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覚醒編

満生台の戦い①

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 真智田玄人ら三人の魂魄を掻き消した八木優は、気怠そうに息を吐いた。
 満生台に存在していた住民たちは皆、この信号領域を構成する重要なエネルギーでもある。
 それゆえ、魂魄を完全消滅させるわけにもいかないのだ。少なくとも、代替のない現時点では。

「……まあ、そもそも今の私にそこまでの力は無いが……」

 八木が立ち向かってくる魂魄をいなせるのは、GHOSTが製造した装置あってこそのことだ。
 組織が魂魄改造のために開発していたヴァルハラと呼ばれる装置。その副産物として、魂魄に干渉する他の装置も幾つか生み出されていた。
 本来、微弱な霊体を使役するための道具ではあるが、今は銃の形状をしたその装置でエネルギー弾を相手に撃ち込み、追い払うことでしか道を開けなかった。

「ままならないものだ」

 この匣庭の従的な魂魄だからと言って、その強度が自分より劣っている、と考えるのは甘かった。
 事実として、むしろ相手の方が強い魂魄エネルギーを有しているのではと思えるほどだ。
 真正面から戦えば、ただ優男が悪ガキに殴り倒される――などという構図になってしまっていたのは間違いない。
 そうなれば、八木にとってあまりにも情けない最期を迎えることになるだろう。

「早く追いつかなければ……」

 時間のロスを埋めようと、八木は全力で走り始める。
 しかし、その足はすぐに止まることになった。

「……ちっ……」

 彼も予想はしていた。だが、ここまでだとは思わなかったのだ。
 匣庭の誰も彼もが、満雀という小娘に力を貸すだなんて。

「時間を稼がせてもらうとしよう」
「ふう、老体には荷が重いがねえ」

 八木の目の前に立ち塞がったのは、佐曽利功と牛牧高成。
 この状況にも落ち着き払った様子で、静かに八木へ敵意の眼差しを向けている。

「お二人とも、無駄なことはしなくてもいいじゃないですか。この場所の管理者が私に変わるだけだというのに……皆さんの暮らしは特に変わらない、これから先も保証されてるんですよ。むしろ私に楯突けば、満雀さんがこの信号領域を壊してしまう」
「馬鹿を言っちゃいけないよ、八木くん。生命というのはね、成長し、そして老い、後に託していくものだ。我々が若者の未来を奪うわけにはいかんのだよ」
「そう……牛牧の言う通り、このまま俺たちが存在し続け、あの子が縛られるのは本望じゃない。お前に消されるか、主として縛られ続けるか……この場所がある限り、満雀ちゃんに待っているのはそんな運命なのだろう?」
「はあ、やはりご老人は察しが良すぎて困る。……他の全てよりあの少女を選ぶなんて、一握りだと思っていましたよ」

 八木は言いながら、銃口を向ける。それが危険だと分かっている二人は、老体に鞭を打って左右に散開した。
 佐曽利が先に駆け出し、牛牧が後に続く。意外にも彼らは俊敏だった。
 その速さに面喰いつつも、八木は慎重に狙いを澄ませて一撃を放つ。
 それは霊魂をジャミングするエネルギー弾――。

「くっ……!」

 察知出来たとしても、それを現実で避けられるかは別問題だ。
 エネルギー弾はあまりにも高速で、腕を撃ち抜かれた佐曽利はたちまち霧散してしまう。魂魄が一時的にヒトとしての形を保てなくなったのだ。
 しかし、その後ろから牛牧が駆けてくる。

「おっと……!」

 八木は間一髪で牛牧の突進を躱し、その背中に弾を放った。
 勢いを殺しきれずに前へつんのめった牛牧は弾を避けられず、佐曽利と同じように霧散してしまった。
 二人が満雀のために稼げたのは、ほんの僅かな時間だけ。
 だが、それでも――そんな時間が積み重なっていくのならば。

