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Third Chapter...7/21
終わらない世界に
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夏空の下、照り返しのきつい道路をゆっくり歩いていく。明日から天気は下り坂らしいので、涼しくなるのを期待だ。どうせ俺たちが外で元気よく遊ぶことはない。陰鬱な雨が続かない限りは、太陽が隠れていた方がありがたかった。
一昨日も訪れた病院。満雀ちゃんと友人である以上、健診以外でもここへ来ることになるので、お年寄りよりも来た回数は多そうだ。
自動ドアを抜け、受付をスルーして左手側へ折れる。受付の女性も事情は把握しているので、俺や他のメンバーがそのまま歩いて行っても、不審者扱いされずに済むのである。
居住スペースの手前まで行くと、満雀ちゃんと母親の羊子さんが待っていてくれた。羊子さんも病院で事務的な仕事を担っているから、わざわざ待っていてくれるのは申し訳ない。
「こんにちは。すんません、お待たせして」
「虎牙くん、こんにちは。まだ予定の時間よりも前だから、心配しなくても大丈夫よ」
「うゆ、待ってないよー」
時間は分からないが、そう言ってくれるならまあいいか。
ただ、仕事の手を止めているわけだしさっさと連れて行こう。
「んじゃ、今日も満雀ちゃんをお借りしていきますね」
「いつもありがとうね。こうして満雀と遊んでもらえて嬉しいわ」
「いや。やっぱ満雀ちゃんの声がないと、寂しいっすから」
同年代の子どもたちと、遊べる内容は違っているけれど。
俺たちは四人揃って遊べれば、幸福になれるのだ。
……なんて、誰にも言えやしないが。
「最近は貴獅さんも忙しくて、家でもあんまり会話がないから。満雀と沢山話をしてくれたらね」
「はは、荷が重い。まあ、やれるだけやります」
俺はペコリと軽く頭を下げ、羊子さんから満雀ちゃんを預かる。
冷たく、軽い手。守ってあげなくちゃと思わせられる手だ。
俺たちみんなが、そう思っている。
――思っていた。
「……どしたの?」
「あ、いや……」
何でもない、と俺は苦笑する。
でも、小さな違和感はあった。
例えるなら眠る前に、遠い彼方に聞いた名前を思い出そうとして、けれども浮かんでこずにもどかしくなるような、違和感。
もういいやと諦めて、そのまま眠り込んでしまうようなほど、微かな。
「……はあ。疲れてんな、俺」
同じように諦めると、俺は満雀ちゃんの手を引く。
「そんじゃ、行ってきます」
「ええ、気を付けてね」
羊子さんはどこか儚げに見える笑みで、俺たちを見送ってくれた。
病院を出るとすぐ、満雀ちゃんは眩しそうに手で目を覆う。俺も汗が垂れるほど暑いが、満雀ちゃんの方が体に堪えるのは間違いなく、さっきも思ったように守ってあげなくちゃいけない。
なるべく自分の体で日陰ができるようにしながら、俺たちは森の方へと並んで歩いていく。
「暑くないか?」
「うゆ。大丈夫だよ」
いつからなのかは知らないが、満雀ちゃんは困ったときや言葉を考えているとき、うゆ、という感嘆詞のようなものを挟む。これのせいで歳以上に幼く感じられてしまうのだが、年齢は俺たちより一つ下なだけだ。
ちょっとわざとらしいときもあるので、多分意図的に使ってるんだろう。彼女にも彼女なりの事情ってヤツがあるわけだ。
「最近お前んところの父親、忙しいのな」
「最近というか、ずっとかな。病院の仕事以外にも、色々あるみたいだから」
「ふうん……」
病院の仕事以外、か。
この街で本業以外の仕事なんてあるのかと一瞬考えたが、思い浮かぶことは一つだけあった。
行政を担う永射さんと連携したまちづくり、だ。
満生台が病院を中心として発展していくと掲げている以上、貴獅さんも行政に首を突っ込まざるを得ないのかもしれない。
「ねえ、虎牙くん」
「どした?」
「さっき少しだけ固まってたけど、悩みごと?」
「いや、そういうわけじゃねえよ」
こいつ、案外人のことを観察してる。普段から些細な変化にも気付くし、やはり無くしたからこそ鋭敏になるものというのはあるんだろう。
人が足りないものを補う力というのは、馬鹿にできない。
「お前こそ元気無かったりしねえか? 羊子さん、心配してたっぽいしよ」
「ふふ、虎牙くんってストレートだよね。そういうところ、嫌いじゃないよ」
「あのな。せっかく聞いてんだから、からかわんでくれ」
「ごめん、ごめん」
満雀ちゃんは苦笑しながら軽い口調で謝る。
「……虎牙くん」
「何だよ」
「―――――――、――――――」
――ん?
