この欠け落ちた匣庭の中で 終章―Dream of miniature garden―

至堂文斗

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覚醒編

頼もしい背中

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「……やれやれ、まさかまだ正気を保っていたとは」

 冷ややかな声。振り返れば、そこにはやはり奴がいた。
 この匣庭の全てを支配せんとする男、八木優――。

「早々に消えてくれていれば楽だったんですがね。想像以上に心が強いようだ」
「……残念ね、これでも諦めは悪い方なのよ。何年も同じ二週間を繰り返すくらいには」
「ふふ、それは私も同じなんですが」

 八木は嘲るような笑みを浮かべる。お前の努力など、自分が経験してきた苦悩には到底及ばないとでも言いたげに。
 確かに、覗き見た彼の過去は凄絶だった……それは間違いない。
 おまけに彼自身も決して癒えぬ病に体を蝕まれ、絶望の中救いを求めていた。それ自体は私と似ている部分もある。
 まあ、私は父によって強制的に命を繋ぎ止められていたわけだが。

「ねえ、満雀さん。よくよく考えていただきたいんですが、私は何もこの領域に住む人たちの命を奪おうとしているわけじゃありません。むしろこの領域を完璧な状態で維持し、住民たちを永遠に生き永らえさせようとしているんです。それはつまりWAWプログラムの完遂であり、何よりも貴方の父親である久礼貴獅さんが望んだことなんですよ?」
「そう言いながら私を消そうとしていたくせにね。……まあ、確かに父は私が自由で幸せに生きていられるようにという一心でこの計画を実行に移した。けれど私は、決してこんな形で生き延びたかったわけじゃあないわ。父には悪いけれど、多くの人の命を縛り付けて存在する生き方を、私は良しと出来ない」
「縛り付けて、ですか。己が抱えるハンディキャップから解放され、死という概念すらも乗り越えて、満ち足りた暮らしが出来るというのが信号領域の真価だと私は思うのですがね。貴方が目を覚ましたら、その先にあるのは病を抱え、不自由な体で僅かな時を生きるだけという過酷な現実なんですよ?」
「そうね、私を待つ現実は過酷に違いない。けれど、その運命に目を瞑ったまま甘美な夢を見続ける方が嫌だわ。この夢から目を覚まして、私はありのままの世界を生きていくの」

 私の啖呵に、しかし八木は大げさな溜め息を吐く。
 分からずやの子どもだ、と言わんばかりの仕草だ。

「その認識にズレがありますね。信号領域は決して夢ではなく、不自由な肉体を離れた魂魄が自由に生きていける空間だと言うのに。君のお友達の玄人くんや龍美さん、虎牙くんだってそう。義肢も義眼も必要無く、毎日楽しく遊び回れるんです」
「でも、それだけだわ。毎日を存在しているだけ……たとえ領域の無限ループが終わったところで、私たちはその先へと進めない。誰かと一緒に成長していくことも、繋いでいくことも出来ないなら、夢のようなものよ」
「確かに、GHOSTの今の技術力では、信号領域は閉じた空間でしかないでしょう。しかし、領域研究の完成形は確固たるネットワークの構築なんです。現実世界と寸分違わぬ領域をあらゆる場所で構築し、接続する……そうすれば我々は、ほとんど現実と変わらない暮らし方が出来るようになるはずなんですよ」

 もしも、世界丸ごとをコピーして信号領域が構築出来たならば、八木の言う通り現実とほとんど変わらぬ生活が出来るようになるのかもしれない。ただ、やはりそこには決定的な違いがある。肉体を離れた魂魄は、離れたがゆえに変わらないのだ。大人になることも出来なければ、新たな命を育んでいくことも、出来やしない。
 信号領域は、命を留めておくための場所でしかなく。ある意味それもまた檻のようなものではないのかと私は思う。

「永遠の生……それだけで人類にとって大変な進化だと私は思いますがね。死への刻限に怯えることなく、知の探究が出来る。ああ、それは無上の幸福じゃないですか」
「ふう……貴方のような人にとっては、でしょう。本当に、まさか貴方の本性がそんなマッドサイエンティストだっただなんて」
「人は識ることで喜びを得る存在なのです。識ることで歴史は作られてきたのですから」

 だとしても、決してそれだけが答えではない。
 人の思いは様々で、絶対的な答えなんて見つけられるわけもないのだ。
 だから……。

「――悪いが、ここは多数決ってヤツだぜ」

 そのとき……懐かしい声が聞こえた。
 皮肉屋で、けれども心根の優しい親友の。

「俺は……俺たちは満雀ちゃんの生き方に賛成だ。この匣庭で閉じこもって生きるなんざしてほしくないし、俺たちも御免被るさ」
「虎牙……」

 光が収束し、現れたのは頼もしい背中。
 私を守るように八木と対峙する、虎牙の姿だった。
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