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Third Chapter...7/21
蟹田郁也
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森を抜け、自宅辺りまで戻ってきたところでスマートフォンに通知が来た。日光が眩しくて画面が見え辛く、面倒くさいと俺は満雀ちゃんに誰からの連絡かだけ確認してもらう。
「うゆ。龍美ちゃんだね」
「さっき別れたばかりだろ……」
とは言え、返事を待つ内容だったら放っておくと機嫌を損なうし、知らん振りはできない。俺もお人好しがうつってきているかなと溜め息を吐きつつ、木陰で全文を読むことにした。
『明日の昼、三人で鬼封じの池に探検に行くわよ! 拒否権は無し!』
龍美らしい、一方的な伝達である。しかし俺たちと別れてからのちょっとした時間に、一体玄人とどんな話をしてそういう流れになったのかは気になった。あいつはオカルト方面に興味を持っているし、鬼封じという名称からあの池にも関心があったのかもしれない。
鬼……か。この街に根付く古い伝承にも、三匹の鬼とやらが出てきたものだが、あちらは瓶井史という地主の婆さんが口うるさく広めて回っていたな。
電波塔が鬼の怒りを買うだの、よくもまあこじつけられるものだ。
『めんどくせえ』
龍美には適当なメッセージを返しておき、待たせてしまったお姫サマに非礼を詫びる。満雀ちゃんは構わないと笑いつつ、
「龍美ちゃんは好奇心旺盛だからね」
「全く以って」
その言葉に、俺も同じように笑った。
……しかし、メッセージの内容までは通知に出てなかったはずなんだがな。まあ、いいか。
「さて、暗くなる前に戻らねえとな」
「うん。よろしくね」
俺は軽く頷き、満雀ちゃんと連れ添って町を南下していった。
七月の空はまだ陽も高く、陽射しは容赦なく照りつけてくる。日没にはまだまだ時間があるものの、この二人だと気を抜けば病院まで数十分かかってしまうこともあり得る。満雀ちゃんの父親は怖いというか不気味で苦手なタイプだし、友達付き合いの中で波風は立てたくなかった。
まあ、満雀ちゃんもあまり率先して喋る子ではなかったので、会話もそこそこに俺たちは病院まで戻ってきた。そろそろ五時になる頃だが、まだ診察に訪れる老人も一人見かけた。
俺たちは自動ドアを抜け、病院の中へ入る。受付は今日の締めに向けて忙しなく作業をしていて声をかけるのも憚られたので、直接居住スペースの方へ行くことにした。羊子さんなら勤務にあたる時間も短いので、今頃は家にいるはずだ。
居住スペース前まで到着すると、壁面のインターホンを鳴らす。しばらくすると期待通り、羊子さんが姿を見せてくれた。そもそも、この時間くらいに帰ってくるだろうと彼女も予想していたかもしれない。
「どうも、虎牙くん。今日もありがとう」
「こちらこそ。そんじゃまあ、後は頼みます」
「ええ。虎牙くんも気をつけて帰るのよ」
羊子さんも、曲がりなりにも病院に勤務する人間なので、俺たちの体についてはある程度理解している。
娘のことももちろん気にかけているが、俺たちにも毎度声をかけてくれる人なのだ、彼女は。
礼をして二人と別れ、さてどうしたものかと俺は考える。単なる友人のエスコートだったのだから帰宅すればいいのだが、せっかくここに来たのだし会いたい人はいた。
特にアポイントを取っているわけではないが、どうせアポなんてあの人には必要ないだろう。こちらから連絡をとることがそもそも難しいのだし。
来院ついでに顔を見せた、と素直に告げるとしよう。意味なく誤魔化しても、彼は鋭いから突っ込まれるだけだ。
というわけで、俺はこの病院にいる知り合いのところへ出向くことにした。
病棟の階段を上がり三階へ。この階の三〇三号室に目的の人物はいた。
扉をノックし、どうぞという声が聞こえてから中に入る。一人用の病室内には、色の抜けたような灰色の髪が特徴的な青年がベッドから上半身だけを起こして座っていた。
