「……手形?」

 そのとき、ハッと気付いた。
 幾ら何でも、そんなものを龍美が残すはずがないのだ。
 何故なら、たとえ警察が来られない閉鎖空間の中であっても、龍美が手形を残してしまえば忽ち特定されてしまうはずだから……。

「訳が分からねえ……」

 思えば、俺の事件のときもそうだ。
 永射と対峙し、危害を加えられそうになったところで背後から殴られ、意識が途絶えた。そして気付けば永射は水死体となっていた……。
 龍美も同様ではないのか。早乙女さんに捕まり、追い詰められたところで別の誰かが現れ、早乙女さんを殺害した……。
 犯人の意図はまるで分からない。俺にしたって龍美にしたって、殺してもいいはずだ。顔を見られているかもと言う不安は付き纏うだろうし。けれども俺は生きている。きっと龍美だって生きている。犯人は、永射たちGHOST側の人間にのみ恨みを抱いているということか? それとも……。

 ――何にしても、だ。

 貴獅が引き返した今くらいしか、ここを立ち去るチャンスはない。俺は奴の気配が一切ないことを確かめた上で、邸宅跡から脱出した。
 ……第二の事件。可能性として考えていないわけではなかったが、起きてほしくない最悪の事象だった。
 おまけに、被害者がやはりGHOST関係者だったというのは想定の範囲内として、まさか龍美が関わってくるなんて。
 あいつはどこに行ったのだろう。家に戻っていないのは明白だが、ほかに身を隠せる場所などあるだろうか。
 すぐに思いつくのは秘密基地だった。一時的にそこで隠れているなら、パニック状態で助けを求めているかもしれない。……正解かどうかは分からなくとも、とにかく行ってみるべきだな。
 邸宅跡から真っ直ぐ西へ進み、自宅まで戻ってくる。オヤジへ報告も入れたいが、それはとりあえず龍美の所在が分かってからにしよう。
 家をスルーして森の中へ。再び降り注いだ雨のせいで、地面のコンディションは悪い。足をとられないよう気を付けながら、一歩一歩しっかりと踏み締めていく。
 やがて秘密基地の蚊帳が見えてくる。しかし、そこに人の気配はなかった。隠れている、というわけでもなさそうだ。雨の去った後の森は、死んだような静寂が満ちている。

「……ここじゃねえのか」

 ムーンスパローも、あれから起動した様子はない。どうも、俺と再会したときが最後で、その後は足を運んでいないようだ。
 この場所以外。危うい状況に立たされた状態で、その身を委ねられると思えた場所。
 あいつが頼りそうな人のところといえば……。

「……帰って確認するしかねえな」

 心当たりは浮かんだ。だから、まずは電話で確認してみることにする。ついでにオヤジへ報告だ。そんな流れでいいだろう。
 ……秘密基地。
 誰もいなくなった、水浸しの集会場。
 つい一週間ほど前までは仲間同士で連んでいたのに、今はバラバラだ。
 同じ境遇に立たされたであろう龍美は除くとして、玄人や満雀ちゃんはどれほど心配しているだろうか。特に満雀ちゃんは、自身の父親が怪しい計画を練っていることに、どこまで気付いているのか。
 彼女に会うことができれば、いっそ突っ込んだ話をしても構わないかもしれない。ただ、会うことはかなりの難題だという、確信めいた予感はあるが。
 蜃気楼のような少女……。
 ……ぼーっと平穏を懐かしんでいても仕方がない。俺は緩々と首を振り、甘えを追い出す。
 さあ、行かなくては。冷たい秘密基地に背を向けて、俺は森の出口を目指した。
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