この満ち足りた匣庭の中で 三章―Ghost of miniature garden―

至堂文斗

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Tenth Chapter...7/28

病院地下にて

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「……う……くっ……」

 意識の覚醒とともに、頭にじわじわと痛みが戻ってくる。この一週間で、二度も殴られて気絶するなんて信じられないな。
 殴られたショックのせいか、また昔のことを思い出してしまった。救いようの無い過去だ。
 ……あのとき俺が、誰かに頼れていたなら。それはきっと外鯨自身でも良かったはずだ。何かしら、自分の中だけに留めず考えられていたなら……もう少しマシな未来もあったのではと思う。
 ただ、それは満生台にやってきて、ここで友人たちと過ごせてから至った思考だ。当時の俺に、相談なんて言葉は存在しないも同じだった。振り返っても仕方のない過去なのだ。
 そう、今願うならば……外鯨が自分の生きたいように生きられていることくらい。
 あの日、涙ながらに医者になると口にした、あいつが。

 ――呪いにはならないでほしいもんだがな。

 あくまでも、歩きたい道を進んでほしい。
 それが、せめてもの祈り。

「……痛て……」

 しかし、ここはどこだろう。光がほとんど入らないせいで、それこそ目隠しをされているようだ。床は冷たく、硬く、コンクリートのようなものだというくらいは想像できるが……。
 意識を失う前のことを整理する。永射邸の調査に向かった俺は、早乙女さんの姿を確認して後を追ったわけだが……そこでガツンと殴られたらしい。
 だとすれば、状況は良くない。少なくとも俺をここまで連れてきたのは、味方してくれる存在ではないということだ。
 早乙女さんが裏をかいてきた? それとも、別の誰かが忍び寄っていたのか。
 こうもあっさり捕まってしまうとは……情け無い限りだ。
 夏にも関わらず、僅かだが肌寒い感覚。冷たい床に、光なき視界。……ここは、地下だろうか。少なくとも、普通の住宅の中ではなさそうだった。
 無音の中、一人だけ取り残されているこの状態は、考えないようにしても不安が押し寄せてくる。俺は今どうなって、これからどうなるのか……。
 そのとき、場違いなほど軽快な電子音がした。そう、エレベーターが止まったときに鳴るお知らせの音だ。
 それから扉の開く駆動音がして、カツン、カツンと床を踏み鳴らす音が近づいてきた。

「目が覚めたな」
「……アンタは……」

 喉が酷く乾燥していることに気付き、そこで咳き込んでしまったが、相手はただ無感情に佇んでいる。ああ、今の声は間違いなく奴だ。

「……久礼、貴獅……」

 近づこうとして気付く。まるで取調室のように、俺と奴との間には仕切りがあるようだった。ゆっくりと手を伸ばすと、ガラスか何かの冷たい感触。それなりに分厚さもあった。

「怪しい人物がいたのでね、重要参考人ということでここまで同行してもらった」
「……何?」
「行方不明の少年が、火事の起きた現場で怪しい行動をとっていたのだ。警察も来ず、永射孝史郎という行政上のトップも死亡した今、それを訝しんで病院の人間が任意聴取を求めてもおかしくはあるまい」

 なるほど、そういうことか。
 たとえ事実がどうあれ、この状況で俺が被害者だと訴えても信じられるとは限らないぞという脅しなわけだ。
 こいつらが強引な手段を取ったとしても、嘘によって正当化されてしまう。行方を晦ませている事実は、俺を不利な状況に追い込んでいた。

「狡賢い奴らだ。俺一人、どうとでもなるってわけかよ。だったら見逃してくれても構わなかったんじゃねえの」
「目障りな鼠を放置しておくほど、楽天家でも博愛主義でもないのでね」

 言いながら、貴獅はゆっくりと部屋の中を歩き回り始める。探偵の所作のように。

「娘に近しい君たちが、程度の差はあれこの街の事情について詮索し始めたことは分かっている。それが単なる好奇心であり、計画の進行に無影響ならばどうでもよかったが……そうもいかなくなった」
「計画……」

 そこを隠す気はないようだ。まあ、俺たちの行動を把握しているわけだし、知られている前提で話すのは当然か。

「永射が殺された。これは異常事態だ。……お前は何を知っている? あの日、永射と二人で会っていたであろうお前は」
「……ってことは、アンタも知らないのか?」
「……ふむ」

