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Seventh Chapter...7/25
『脳内電気信号の解離後伝達について』
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その夜。
俺はオヤジから逐一、街の状況を報告してもらい、自室で過ごしていた。どうやら永射の死と同じくして、街の端にある道路が土砂崩れで塞がれてしまったらしい。外部と繋がる唯一の道路だったので、車やバイクなどで隣町に行けなくなってしまったわけだ。
無理矢理山の中を突っ切ったりすれば越えられなくはないが、徒歩で隣町まで行くのは相当大変だし、大人しく撤去を待った方がいいとのことだった。
何らかの意思を感じないわけでもないが、そこまで大掛かりなことを人為的に起こしたとは考えたくない。今は自然現象ということで保留しておこう。
……クローズドサークル。龍美や玄人からの聞き齧りで得た知識ではあるが、閉鎖空間でのミステリをそんな風に言うのだとか。永射の死と連鎖する様に判明した街の閉鎖。気味が悪いことは確かだ。
ちなみに、龍美と玄人からはありがたいことにというべきか、心配のメッセージが来ている。ただ、状況が状況だけに、反応を返すのは憚られたので、通知で文面を確認したまま放置することに決めていた。
「……さて、と」
これからの捜査の事前段階として、俺はまずオヤジからの情報を精査してみることにした。具体的に言えば、久礼貴獅がその昔著したという論文についてだ。
タイトルは確か『脳内電気信号の解離後伝達について』といったか。ネット上にどこまでの情報が転がっているかは不明だが、検索をかけておくにこしたことはない。
「……お?」
意外にも論文はすぐにヒットした。多分、題が一字一句正しかったおかげだろう。PDF形式のそれはまさに論文そのままで、総量としては数ページしかない短いものだ。
著者名は志賀健(しかたける)。わざとしかと読ませているあたりが意味深だと思い、しばらく睨めっこしていると答えが分かった。これは久礼貴獅のアナグラムなのだ。
KURE TAKASHIの順番を入れ替えると、SHIKA TAKERUになる。あの貴獅がそんな名前を使う時点で、既に意外性が高い。
論文の中身に目を通していく。この中で貴獅は自身を脳科学者と述べていて、実際初っ端から専門用語のようなものが並んでいた。しかしながら、その道の研究者からしても本論文は荒唐無稽な妄想に近いものだという前置きが挿入されており、実際に自信がなかったのか、はたまた分かる人だけに分かるレベルに留めて起きたかったのかは不明だが、予防線のきっちり張られたものになっているようだ。
論文の主題は、脳内で発生する一種の電気信号が、脳から離れてその場に留まる場合、その情報を受容できる何らかの条件が整えば、視覚や聴覚などに情報が伝わることは有り得るのではないか、というものだ。つまり、俗に言う幽霊などは場に留まったかつての信号が、そこを通った人間の視覚に作用した結果なのではないか……とのことらしい。
難しい用語は意味を掴みかねるが、大体はよく持ち出される仮説だな、と感じる。テレビなんかでそう言う説は聞いたことがあるし、斬新な着想というわけではなさそうだ。これだけで終わったなら極めて退屈な読み物でしかないが、やはりというか、論文はこれで終わりではなかった。むしろここまではただの導入のようなものなのだろう。
……記憶世界。その言葉を見たとき、微かに胸が痛むような感覚がした。どうしてかは分からないが、不思議な語感だと思ったのだ。
以前に聞いた? いや、そんなはずはない。なのに何故だか、俺はこの在り方を知っている気がして……。
『脳の信号を思念とするなら、その信号の強度が強ければ強いほど、解離後も場に留まり続けることとなる。発信者の記憶がそこに焼き付くのであれば、記憶から構成される心象風景なども全て焼き付くはずで、それはある種の仮想空間とも言えるものになるのではないか。私はこれを便宜上『記憶世界』と呼称する』
要するに、記憶の中にある景色や、匂いや温度などの感覚。それはイメージが強いほど鮮明にデータとして残り、そのデータを読み取った人間が仮想空間を体験することも可能……ということだろうか。
