この満ち足りた匣庭の中で 三章―Ghost of miniature garden―

至堂文斗

文字の大きさ
上 下
5 / 88
First Chapter...7/19

起点

しおりを挟む
「……くん。虎牙くん。どうしたんです、ぼーっとして」
「ん……」

 知らないうちに、一瞬眠っちまったんだろうか。何故かまぶたがやたらと重くて、そして何故か目の前には若い女性の顔があった。
 早乙女優亜。この人は病院に勤める看護師の一人だ。
 俺だからまだいいものの、他の人だったら驚いて飛び退いてるくらいの近さに顔がある。全く、この人には羞恥心というものがないのか。
 ……まあ、それを言うなら人前でぼーっとしてしまった俺も俺だけど。

「すんません、最近眠りが浅いもんで」
「良くないですよー。いい歳したオトコノコなんですから」
「そのオトコノコに、そこまで顔近づけないでくれますかね」
「おっとっと、失礼」

 早乙女さんは笑いながら体を引っ込める。微かに香水の匂いがした。
 たまに思うが、この街にいるせいで婚期を逃してる人って多いだろうな。早乙女さんも、外の世界なら色々と誘われているだろうに。
 と、取り留めのないことを考えているうち、俺はようやく今の状況を思い出す。
 いやホント、寝るのが遅いとは言えどうして意識が飛んでしまったのやら。

「確か、病院の経営体制について聞いてたっすよね」
「虎牙くんの方から聞いてきたんですよ。こんな街で本当に儲かってるのかーって」
「ハハ、そうそう。そうだった」

 早乙女さんが働いているこの病院は、満生総合医療センターという。人口二百数十人という街の規模にそぐわぬ、四階建ての馬鹿でかい病院だ。どういうわけかこの病院は、街の人たちに『満ち足りた暮らし』を提供するため、ほとんど慈善事業のような病院経営を行っている。
 俺たちのような住民たちからすれば非常にありがたい公共機関なのだが、実際のところどういう思惑が働いているのか、勘繰らないわけではない。俺だけだろうか?

「ま、虎牙くんところの佐曽利さんとウチの貴獅さんはそりが合わないですもんねー」

 また、早乙女さんは笑う。快活というか、調子の良い人だ。知り合い同士の仲の悪さを、そんな風に言えるのはある意味尊敬する。
 早乙女さんの言う通り、俺の親代わりである佐曽利さんと、病院の実質的なトップである久礼貴獅さんはあまり仲がよろしくない。というのも、元々この病院は牛牧高成という爺さんが設立したもので、俺のオヤジは牛牧さんと仲良くやってたのだが、いつの間にやら実権が久礼貴獅という余所者に移ってしまったのだ。経営を巡って色々あったことは分かっていても、まだ納得はしかねているワケだ。
 実のところ、今日病院に来た理由もそれに関係しているというか。今、俺の家ではオヤジと牛牧さんが仕事の話をしている。俺がいても鬱陶しいだろうということで、ここにやって来たのだ。
 本当は、杜村双太という男に話し相手になってもらうつもりだった。彼もまた早乙女さんと同じく病院に勤める医師なのだが、何を考えているのか街の学校の教師としても働いており、無茶なワークライフを日々送っているのだ。
 つまるところ、双太さんは俺が通う学校のセンセイ、なのだった。

「で、経営体制を知りたいと」
「暇なんでね。センセイも今は仕事中らしいし」
「私も仕事中なんですけど」
「とか言って、サボれるチャンスとか思ってるくせに」
「あれ、結構鋭いですね」

 って、マジなのかよ。

「この病院には大口の出資者がいるというか。一応満生台の掲げる『満ち足りた暮らし』っていうスローガンを応援してくれてるところがあるんですよ」
「応援ねえー……」

 早乙女さんや双太さんなんかは、賃金がもらえれば出所までは気にならないだろう。やってる仕事も街のためになるものであることは間違いないのだし。
 俺みたいな捻くれ者だけが、善意を素直に受け取れないのだ。
 まあ、それも昔よりは幾分マシにはなっているが。

「虎牙くんもここに来て良かったでしょ」
「そいつは否定しませんがね」
「うんうん。それこそが盈虧。悪いときもあれば良いときもあるってことです」
「その言い回しは、あんまり好かないな」

 盈虧という言葉に、良い印象は無い。
 それは灰色の日々を想起させる、遠き地の名前だった。

「確かに現状、儲けよりはコストの方がかかってるみたいですよ。でも、いずれは回収できると出資者さんも考えてますし、その辺はちゃんと将来への投資ってことです」
「はあ。早乙女さんに免じて、それで納得しときますよ」
「そうしてください。で、大人しく定期健診には来てくださいよ?」
「面倒なんだよ、変わんねえしさ」
「変わらないのだって、いいことなんですよ」