「おや、虎牙くんか」
「ども、蟹田さん」
彼の名は蟹田郁也。この病院の長期入院患者だ。俺が満生台へやってきた当初から入院しているし、入院歴は相当長い。一度聞いた話だが、牛牧さんが過去の縁から満生総合医療センターへの転院を勧めたそうで、恐らく四年以上はここで過ごしていることになりそうだ。
そんな彼とは牛牧さん繋がりで出会い、話をするようになった。特に共通の趣味があるとかではないが、どことなく波長は合っている気がするのだ。
「健診終わりかい?」
「いや、満雀ちゃんの付き添いっすよ。そのついでに、蟹田さんが寂しがってるかなって」
「はは、寂しいですとも。俺なんかは身寄りも無いし、ここにいることは孤独な戦いだ」
蟹田さんの軽薄な雰囲気のせいで笑える冗談のようにも聞こえてしまうが、実際それは孤独そのものだろう。たまに診察に来てくれる人と話す以外は、他者との交流もほとんど無いのだから。
以前聞いてみたことはあるが、蟹田さんの身寄りはもう全員が亡くなっていて、そのことも満生総合医療センターへ転院することを決めたきっかけのようだった。
「それに比べたら、満雀ちゃんは救われてるんじゃないかな。家族も君たちもいることだし」
「ま、あいつが笑顔でいてくれるならいいとは思ってますがね」
「流石は虎牙くん、お優しい」
「ムカつくんでそういうのはやめてくれないっすかね」
蟹田さんはまた快活に笑う。全く、こうして話している限りは病人という感じがしない。長期入院だというのに病状の変化も聞かないし、そもそも何の病気かも俺は知らなかった。
こういう人に限って容態が急変して……というのがあり得るから怖いんだよな。
「蟹田さんは退院する予定とかないんすか?」
気にかかったことなので、さり気なく聞いてみる。けれども彼は笑みを崩さずに、
「まだその予定はないかな」
と答えるだけだった。
「俺自身の問題もあるし、牛牧さんのこともある。なるべくあの人を助けたいとは思っているのさ」
「医者にでも?」
「はは、まさか。病院の発展を手助けできるかなってくらいだよ。これでも俺はプログラミングの技術があったりするし、満生台が通信技術の発展を目指していくなら手伝えることもあるかもってさ」
「……蟹田さん、パソコン触れたんすか?」
その情報は初耳だった。入院生活が長いせいで、そういった知識とは無縁と勝手に思っていたが、プログラミングなどと横文字を使うなら一定以上の技量は持ち合わせている感じがする。
「父が得意でねえ。俺が生まれたとき四十歳手前くらいだったから、パソコンが登場したのも人生の半分を過ぎたころくらいだったんだよ。なのにいとも簡単に色んなコードを書いて見せてたんだ」
「凄いっすね、ウチのオヤジみたいだな。いやそれより凄いか」
「佐曽利さんも触るんだったね。まあ、でも父の方が確かに凄かったよ。プログラムが企業に採用されることは何度かあった」
企業に採用されるほどのシステムを構築できるなら、なるほど凄まじい技量だった。
その息子である蟹田さんは、幼い頃から父親の技術を目にしてきたというわけだ。
「ただ、最後は知人に技術を持ち逃げされてしまって、パソコンを触らなくなったまま亡くなってしまったけれど……まあ、自慢の父ではあったよ」
「そんなことがあったんすね……」
いくら高齢の父親と言っても、まだ死別するには早い。元々体が悪いところに、心労が追い討ちをかけたというところだろうか。
もしかしたら、蟹田さんが父親と同じ技術を学んだ理由もそういうところにあるのかもしれない。父親の道を継ぐことで、最後の失敗を、父親の悔しさを塗り替えたかったのかも。
「ちゃんと働けさえすれば、知識を活かした仕事がしたい。そういうわけでね、満生台のことで手伝えるならどちらにとってもメリットだろうなと思っているのさ」
「蟹田さんからマジメな話を聞いたの、ホント久々っすね」
「言ったな?」
蟹田さんはニヤリと笑う。軽く流せるエピソードではないが、冗談を言えるくらいなら気持ちの整理はついた過去だろう。