『また、思念というものが単なる残滓であるならば、この記憶世界もまた破損したデータでしかないが、思念が場に留まるものではなく、自ら思考できるものであったとすればどうだろう。換言すれば、まさにそれは魂魄と呼ぶべきもの、程度はあれ生前の脳機能を有した思念のことだ。思念が自発的に行動するのであれば、記憶世界も常にアップデートされるプログラムのようなものになるのではないか。人の記憶は絶えず作られていく。であるなら、思念が生み出す世界もまた更新されて然るべきだ。
そして、更新の基となるのは新たな記憶――体験の情報に相違ない』
新たな記憶、というのは魂魄状態の意識が新たに経験したことか、と先走って考えてしまったが、論文が訴えようとしているのはそうではなかった。
もっと直接的かつ乱暴な方法、だったのだ。
『外部からの信号の取り込み――つまり思念の吸収により、記憶世界は拡大する。ひいては、それは魂魄の拡大にも繋がるものだろう』
魂魄が、別の魂魄から情報を取り込む。
そうすることで、記憶世界と魂魄は拡大していく……。
「……何なんだ、この論文はよ……」
ここまで読んだだけでも、ヤバい奴の妄想ノートというレベルの話でしかない。なのに、予防線を引いているにも関わらず、書かれている内容があまりにも断定的だ。まるでそういうものが存在することを知っていて書いていると思えるほどに。
魂魄? 記憶世界? ホラーやオカルトに足を突っ込みすぎだろと笑うのは容易いが、永射の言葉が蘇ってくる。
魂魄の新たな在り方――あいつは確かにそう口にしたのだ。
「……馬鹿げてる」
そう、あまりにも馬鹿げている。
しかし、GHOSTがこれを本気で研究してきたとしたら。研究の果てに辿り着いた何らかの仮説を、実証しようとしているのだとしたら。
……それは間違いなく、災厄とも呼べる事態を引き起こす。俺にはそうとしか思えなかった。
論文はこう締めくくっている。
『無論これは、一般的に呼称される魂魄の性質について、一つの説を挙げたに過ぎない。畢竟、魂魄とは神秘の分野であり未だ解明することの出来ない領域に違いないのである。脳内電気信号を拠り所にした本論文であるが、かの暗黒物質のように、我々の預かり知らないエネルギー体がある可能性も、検証していかなければならない重要事項なのである……』
魂魄という神秘。
この世には自身の理解が及ばぬ地平が、闇が広がっているのだと、俺は改めて痛感させられるのだった。
俺はオヤジから逐一、街の状況を報告してもらい、自室で過ごしていた。どうやら永射の死と同じくして、街の端にある道路が土砂崩れで塞がれてしまったらしい。外部と繋がる唯一の道路だったので、車やバイクなどで隣町に行けなくなってしまったわけだ。
無理矢理山の中を突っ切ったりすれば越えられなくはないが、徒歩で隣町まで行くのは相当大変だし、大人しく撤去を待った方がいいとのことだった。
何らかの意思を感じないわけでもないが、そこまで大掛かりなことを人為的に起こしたとは考えたくない。今は自然現象ということで保留しておこう。
……クローズドサークル。龍美や玄人からの聞き齧りで得た知識ではあるが、閉鎖空間でのミステリをそんな風に言うのだとか。永射の死と連鎖する様に判明した街の閉鎖。気味が悪いことは確かだ。
ちなみに、龍美と玄人からはありがたいことにというべきか、心配のメッセージが来ている。ただ、状況が状況だけに、反応を返すのは憚られたので、通知で文面を確認したまま放置することに決めていた。
「……さて、と」
これからの捜査の事前段階として、俺はまずオヤジからの情報を精査してみることにした。具体的に言えば、久礼貴獅がその昔著したという論文についてだ。
タイトルは確か『脳内電気信号の解離後伝達について』といったか。ネット上にどこまでの情報が転がっているかは不明だが、検索をかけておくにこしたことはない。
「……お?」
意外にも論文はすぐにヒットした。多分、題が一字一句正しかったおかげだろう。PDF形式のそれはまさに論文そのままで、総量としては数ページしかない短いものだ。
著者名は志賀健(しかたける)。わざとしかと読ませているあたりが意味深だと思い、しばらく睨めっこしていると答えが分かった。これは久礼貴獅のアナグラムなのだ。
KURE TAKASHIの順番を入れ替えると、SHIKA TAKERUになる。あの貴獅がそんな名前を使う時点で、既に意外性が高い。