 そう諭してくれる早乙女さんの表情は、看護師としてのそれだった。
 ……自分のことは、流石に自分が一番よく理解してるんだがな。

「俺は玄人や龍美みたいにマジメじゃないんでね。ま、気が向いたときには来ますよ」
「なるべく気が向くようにしてくださいね」

 善処するようにはしよう。

「そうそう、龍美ちゃんはもうすぐ健診に来ますけど。あの子を待ってるわけじゃないんです?」
「ハハ、ないない。そっか、あいつ今日が健診の日だっけか」

 言われてみれば、今日は真っ直ぐ帰らなきゃとか話してた気がする。あいつ、双太さんが好きだし健診も嫌いじゃないもんな。
 全く、年上の男に憧れを持ち過ぎだ、あいつは。

「あいつも玄人も、特に健康面で問題はないんでしょ?」
「全然元気ですよ。満生台はああいう子たちに元気でいてもらわないといけないんですし」
「ああいう子たち、ね」

 俺も、俺に構ってくれる友人たちも。
 皆、それなりに辛い過去を経て、ここにいる。
 個々の事情を詳しく聞いたことはなかったが。
 その身に刻まれた痛ましい痕が、俺たちの共通点だった。

「満雀ちゃんはどうなんすか? あいつはちょっと調子良くなさそうですけど」
「ああ……満雀ちゃんはね、元気に振舞おうとはしてるみたいです。ただ、虎牙くんの言う通り体調は少し崩しちゃってて。貴獅さんも大事をとって、安静にさせたいって言ってましたよ」
「ふうん……あんまり時間はとれない感じなんすね」
「学校へは、今まで通りの方法で双太さんが連れてってくれますよ。あんまり虎牙くんたちに貸したりはできなくなりそうですけどね」
「りょーかい」

 玄人はすぐに納得しそうだが、龍美は寂しいとか言いそうだ。
 ……って、何か龍美のことばっかり考えてる気がする。

「ま、流石にそろそろ邪魔になりそうなんで、俺は退散するとしますかね」
「帰ります? 確かに、もう五時前ですもんね」
「牛牧さんももう帰ってるだろうし」

 仕事の話をしていたら、いつの間にか雑談になっていたというのもよくあるらしいが。あれから一時間くらい経つし、もう気を遣う必要もないだろう。

「まだ外は明るいですけど、気をつけてくださいよ? そもそも、一人で出歩けるのも凄いんですから」
「はいはい、重々承知してますよ」

 早乙女さんだけでなく、色々な人に忠告されるのだが、俺はもうこの感覚に慣れきっている。確かに危ない場面は日常多々あるが、何とかならないわけじゃない。
 たとえ世界が曖昧になろうとも、俺はちゃんと歩いていける。
 ……なんて、気障ったらしいことこの上ないが。

「つーわけで、付き合ってもらってありがとうございました。また気が向いたら」
「はい、できれば健診のときに気が向いてくださいね」

 それを笑って受け流し、俺は別れの挨拶がわりに手をひらひらと振ると、早乙女さんと別れて病院を出た。そのとき多分だが、診察室へ入っていく龍美の後ろ姿が目に入った。

 ――あいつも大変だな。

 定期健診は、予後に問題が無いかどうか観察するためのものでもある。病院側の判断で間隔は変わるが、俺たちは大体二週間から一ヶ月の間隔で健診を受けている。
 俺たちは皆、何かが欠け落ちて。
 この満生台で、その何かに代わるものを満たした。

「さて、と。ゆっくり帰るかね」

 忠告を素直に聞いてというわけではないが。
 情けなく転んでしまわないためにも、俺は家路をのんびりとしたペースで歩き始めるのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

