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First Chapter...7/19

佐曽利功

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「帰ったぜー」

 玄関の引き戸をガラリと開け、靴が減っていることを確認してから、俺はオヤジに帰宅を知らせる。廊下に上がったところでオヤジは居間から出てきて、おかえりと返答をくれた。

「すまんな、気を遣ってもらって」
「オトナの話だろうしな。牛牧さんも最近、悩みが絶えなさそうだし」
「あいつもあいつなりに、自分の立場に苦しんでいるんでな」

 旧友の心情を慮り、オヤジは小さく息を吐く。
 オヤジ……佐曽利功と牛牧さんの交友は、随分昔まで遡る。牛牧さんの息子さんがまだ存命だった頃から、医療関係で付き合いがあったそうだ。
 難病を患っていた息子さんのために牛牧さんはここへ移住し、その最期を見届けた。彼は息子さんのような病に苦しむ人が少しでもいなくなるようにとの願いで、移住先のこの地に病院を設立したのだ。
 オヤジもまたここに住むようになったのは、牛牧さんに協力を仰がれたからだった。是非とも技術を貸して欲しいと請われ、友人の頼みならばと移住してきたそうだ。
 オヤジがここにいなければ、俺もここにいなかったんだろうな。
 そんな牛牧さんが今、病院の実権を失っているというのが俺には理解できないし、実際牛牧さんも納得しているように見えないから余計に違和感があるわけだ。
 大人の事情を聞くのは憚られるが、ずっと気にはなっている。

「今日も仕事の関係で?」
「ああ。人口の増加に伴って仕事の依頼も増えていくからな。それでもまだ余裕はあるんだが……今後も加速度的に街が栄えていくなら、手が足りなくなるかもしれん」
「オヤジもオヤジで大変、か。俺が手伝えりゃいいのかもしれねえが、絶対無理だしよ」
「気持ちだけでもありがたい。気にするな」

