この満ち足りた匣庭の中で 三章―Ghost of miniature garden―

至堂文斗

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Tenth Chapter...7/28

外鯨美波④

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 やがて、小さな種子が大きな花をつけるように。
 諍いは規模を膨らませ、悪意は満ち満ちていく。
 そうだ。こんな奴らは常に衝動を抑え込んでいる。燻らせている。
 だから、それが解き放たれる瞬間を常に待ち望んでいたのだ。
 ……人質はいないようだった。周囲をどれだけ見回しても、外鯨の姿はないし、他の哀れな犠牲者もいない。ただ、ぐるりと俺を取り囲むのは、街をたむろする無数の不良どもだけ。
 こんな状況に、ほっと安堵している自分がいるのに笑ってしまう。全く、馬鹿みたいだ。あまりにも馬鹿げた方法だ。
 俺を目立たせる。俺自身が全ての悪ガキどもにとって邪魔者になったなら、どうでもいい人間にまで目を向けることは無くなるだろう。実にシンプルなヘイト稼ぎだ。
 先のことは知らない。考える頭がないから、これくらいしかできなかった。それに、区切りがつけば遠くに移り住めばいいのだ。身寄りのない俺だからこそ、未練なくそれを実行できると思えた。
 むしろ、何もしないことの方が未練だと思えたのだ。

「今日がテメエの最後だぜ、暴れ虎さんよぉ」

 まだその名前で浸透していたのか、と鼻で笑い飛ばしつつ、俺はリーダー格らしい男を睨む。

「よくもまあこんなに集めたもんだな。数集めなきゃ怖えのかよ」
「次が無えよう徹底的に教え込んでやろうってことだよ。そのふざけた態度がいつまで持つか楽しみだぜ」

 武器を持っているガキどももちらほらいる。……プライドも何もないのか、明らかに高校生や小学生もいた。というか、そんな歳で道を踏み外すなよと諭したくなる。俺が言えたもんじゃないのだが、それでも痛々しかった。

「かかれっ!」

 そんな号令をかけると、不良どもの波が一斉に押し寄せてくる。数は十、二十……目視じゃ数え切れないし、そもそも時間もなさそうだ。
 飛んでくる拳を避け、足蹴りを受け止め、間隙を縫うように一撃を食らわせる。吹き飛んだ一人がもう一人を巻き添えにし、そいつらを足蹴にしながら次の男が攻めてくる。
 阿鼻叫喚とはまさにこのことだ。怒号と悲鳴が入り混じり、何が何だか分からない。俺は一人だから、向かってくるもの全てを処理すればいいだけだが、相手は周囲のほぼ全てが一応味方なので、間違えて殴りかかったり、進路を妨害する格好になったりして、激しい暴言がそこかしこで飛び交う有様だった。
 だが、その混沌がこちらにとってもやはりやり辛いのは間違いなく、ごちゃごちゃに絡んだ糸のように、訳の分からない場所から拳が時折降りかかってきた。懸命に避け続けるが、どうにも限界はあり、あるところで左肩に手痛い一撃を食らってしまう。

「っしゃあ! 俺がやったぞ!」

 たった一撃で大喜びする下っ端。そこに至るまでに十人以上は床を転がっているというのに。……ただ、実際それは戦況をひっくり返すものではあった。痺れるような痛みに、腕を突き出すスピードは明らかに鈍ってしまっている。
 一瞬の遅れは一手の遅れとなり、それは二手、三手と遅れていく。躱すことが優先されてしまえば、相手にする数は減らなくなってしまう。器に満ちる水が限界を迎えれば、溢れ出すのは必然で。

「うぐ……っ」

 腹に激痛が走り、体がくの字に折れ曲がる。強烈な吐き気を催したが、それを堪えなければ次撃を防げず、死に物狂いで身を捩らせてカウンターを決める。
 数人が吹っ飛んで気絶し、ほんの僅かに空白の時間が生まれる。息を整え、今度は俺から打って出た。
 これが最後だと、心の中で叫び。
 これが叛逆だと、姿なき何かに訴える。
 拳は肉を抉り、骨を砕く。
 失うだけの闘いで、けれども勝ち取れる何かががあるとすれば。
 それを、幸せに生きるべき誰かに捧げよう。
 俺にはできない生き方で、ゆっくりと歩き出すために。
 最初の一歩を地均ししてやるくらいは、どうか。