「お前今何て……」
「……ううん。気にしないで」
どうしてだろうか。
こいつは今、確かに口を開いて言葉を発していたはずなのだが。
特に風も吹いちゃいないし、音を遮るものだって存在しないというのに。
俺はこいつの声を、何一つ聞き取ることができなかった。
――おかしいな。
耳が悪いのは双太さんの方だろ。友人の言葉を僅かも聞き取れないのは流石に恥ずかしい。
満雀ちゃんも残念そうに俺から顔を背けた。
「……すまん」
「違うんだ。仕方のないことなんだよ」
「……仕方ない?」
満雀ちゃんの返答が引っ掛かって、俺は思わず聞き返す。
すると彼女は目を瞑り、困ったように笑った。
「あのね、虎牙。もしもだけれど」
「ああ」
「ずっとずーっと、この夏が終わらないとしたら……それは幸せなのかな、不幸なのかな」
「……何だそりゃ」
それは、あまりにも抽象的過ぎる、謎かけのような問いだったけども。
彼女の声色に真剣さを感じて、俺は言葉を選びながら答えた。
「ま、楽しいんじゃねえか? 代わり映えしねえから、いつかは飽きるかもしれねえけどよ」
「……そだね。多分、虎牙の言う通り」
……あれ。
こいつ、俺のこと呼び捨てにすることなんてあったっけ……。
「いつかは」
青空を仰いで。
彼女は羊子さんの面影を感じさせる、儚げな笑みを浮かべた。
「いつかは私も、大人になれるのかな」
俺は彼女に、何の答えも返してやることができなかった。
*
きっとまた、泡沫のように言葉は欠け落ちていくだろう。
元より、必要のないものは伝える余地すらないのだから。
それでも、生じさせた小さな波紋がいつか大きなうねりになると信じて。
私は私の意思を、繰り返し訴えてやるのだ。
一昨日も訪れた病院。満雀ちゃんと友人である以上、健診以外でもここへ来ることになるので、お年寄りよりも来た回数は多そうだ。
自動ドアを抜け、受付をスルーして左手側へ折れる。受付の女性も事情は把握しているので、俺や他のメンバーがそのまま歩いて行っても、不審者扱いされずに済むのである。
居住スペースの手前まで行くと、満雀ちゃんと母親の羊子さんが待っていてくれた。羊子さんも病院で事務的な仕事を担っているから、わざわざ待っていてくれるのは申し訳ない。
「こんにちは。すんません、お待たせして」
「虎牙くん、こんにちは。まだ予定の時間よりも前だから、心配しなくても大丈夫よ」
「うゆ、待ってないよー」
時間は分からないが、そう言ってくれるならまあいいか。
ただ、仕事の手を止めているわけだしさっさと連れて行こう。
「んじゃ、今日も満雀ちゃんをお借りしていきますね」
「いつもありがとうね。こうして満雀と遊んでもらえて嬉しいわ」
「いや。やっぱ満雀ちゃんの声がないと、寂しいっすから」
同年代の子どもたちと、遊べる内容は違っているけれど。
俺たちは四人揃って遊べれば、幸福になれるのだ。
……なんて、誰にも言えやしないが。
「最近は貴獅さんも忙しくて、家でもあんまり会話がないから。満雀と沢山話をしてくれたらね」
「はは、荷が重い。まあ、やれるだけやります」
俺はペコリと軽く頭を下げ、羊子さんから満雀ちゃんを預かる。
冷たく、軽い手。守ってあげなくちゃと思わせられる手だ。
俺たちみんなが、そう思っている。
――思っていた。
「……どしたの?」
「あ、いや……」
何でもない、と俺は苦笑する。
でも、小さな違和感はあった。
例えるなら眠る前に、遠い彼方に聞いた名前を思い出そうとして、けれども浮かんでこずにもどかしくなるような、違和感。
もういいやと諦めて、そのまま眠り込んでしまうようなほど、微かな。
「……はあ。疲れてんな、俺」
同じように諦めると、俺は満雀ちゃんの手を引く。
「そんじゃ、行ってきます」