 オヤジは仕事について割と秘密主義だ。俺自身、親父が作る物の正確な構造までは理解していない。
 ただ、それが人の失った機能を取り戻す、大事な機関となる。

「悪いが、そういうわけで牛牧から依頼もあったんでな、夕食までは工房にいる」
「へいへい。根詰め過ぎねえようにな」

 オヤジはこくりと頷くと、そのまま工房の中へ入っていった。
 忘れてたが、今日の夕食は俺が作るんだったか。
 当番制なのに、案外忘れるもんだな。
 適当に今日から何日間とか決めてるからかもしれない。冷蔵庫に当番表でも貼るようにしようかね。
 時間は五時を少し過ぎたところ。俺の目だと、これくらい余裕がないと晩飯時に間に合わない。
 そもそも、包丁も使わなくていいような料理しかできないとはいえ。
 ……佐曽利功。
 俺の父親代わりの男。
 この少々奇妙な家族関係は、俺の虚し過ぎる出自のせいだ。
 俺が平凡な家庭に生まれていれば、このような数奇な運命を辿ることもなかっただろう。
 ただ、神様って奴はそれを許してくれなかった。
 俺の両親は若くして結婚した。確か、二十歳にもならない頃だったか。
 母親は、結婚前から既に妊娠していた。俺を身籠ったからこそ、結婚を決意したわけだ。
 そのことを互いの家は快く思っておらず、ほとんど絶縁状態になったそうだ。
 それでも二人が幸せならいいのだと、懸命に生きていこうと両親は誓い合っていた。
 まだ、そこまでなら美談で済んでいたのだが。
 俺が生まれてから二年ほどが経った、冬の寒い日だった。
 どういうわけか、俺は赤ん坊だったはずなのに、そのときの光景を微かに覚えている。
 家族旅行にと、遠方の温泉旅館へ出掛けたその日。
 俺たち家族が乗った車は、酒気帯び運転をしていたトラックに背後から追突され、前方を走っていた別の車と挟まれるような形でぐちゃぐちゃに潰されてしまったのだ。
 むしろ、俺が生きていたことが奇跡と言ってもいい。追突された瞬間、咄嗟に母親がチャイルドシートから俺を出して抱き寄せてくれたおかげか、俺は全身を強く打ったものの大した怪我を負うことはなかった。
 けれど、父親も母親も、追突の衝撃や無数の破片が突き刺さったことで目も当てられぬほどの外傷を負い……そのまま一度も目を覚ますことなく、死んでいったのだった。
 齢二歳の俺は、突如として親亡き子となった。
 始めは母方の実家に引き取られたのだが、先に述べた通りそもそも結婚を快く思っていなかったこともあり、俺という存在は見ているだけで腹が立つものだったようだ。
 幼児にそんな仕打ちをするかというほど陰湿な嫌がらせやネグレクトが続き、近所から通報されるまでになって、今度は父方の実家に引き取られることになる。
 しかし、父方の実家でも対応は大して変わらなかった。俺という存在はよっぽど恨みを買うものらしい。面倒なんて見られるかという結論を以て、俺はとうとう児童養護施設に送られることになったのだった。
 忘れることのできない、長き灰色の日々。
 盈虧院という名称の、児童養護施設での十余年。
 基本的に、盈虧院が劣悪な環境だったわけではない。
 最低限どころか不自由のない程度の暮らしはできていたし、孤児同士で仲良くなる機会は多かった。
 問題は対外的なところで、孤児という事実はレッテルとして貼られ、周囲から陰口を叩かれる日々が続いたのだ。
 盈虧院の職員は、そういう部分については積極的な対応を取ってくれなかった。何でも盈虧院の掲げるスローガンが、月の満ち欠けのような人生の苦楽を乗り越える、というものだったかららしい。
 だから、孤児同士が慰め合うことがあっても、問題の根本が解決することは終ぞなかった。
 降りかかる火の粉を払えるのは、いつだって自分自身だけだった。
 俺はせめて強がろうとした。虐められる側ではなく、虐める側に立てるだけの強がりをしていこうと考えた。真似する相手はいくらでもいる。俺は髪も染めたし服装も変えた。
 自分を守るための不良、なんてのは一番格好悪い奴かもしれないが、とにかく俺は周囲から怖がられるような存在にはなった。境遇を引き合いに出して茶化すような奴は、ほとんどいなくなった。
 だが、不良になれば結局、別の敵を作ることにはなる。不良同士の抗争だ。
 不良漫画みたいなのが世の中には沢山あるが、そこまで過激でないにしろ喧嘩には巻き込まれる。
 自分で蒔いた種だと諦めはしたものの、結局のところどちらがマシだったのか、今でも答えは出ない。
 ただ、その選択も今を形成する一つなわけだが。
 不良生活の果てに、幸せが待っていようはずもなく。
 俺は喧嘩の怪我が原因で、まともな生活を送れなくなった。
 学校にも通えなくなり、盈虧院で死んだような毎日を送るようになって暫く。
 退廃した日常から俺を掬い上げたのが、佐曽利功その人だった。
 どうして自分なんかをと訊ねる俺に、オヤジが告げた理由は遠縁だからという曖昧なものだった。
 後になって調べたところ、オヤジと俺との間にはかなり遠い血縁関係が確かにあったが、それだけで今まで嫌われ続けた俺を拾うのは奇妙な話だ。
 何度か本心を聞き出そうとしつこく迫っていると、ようやくオヤジは胸の内を少しずつ明かしてくれるようになった。
 今はちょうど、その中途といったところだ。
 仕事柄、俺のような人間を放っておけなくなるというオヤジの、他人には見せない優しさ。
 その優しさに報いるため、俺はここに居続ける。
 二年。まだまだ短い家族関係だったが。
 まあ、この微妙な空気は嫌いじゃなかった。

「さて、と……作るとしますかね」

 レトルトのカレーなら、さほど手間もかからず完成させられるだろう。炊飯器のセットまでできれば出来たも同然だし。
 そんなわけで、とりとめのない思考は止めにして、俺は夕食の準備にとりかかるのだった。
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