『忌み地・元霧原村の怪』

潮ノ海月
ホラー
とある年の五月の中旬、都会から来た転校生、神代渉が霧野川高校の教室に現れる。彼の洗練された姿に女子たちは興味を示し、一部の男子は不満を抱く。その中、主人公の森月和也は、渉の涼やかな笑顔の裏に冷たさを感じ、彼に違和感を感じた。 渉の編入から一週間が過ぎ、男子達も次第に渉を受け入れ、和也の友人の野風雄二も渉の魅力に引き込まれ、彼の友人となった。転校生騒ぎが終息しかけたある日の学校の昼休み、女子二人が『こっくりさん』で遊び始め、突然の悲鳴が教室に響く。そしてその翌日、同じクラスの女子、清水莉子が体調不良で休み、『こっくりさん』の祟りという噂が学校中に広まっていく。その次の日の放課後、莉子を心配したと斉藤凪紗は、彼女の友人である和也、雄二、凪沙、葵、渉の五人と共に莉子の家を訪れる。すると莉子の家は重苦しい雰囲気に包まれ、莉子の母親は憔悴した姿に変わっていた。その異変に気づいた渉と和也が莉子の部屋へ入ると、彼女は霊障によって変わり果てた姿に。しかし、彼女の霊障は始まりでしかなく、その後に起こる霊障、怪異。そして元霧原村に古くから伝わる因習、忌み地にまつわる闇、恐怖の怪異へと続く序章に過ぎなかった。 《主人公は月森和也(語り部)となります。転校生の神代渉はバディ訳の男子です》 【投稿開始後に1話と2話を改稿し、1話にまとめています。(内容の筋は変わっていません)】

ダブルの謎

KT
ミステリー
舞台は、港町横浜。ある1人の男が水死した状態で見つかった。しかし、その水死したはずの男を捜査1課刑事の正行は、目撃してしまう。ついに事件は誰も予想がつかない状況に発展していく。真犯人は一体誰で、何のために、、 読み出したら止まらない、迫力満点短編ミステリー

【恋愛ミステリ】エンケージ! ーChildren in the bird cageー

至堂文斗
ライト文芸
【完結済】  野生の鳥が多く生息する山奥の村、鴇村(ときむら)には、鳥に関する言い伝えがいくつか存在していた。  ――つがいのトキを目にした恋人たちは、必ず結ばれる。  そんな恋愛を絡めた伝承は当たり前のように知られていて、村の少年少女たちは憧れを抱き。  ――人は、死んだら鳥になる。  そんな死後の世界についての伝承もあり、鳥になって大空へ飛び立てるのだと信じる者も少なくなかった。  六月三日から始まる、この一週間の物語は。  そんな伝承に思いを馳せ、そして運命を狂わされていく、二組の少年少女たちと。  彼らの仲間たちや家族が紡ぎだす、甘く、優しく……そしてときには苦い。そんなお話。  ※自作ADVの加筆修正版ノベライズとなります。   表紙は以下のフリー素材、フリーフォントをお借りしております。   http://sozai-natural.seesaa.net/category/10768587-1.html   http://www.fontna.com/blog/1706/

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

この満ち足りた匣庭の中で 二章―Moon of miniature garden―

至堂文斗
ミステリー
それこそが、赤い満月へと至るのだろうか―― 『満ち足りた暮らし』をコンセプトとして発展を遂げてきたニュータウン、満生台。 更なる発展を掲げ、電波塔計画が進められ……そして二〇一二年の八月、地図から消えた街。 鬼の伝承に浸食されていく混沌の街で、再び二週間の物語は幕を開ける。 古くより伝えられてきた、赤い満月が昇るその夜まで。 オートマティスム、鬼封じの池、『八〇二』の数字。 ムーンスパロー、周波数帯、デリンジャー現象。 ブラッドムーン、潮汐力、盈虧院……。 ほら、また頭の中に響いてくる鬼の声。 逃れられない惨劇へ向けて、私たちはただ日々を重ねていく――。 出題篇PV:https://www.youtube.com/watch?v=1mjjf9TY6Io

この欠け落ちた匣庭の中で 終章―Dream of miniature garden―

至堂文斗
ミステリー
ーーこれが、匣の中だったんだ。 二〇一八年の夏。廃墟となった満生台を訪れたのは二人の若者。 彼らもまた、かつてGHOSTの研究によって運命を弄ばれた者たちだった。 信号領域の研究が展開され、そして壊れたニュータウン。終焉を迎えた現実と、終焉を拒絶する仮想。 歪なる領域に足を踏み入れる二人は、果たして何か一つでも、その世界に救いを与えることが出来るだろうか。 幻想、幻影、エンケージ。 魂魄、領域、人類の進化。 802部隊、九命会、レッドアイ・オペレーション……。 さあ、あの光の先へと進んでいこう。たとえもう二度と時計の針が巻き戻らないとしても。 私たちの駆け抜けたあの日々は確かに満ち足りていたと、懐かしめるようになるはずだから。

【朗読の部屋】from 凛音

キルト
ミステリー
凛音の部屋へようこそ♪ 眠れない貴方の為に毎晩、ちょっとした話を朗読するよ。 クスッやドキッを貴方へ。 youtubeにてフルボイス版も公開中です♪ https://www.youtube.com/watch?v=mtY1fq0sPDY&list=PLcNss9P7EyCSKS4-UdS-um1mSk1IJRLQ3

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

処理中です...