「ええ、気を付けてね」
羊子さんはどこか儚げに見える笑みで、俺たちを見送ってくれた。
病院を出るとすぐ、満雀ちゃんは眩しそうに手で目を覆う。俺も汗が垂れるほど暑いが、満雀ちゃんの方が体に堪えるのは間違いなく、さっきも思ったように守ってあげなくちゃいけない。
なるべく自分の体で日陰ができるようにしながら、俺たちは森の方へと並んで歩いていく。
「暑くないか?」
「うゆ。大丈夫だよ」
いつからなのかは知らないが、満雀ちゃんは困ったときや言葉を考えているとき、うゆ、という感嘆詞のようなものを挟む。これのせいで歳以上に幼く感じられてしまうのだが、年齢は俺たちより一つ下なだけだ。
ちょっとわざとらしいときもあるので、多分意図的に使ってるんだろう。彼女にも彼女なりの事情ってヤツがあるわけだ。
「最近お前んところの父親、忙しいのな」
「最近というか、ずっとかな。病院の仕事以外にも、色々あるみたいだから」
「ふうん……」
病院の仕事以外、か。
この街で本業以外の仕事なんてあるのかと一瞬考えたが、思い浮かぶことは一つだけあった。
行政を担う永射さんと連携したまちづくり、だ。
満生台が病院を中心として発展していくと掲げている以上、貴獅さんも行政に首を突っ込まざるを得ないのかもしれない。
「ねえ、虎牙くん」
「どした?」
「さっき少しだけ固まってたけど、悩みごと?」
「いや、そういうわけじゃねえよ」
こいつ、案外人のことを観察してる。普段から些細な変化にも気付くし、やはり無くしたからこそ鋭敏になるものというのはあるんだろう。
人が足りないものを補う力というのは、馬鹿にできない。
「お前こそ元気無かったりしねえか? 羊子さん、心配してたっぽいしよ」
「ふふ、虎牙くんってストレートだよね。そういうところ、嫌いじゃないよ」
「あのな。せっかく聞いてんだから、からかわんでくれ」
「ごめん、ごめん」
満雀ちゃんは苦笑しながら軽い口調で謝る。
「……虎牙くん」
「何だよ」
「―――――――、――――――」
――ん?
「お前今何て……」
「……ううん。気にしないで」
どうしてだろうか。
こいつは今、確かに口を開いて言葉を発していたはずなのだが。
特に風も吹いちゃいないし、音を遮るものだって存在しないというのに。
俺はこいつの声を、何一つ聞き取ることができなかった。
――おかしいな。
耳が悪いのは双太さんの方だろ。友人の言葉を僅かも聞き取れないのは流石に恥ずかしい。
満雀ちゃんも残念そうに俺から顔を背けた。
「……すまん」
「違うんだ。仕方のないことなんだよ」
「……仕方ない?」
満雀ちゃんの返答が引っ掛かって、俺は思わず聞き返す。
すると彼女は目を瞑り、困ったように笑った。
「あのね、虎牙。もしもだけれど」
「ああ」
「ずっとずーっと、この夏が終わらないとしたら……それは幸せなのかな、不幸なのかな」
「……何だそりゃ」
それは、あまりにも抽象的過ぎる、謎かけのような問いだったけども。
彼女の声色に真剣さを感じて、俺は言葉を選びながら答えた。
「ま、楽しいんじゃねえか? 代わり映えしねえから、いつかは飽きるかもしれねえけどよ」
「……そだね。多分、虎牙の言う通り」
……あれ。
こいつ、俺のこと呼び捨てにすることなんてあったっけ……。
「いつかは」
青空を仰いで。
彼女は羊子さんの面影を感じさせる、儚げな笑みを浮かべた。
「いつかは私も、大人になれるのかな」
俺は彼女に、何の答えも返してやることができなかった。
*
きっとまた、泡沫のように言葉は欠け落ちていくだろう。
元より、必要のないものは伝える余地すらないのだから。
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