柄ではないが、彼の願いが最も望ましい形で叶うことは祈ってやりたい。
「頑張って病気、治してくださいよ」
「善処するよ」
蟹田さんが善処して何とかなることではないかもしれないが、とりあえず頷いておいた。
「……ところで、虎牙くん」
「なんすか?」
「虎牙くんの方は最近、体の不調とかは無いのかな?」
「不調……っすか」
病気繋がりで思いついて聞いてきたような流れだが、どことなく初めから聞くつもりだったような感じもあった。
「あんま変わりはないっすけどね。そう……たまに白い靄みたいなのが見えるくらいで」
「靄?」
「それこそただの不調でしょ。気にするこたないと思ってるんで」
「目の病気なら炎症が起きてるとかは考えられるけど、虎牙くんのことだからねえ。困ってないならいいけど」
現れたときは鬱陶しいと思うが、困るというほどではない。まあ、心配されるほどのことじゃなかった。こんなことで気にされたくはない。
「ここにいると、診察を受けにくる街の人たちによく会うからね。最近多くなってきてる気がしたから、どうなのかなって」
「特に流行病とかは無いと思いますけどねー。あったらこの街のことだし、永射さんが注意喚起でも出してるっしょ」
「それもそうか」
満ち足りた暮らしを掲げる街の若きリーダー、永射孝史郎。彼のことだから、仮に街の安寧を脅かすようなことがあればすぐ対応にあたるはずだ。
街の安寧、というより自身の立場が、と言い換えた方がいいかもしれないが。
「まあでも、体調には気をつけるんだよ。いくら病院があるとは言え、安心はできないんだから」
「ありがたく受け取っておきますよ」
実際、入院生活を送る蟹田さんだからこそその言葉は重かった。
せっかく永らえている命、大切にすべきなんだろう。
「そんじゃ、生存確認もできたことだし俺は帰るとします」
「ああ、勉強しないとだもんね」
「って、誰がするかっての」
明らかにツッコミを狙った台詞に、お望み通りの言葉を返してやってから、
「……じゃ、また元気で」
「はいよ。またね」
軽く一礼だけしてから、俺は蟹田さんの病室を辞去するのだった。
「うゆ。龍美ちゃんだね」
「さっき別れたばかりだろ……」
とは言え、返事を待つ内容だったら放っておくと機嫌を損なうし、知らん振りはできない。俺もお人好しがうつってきているかなと溜め息を吐きつつ、木陰で全文を読むことにした。
『明日の昼、三人で鬼封じの池に探検に行くわよ! 拒否権は無し!』
龍美らしい、一方的な伝達である。しかし俺たちと別れてからのちょっとした時間に、一体玄人とどんな話をしてそういう流れになったのかは気になった。あいつはオカルト方面に興味を持っているし、鬼封じという名称からあの池にも関心があったのかもしれない。
鬼……か。この街に根付く古い伝承にも、三匹の鬼とやらが出てきたものだが、あちらは瓶井史という地主の婆さんが口うるさく広めて回っていたな。
電波塔が鬼の怒りを買うだの、よくもまあこじつけられるものだ。
『めんどくせえ』
龍美には適当なメッセージを返しておき、待たせてしまったお姫サマに非礼を詫びる。満雀ちゃんは構わないと笑いつつ、
「龍美ちゃんは好奇心旺盛だからね」
「全く以って」
その言葉に、俺も同じように笑った。
……しかし、メッセージの内容までは通知に出てなかったはずなんだがな。まあ、いいか。
「さて、暗くなる前に戻らねえとな」
「うん。よろしくね」
俺は軽く頷き、満雀ちゃんと連れ添って町を南下していった。
七月の空はまだ陽も高く、陽射しは容赦なく照りつけてくる。日没にはまだまだ時間があるものの、この二人だと気を抜けば病院まで数十分かかってしまうこともあり得る。満雀ちゃんの父親は怖いというか不気味で苦手なタイプだし、友達付き合いの中で波風は立てたくなかった。
まあ、満雀ちゃんもあまり率先して喋る子ではなかったので、会話もそこそこに俺たちは病院まで戻ってきた。そろそろ五時になる頃だが、まだ診察に訪れる老人も一人見かけた。