 俺が問い返すのは予想外だったようで、奴は数秒間考え込んだ。……しかし、俺も予想外だ。まさか、貴獅からその問いを受けるだなんて。

「状況的には、明らかに君が最重要参考人なのだが……君は本当に、犯行について関与を否定するのか?」
「生憎だが、俺はついさっきまでアンタこそが犯人じゃないかと疑っていたクチだ。……その様子じゃ、違うように見えるけど」
「同感だ。意見が一致するなど腹立たしい限りだが」

 余計な一言を付け足さなくてもいいだろう。思わずこちらも毒を吐きたくなったが、そこはぐっと我慢する。

「アンタは、犯人探しも兼ねてこんなことを……?」
「計画における最大の障害が、永射を殺した殺人犯の存在だ。どうしてそんなことが起きる? この平穏な街で、ただ実験が粛々と行われればよかったというのに、なぜ彼は殺された? おかげで計画に多大な影響が出ている……不安因子は早急に排除せねばならない」

 排除というからには、警察に突き出すとかそういう次元の話ではなさそうだ。結局悪は悪で、こいつらなりのやり方があるというわけか。

「俺のことはどうするつもりだ。まさか病院にこんな地下室があるとは思わなかったけどよ」
「どうもしない。が、どうせ行方を晦ませている人間だ。このままここで大人しくしていてもらっても問題はなさそうだな」
「……ちっ」

 貴獅の目的が達成されるまで、俺は閉じ込められたままになるのだろうか。確かに、俺を帰すメリットなど一つもない。探りは入れられなくなるし、犯人だった場合はこれ以上の犯行ができなくなるわけだ。
 こちらに切れるカードもない以上、解放される見込みは……ゼロなのか。

「……なら、いっそのこと教えてくれよ。アンタらがどんな研究をしてるのか。それは本当に満ち足りた暮らしを実現させるためのものなのか」

 諦め混じりの、懇願に近い台詞だった。
 それに対する貴獅の回答は素っ気無く、

「……もう間もなく、分かることだ」

 そう呟くのみだった。

「……君は、本当に永射殺しに関わっていないんだな? 前後に怪しいものをみたり、そういったことはあったのか」
「知らねえさ。頭を殴られたみたいだけどよ、それ以外の記憶はねえ。気付いたら何もかも、終わってたんだ」

 そう、本当に言えることはそれだけだ。
 相手が真摯に向き合わない以上、こちらも真剣になる意味などないのだし。
 ただ、その答えに貴獅は何かを考えているようで、

「まさか……そのような……」

 という呟きが微かに聞き取れた。

「永射は……何で殺されたんだ? アンタらには、命を狙われている自覚があるのか?」
「……それは考慮外だった。あいつが殺されるまでは。理由があるとすれば、それこそ三鬼村に伝わる祟りのせいかもしれんがな。信心深い人間ほど……狂いやすい」
「瓶井さんみたいな、かよ。信心深いのは年寄りばっかな気がするぜ」
「そうとは限らんさ。結局、現状は無駄な推論を重ねるだけに過ぎんが」

 カツ、と革靴が床を踏む音が響く。
 貴獅は踵を返して、俺から背を向けたようだった。

「八月二日、満生台は……そこに住まう者たちは満ち足りた暮らしの意味を知る。解き放たれることの自由を知る。それまで、暫くは大人しくしていてもらおう。なに……あと数日の話だ」
「ま、待てよ!」

 足音は遠のく。暗い室内ではその姿を確かめることも困難だ。ボタンのランプらしきものが点灯すると、エレベーターの扉が開いて、奴はその光の中に吸い込まれていく。

 ――冗談じゃない。

 意識を失ってから何時間経っているかは不明だが、今は恐らく二十七日か二十八日。八月二日といえばあと五、六日先だ。この地下に監禁され、ほとんど一週間近くを無為に過ごさなければならないというのか。
 ……失策だった。犯罪的な行為をここまで厭わないとは、正直甘く見過ぎていた。永射邸が放火されたとき、もう少し認識を改めておくべきだったのに。
 たとえ永射の殺害に奴らが無関係でも、奴らが行なっていること自体はきっと、悪に違いないのだから……。
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