「……おおおおぉぉっ!」

 血と肉に塗れた混沌の中で。
 最後に閃いたのは、銀色の光だった。





 サイレンの音が脳内を満たし。
 誰かの鳴き声が、耳に残り続ける。

「義本くん……死んじゃやだよ……!」

 それが外鯨の声だと気付く頃には。
 俺の意識はもう一度、暗闇の中へと沈んでいる。





 やがて、水泡が海面へ浮上していくように、ゆっくりと意識は覚醒していき。
 音や、匂いや、痛みを取り戻していく中で、一つだけ戻らないものがあった。

「……義本、くん?」

 聞き慣れた声。それは間違いなく外鯨のものだ。震えながら、遠慮がちに発せられた声は、しかし俺が目覚めたことを認識すると、途端に大きな声に変わった。

「義本くん!」
「わ……っ」

 冷たい手が、俺の手を掴んだ。びっくりするだろ、と言いかけて、止まる。……彼の手は僅かに濡れていて、ぽたり、ぽたりと落ちてくる雫がその理由だった。

「お前……」

 顔を見ようとして、俺ははたと気付く。
 眼帯? 包帯? 俺の視界はいつまでも真っ暗闇だった。
 ぐるりと頭を囲んでいる布があり、やはり包帯かとそれをずらそうとする。けれど、外鯨は慌ててそれを止めた。

「義本くん、駄目……!」

 これくらいどうってことない。
 そう言って、笑ってやりたかった。
 ……でも、そこでようやく思い至る。
 えも言われぬ喪失感があることに。

「……あれ……」

 ひたひたと手を当てる。
 包帯に包まれたその中は、ただ鈍い痛みだけが残されたものだった。

「……ごめん、ね」

 握る手の力が、ぐっと強まり。
 そして零れた涙が、俺の手にもぽたりと一粒落ちた。

「ごめん……義本くん……僕の、せいで……」
「……何言ってんだよ」

 お前のせいなんかじゃない。
 ただ、そう……俺が浅はかなだけだった。それだけのことだ。
 お前が泣くようなことじゃ、ないってのに。

「でも……義本くんが……うう」
「泣くなっての」

 泣かれてしまうと、こちらまで感傷的になってしまう。果たして今の俺に、涙が流せるのかも知らないが。
 全く……世界が変わるのは、一瞬で、呆気ない。
 俺は……。

「あれから、三日が経ったんだ」

 外鯨はそれから、ことの経緯を静かに語ってくれた。
 乱闘の最中、俺が見た銀色の光は金属バットだったらしい。それが不運にも両目の位置に振り抜かれ、直撃を食らった俺はそのまま気を失ったのだ。
 不良どもの喜びも束の間だった。俺の顔は、それはもう酷い状態だったようで、飛び散る血、歪んだ表情に、あちらの方が戦意を喪失したらしい。
 俺じゃない、俺たちは悪くないと口々に言いながら、それこそ蜘蛛の子を散らすようにバラバラと。周辺住民は、青褪めた表情の不良たちを見かけ、これは間違いなくヤバいことがあったと噂していたそうだ。
 俺を見つけてくれたのは外鯨だという。住民の噂話が偶然にも彼に届いたわけだ。誰も近づきたがらない事件の中心部にあえて向かい、そして倒れている俺を発見してくれた。
 治療が早かったおかげで、俺は何とかこの程度の怪我で済んだともいえる。もっと遅れていたら、命すら危うかったのかもしれない。
 だが……外鯨は、それで良しとはならなかった。
 決してお前のせいじゃないのだから、悔やむ必要はないのに。
 涙を流してくれることは嬉しいにしても……。

「俺が買い続けた喧嘩だ、お前にゃ関係ねえ。積もり積もったツケを、一気に返さなきゃいけなくなっただけなんだよ」
「でも、だからって、こんなことになるなんて……酷いよ……!」
「そんな馬鹿げた生き方をしちまってたってことだろうな」

 できるなら外鯨を慰めてやりたかった。
 けれど、今の俺には彼の頭が、手がどこにあるのかもよく分からない。
 ポンと手を置いてやることすら、難しくて。
 情け無い状況に、自嘲気味な笑みが思わず零れる。

「本当に……ごめん……」
「……外鯨」
「僕には! ……謝るくらいしかできない……。何かできればいいのに、やり直せたらいいのに! どうしようも、なくって……」

 声を震わせて。
 外鯨はぐちゃぐちゃになった思いを吐き出す。
 ああ……お前は本当に、生真面目な奴だ。
 ただ真っ直ぐで、優しすぎる……不運な人間だ。
 どうして俺たちは出遭ってしまったのだろう。
 互いの足りないものを求め合うように。

「どうもしなくていいだろ。後は何事も起きないように祈りながら、生きていけばいい。多分、大丈夫だ」
「僕のことなんて……」
「これは俺の人生で。お前にゃお前の人生があるだろうが」
「それを僕が……僕のせいで……」

 思いはすれ違い、そしてきっと繋がることはないのだと、俺は自然に悟っていた。
 だから、せめて上辺だけでも悲しさを覆い隠してほしかったのけれど……やはり真面目な外鯨のことだ、彼の涙はいつまでも枯れなくて。
 俺たちには、これから先など訪れない。
 全ては虚しく終わり、手の中に残ったものはなく。
 願うものは叶わず……わがままは、ただ心の中に留めるしかなかった。
 ごめんなさいはもう、聞きたくなかった。
 どうか……どうかもう一度。
 ありがとうと聞きたかったのだ。
 
 桜の色付く、別れの季節。
 俺は大事な世界を失って、満生台へと流れ着いた――。
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