俺たちは自動ドアを抜け、病院の中へ入る。受付は今日の締めに向けて忙しなく作業をしていて声をかけるのも憚られたので、直接居住スペースの方へ行くことにした。羊子さんなら勤務にあたる時間も短いので、今頃は家にいるはずだ。
居住スペース前まで到着すると、壁面のインターホンを鳴らす。しばらくすると期待通り、羊子さんが姿を見せてくれた。そもそも、この時間くらいに帰ってくるだろうと彼女も予想していたかもしれない。
「どうも、虎牙くん。今日もありがとう」
「こちらこそ。そんじゃまあ、後は頼みます」
「ええ。虎牙くんも気をつけて帰るのよ」
羊子さんも、曲がりなりにも病院に勤務する人間なので、俺たちの体についてはある程度理解している。
娘のことももちろん気にかけているが、俺たちにも毎度声をかけてくれる人なのだ、彼女は。
礼をして二人と別れ、さてどうしたものかと俺は考える。単なる友人のエスコートだったのだから帰宅すればいいのだが、せっかくここに来たのだし会いたい人はいた。
特にアポイントを取っているわけではないが、どうせアポなんてあの人には必要ないだろう。こちらから連絡をとることがそもそも難しいのだし。
来院ついでに顔を見せた、と素直に告げるとしよう。意味なく誤魔化しても、彼は鋭いから突っ込まれるだけだ。
というわけで、俺はこの病院にいる知り合いのところへ出向くことにした。
病棟の階段を上がり三階へ。この階の三〇三号室に目的の人物はいた。
扉をノックし、どうぞという声が聞こえてから中に入る。一人用の病室内には、色の抜けたような灰色の髪が特徴的な青年がベッドから上半身だけを起こして座っていた。
「おや、虎牙くんか」
「ども、蟹田さん」
彼の名は蟹田郁也。この病院の長期入院患者だ。俺が満生台へやってきた当初から入院しているし、入院歴は相当長い。一度聞いた話だが、牛牧さんが過去の縁から満生総合医療センターへの転院を勧めたそうで、恐らく四年以上はここで過ごしていることになりそうだ。
そんな彼とは牛牧さん繋がりで出会い、話をするようになった。特に共通の趣味があるとかではないが、どことなく波長は合っている気がするのだ。
「健診終わりかい?」
「いや、満雀ちゃんの付き添いっすよ。そのついでに、蟹田さんが寂しがってるかなって」
「はは、寂しいですとも。俺なんかは身寄りも無いし、ここにいることは孤独な戦いだ」
蟹田さんの軽薄な雰囲気のせいで笑える冗談のようにも聞こえてしまうが、実際それは孤独そのものだろう。たまに診察に来てくれる人と話す以外は、他者との交流もほとんど無いのだから。
以前聞いてみたことはあるが、蟹田さんの身寄りはもう全員が亡くなっていて、そのことも満生総合医療センターへ転院することを決めたきっかけのようだった。
「それに比べたら、満雀ちゃんは救われてるんじゃないかな。家族も君たちもいることだし」
「ま、あいつが笑顔でいてくれるならいいとは思ってますがね」
「流石は虎牙くん、お優しい」
「ムカつくんでそういうのはやめてくれないっすかね」
蟹田さんはまた快活に笑う。全く、こうして話している限りは病人という感じがしない。長期入院だというのに病状の変化も聞かないし、そもそも何の病気かも俺は知らなかった。
こういう人に限って容態が急変して……というのがあり得るから怖いんだよな。
「蟹田さんは退院する予定とかないんすか?」
気にかかったことなので、さり気なく聞いてみる。けれども彼は笑みを崩さずに、
「まだその予定はないかな」
と答えるだけだった。
「俺自身の問題もあるし、牛牧さんのこともある。なるべくあの人を助けたいとは思っているのさ」
「医者にでも?」
「はは、まさか。病院の発展を手助けできるかなってくらいだよ。これでも俺はプログラミングの技術があったりするし、満生台が通信技術の発展を目指していくなら手伝えることもあるかもってさ」
「……蟹田さん、パソコン触れたんすか?」