論文の中身に目を通していく。この中で貴獅は自身を脳科学者と述べていて、実際初っ端から専門用語のようなものが並んでいた。しかしながら、その道の研究者からしても本論文は荒唐無稽な妄想に近いものだという前置きが挿入されており、実際に自信がなかったのか、はたまた分かる人だけに分かるレベルに留めて起きたかったのかは不明だが、予防線のきっちり張られたものになっているようだ。
論文の主題は、脳内で発生する一種の電気信号が、脳から離れてその場に留まる場合、その情報を受容できる何らかの条件が整えば、視覚や聴覚などに情報が伝わることは有り得るのではないか、というものだ。つまり、俗に言う幽霊などは場に留まったかつての信号が、そこを通った人間の視覚に作用した結果なのではないか……とのことらしい。
難しい用語は意味を掴みかねるが、大体はよく持ち出される仮説だな、と感じる。テレビなんかでそう言う説は聞いたことがあるし、斬新な着想というわけではなさそうだ。これだけで終わったなら極めて退屈な読み物でしかないが、やはりというか、論文はこれで終わりではなかった。むしろここまではただの導入のようなものなのだろう。
……記憶世界。その言葉を見たとき、微かに胸が痛むような感覚がした。どうしてかは分からないが、不思議な語感だと思ったのだ。
以前に聞いた? いや、そんなはずはない。なのに何故だか、俺はこの在り方を知っている気がして……。
『脳の信号を思念とするなら、その信号の強度が強ければ強いほど、解離後も場に留まり続けることとなる。発信者の記憶がそこに焼き付くのであれば、記憶から構成される心象風景なども全て焼き付くはずで、それはある種の仮想空間とも言えるものになるのではないか。私はこれを便宜上『記憶世界』と呼称する』
要するに、記憶の中にある景色や、匂いや温度などの感覚。それはイメージが強いほど鮮明にデータとして残り、そのデータを読み取った人間が仮想空間を体験することも可能……ということだろうか。
『また、思念というものが単なる残滓であるならば、この記憶世界もまた破損したデータでしかないが、思念が場に留まるものではなく、自ら思考できるものであったとすればどうだろう。換言すれば、まさにそれは魂魄と呼ぶべきもの、程度はあれ生前の脳機能を有した思念のことだ。思念が自発的に行動するのであれば、記憶世界も常にアップデートされるプログラムのようなものになるのではないか。人の記憶は絶えず作られていく。であるなら、思念が生み出す世界もまた更新されて然るべきだ。
そして、更新の基となるのは新たな記憶――体験の情報に相違ない』
新たな記憶、というのは魂魄状態の意識が新たに経験したことか、と先走って考えてしまったが、論文が訴えようとしているのはそうではなかった。
もっと直接的かつ乱暴な方法、だったのだ。
『外部からの信号の取り込み――つまり思念の吸収により、記憶世界は拡大する。ひいては、それは魂魄の拡大にも繋がるものだろう』
魂魄が、別の魂魄から情報を取り込む。
そうすることで、記憶世界と魂魄は拡大していく……。
「……何なんだ、この論文はよ……」
ここまで読んだだけでも、ヤバい奴の妄想ノートというレベルの話でしかない。なのに、予防線を引いているにも関わらず、書かれている内容があまりにも断定的だ。まるでそういうものが存在することを知っていて書いていると思えるほどに。
魂魄? 記憶世界? ホラーやオカルトに足を突っ込みすぎだろと笑うのは容易いが、永射の言葉が蘇ってくる。
魂魄の新たな在り方――あいつは確かにそう口にしたのだ。
「……馬鹿げてる」
そう、あまりにも馬鹿げている。
しかし、GHOSTがこれを本気で研究してきたとしたら。研究の果てに辿り着いた何らかの仮説を、実証しようとしているのだとしたら。
……それは間違いなく、災厄とも呼べる事態を引き起こす。俺にはそうとしか思えなかった。
論文はこう締めくくっている。
『無論これは、一般的に呼称される魂魄の性質について、一つの説を挙げたに過ぎない。畢竟、魂魄とは神秘の分野であり未だ解明することの出来ない領域に違いないのである。脳内電気信号を拠り所にした本論文であるが、かの暗黒物質のように、我々の預かり知らないエネルギー体がある可能性も、検証していかなければならない重要事項なのである……』
魂魄という神秘。
この世には自身の理解が及ばぬ地平が、闇が広がっているのだと、俺は改めて痛感させられるのだった。
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