「お年寄りには優しくするってのは当たり前のことでしょう? 見損ないましたよ、八木さん」
「貴方は……千代さんですか」

 魂魄の光が形作ったのは、秤屋千代の姿。
 腰に手を当て、八木を睨みつけながら仁王立ちしている。その様は、商店で店番をしているいつもの千代とは大違いだ。

「その上満雀ちゃんに手を出そうってんなら、いくら常連さんだからって容赦しません」
「やれやれ……」

 会話をしたところで、どうせ分かり合えない。八木はもうその点を理解しているようで、返事をしようともしなかった。銃口を千代に向けると、冷酷無比にトリガーを引く。
 ……しかし。

「な……ッ!」

 八木は目を疑う。高速のエネルギー弾を千代はギリギリで躱し、そのまま向かってきたのだ。
 いくら単純に頭を狙ったからとは言え、実弾を避けるのに近い芸当のはず。八木が驚くのも無理のないことだった。
 千代にそんな身体能力があったとは。

「えいっ!」

 千代は八木の右手を払い、装置を吹き飛ばそうと試みる。しかし八木も負けてはおらず、体を捻ってそれを回避した。そのまま容赦なく蹴りを入れようとするが、これは空を切る。

「女の子に暴力振るおうとするのも良くない!」
「ああ――うるさいですよ!」

 苛立ちの声を上げながら、八木は再び千代に銃を向けた。今度は外さぬようにと狙い定めながら。
 すると、そのとき――。

「おじちゃん、良くない」
「う……!?」

 背後から、すう……と伸びる小さな手。
 それが銃を持つ右手に重なり、八木は驚いて振り返った。

「き、君は――」

 そこには、立ち尽くす少女の姿。
 声を失ったはずの河野理魚の姿があった。

「……優しいお姉ちゃん、私も守るの」
「何かと思えば……驚いて損をした。それにしても、言葉を取り戻すとはね……」

 魂魄が匣庭のルールから解放されたことにより、本質に近くなっているのかもしれない。
 彼女は、手術を受けたことによって失われている後天的な失語だ。今の状態は、肉体の制限から解き放たれている。

「それに――私のことも、おじちゃんのせいでしょ?」
「さて……今はどうでもいいことですよ」

 面倒くさそうにそう言い捨て、八木は回答を拒否する。
 確かに、レッドアイ・オペレーションの実証実験として選んだのが理魚であり、彼女は真実を正しく認識出来ているのだが、八木にとってそれは疎ましいことでしかなかった。

「今だっ!」
「ッあ……!」

 しまった、と思ったときにはもう遅い。
 突然の理魚の登場に気を取られ、背後への警戒心が緩んでいたところに、千代が体当たりをしてきたのだ。
 踏ん張ることも出来ず、八木はその衝撃によって吹っ飛ぶ。何とか受け身をとってゴロゴロと転がったが、あちこちが痛んで思わず呻き声が出た。

「悪あがきをぉ……!」

 八木は怒りを爆発させ、恐ろしい形相で千代たちを睨むと、素早く銃を抜いた。
 最早動く暇すら与えないと、銃を何度も何度も連射する。弾が二人に当たり、その魂がハラハラと掻き消えても尚、彼はしばらく銃を撃ち続けた。

「……はあ……はあ」

 思い通りにいかないことに対し、怒りを押さえつけることが出来ずに彼は悶える。
 激しい感情の捌け口として、彼は物に当たるしかなく。足で二度、三度と地面を踏みつけた。

「どうしてこの局面でこんなことに……! それもこれも、あの光井明乃という女が来たせいだ……くそ!」

 このプログラムが成就するため、一番に努力した自分が。
 生き延び、未来を繋ぎ、そして更なる探求の旅へ出るために耐え忍んできた自分が。
 報われることなくここで生を終えるなど、許されないと。
 八木は心の底からこのイレギュラーを……明乃たち来訪者を恨んだ。
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