その情報は初耳だった。入院生活が長いせいで、そういった知識とは無縁と勝手に思っていたが、プログラミングなどと横文字を使うなら一定以上の技量は持ち合わせている感じがする。
「父が得意でねえ。俺が生まれたとき四十歳手前くらいだったから、パソコンが登場したのも人生の半分を過ぎたころくらいだったんだよ。なのにいとも簡単に色んなコードを書いて見せてたんだ」
「凄いっすね、ウチのオヤジみたいだな。いやそれより凄いか」
「佐曽利さんも触るんだったね。まあ、でも父の方が確かに凄かったよ。プログラムが企業に採用されることは何度かあった」
企業に採用されるほどのシステムを構築できるなら、なるほど凄まじい技量だった。
その息子である蟹田さんは、幼い頃から父親の技術を目にしてきたというわけだ。
「ただ、最後は知人に技術を持ち逃げされてしまって、パソコンを触らなくなったまま亡くなってしまったけれど……まあ、自慢の父ではあったよ」
「そんなことがあったんすね……」
いくら高齢の父親と言っても、まだ死別するには早い。元々体が悪いところに、心労が追い討ちをかけたというところだろうか。
もしかしたら、蟹田さんが父親と同じ技術を学んだ理由もそういうところにあるのかもしれない。父親の道を継ぐことで、最後の失敗を、父親の悔しさを塗り替えたかったのかも。
「ちゃんと働けさえすれば、知識を活かした仕事がしたい。そういうわけでね、満生台のことで手伝えるならどちらにとってもメリットだろうなと思っているのさ」
「蟹田さんからマジメな話を聞いたの、ホント久々っすね」
「言ったな?」
蟹田さんはニヤリと笑う。軽く流せるエピソードではないが、冗談を言えるくらいなら気持ちの整理はついた過去だろう。
柄ではないが、彼の願いが最も望ましい形で叶うことは祈ってやりたい。
「頑張って病気、治してくださいよ」
「善処するよ」
蟹田さんが善処して何とかなることではないかもしれないが、とりあえず頷いておいた。
「……ところで、虎牙くん」
「なんすか?」
「虎牙くんの方は最近、体の不調とかは無いのかな?」
「不調……っすか」
病気繋がりで思いついて聞いてきたような流れだが、どことなく初めから聞くつもりだったような感じもあった。
「あんま変わりはないっすけどね。そう……たまに白い靄みたいなのが見えるくらいで」
「靄?」
「それこそただの不調でしょ。気にするこたないと思ってるんで」
「目の病気なら炎症が起きてるとかは考えられるけど、虎牙くんのことだからねえ。困ってないならいいけど」
現れたときは鬱陶しいと思うが、困るというほどではない。まあ、心配されるほどのことじゃなかった。こんなことで気にされたくはない。
「ここにいると、診察を受けにくる街の人たちによく会うからね。最近多くなってきてる気がしたから、どうなのかなって」
「特に流行病とかは無いと思いますけどねー。あったらこの街のことだし、永射さんが注意喚起でも出してるっしょ」
「それもそうか」
満ち足りた暮らしを掲げる街の若きリーダー、永射孝史郎。彼のことだから、仮に街の安寧を脅かすようなことがあればすぐ対応にあたるはずだ。
街の安寧、というより自身の立場が、と言い換えた方がいいかもしれないが。
「まあでも、体調には気をつけるんだよ。いくら病院があるとは言え、安心はできないんだから」
「ありがたく受け取っておきますよ」
実際、入院生活を送る蟹田さんだからこそその言葉は重かった。
せっかく永らえている命、大切にすべきなんだろう。
「そんじゃ、生存確認もできたことだし俺は帰るとします」
「ああ、勉強しないとだもんね」
「って、誰がするかっての」
明らかにツッコミを狙った台詞に、お望み通りの言葉を返してやってから、
「……じゃ、また元気で」
「はいよ。またね」
軽く一礼だけしてから、俺は蟹田さんの病室を辞去するのだった。
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