この欠け落ちた匣庭の中で 終章―Dream of miniature garden―

至堂文斗

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記憶編

満生台に生きた魂魄の軌跡④

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 佐曽利功の経歴は、少々特殊だった。
 彼の両親は小さな工場を営んでおり、父は肉体労働に汗を流し、母はスケジュール管理や帳簿付けに目を回しと、ほとんど休みなく働いていた。それでも孫請けとなる小規模な工場ではギリギリの経済状況が当たり前で、贅沢な暮らしもできずに節制の日々を送らざるを得なかった。
 そんな家庭で育った功は、文武両道という言葉がぴったりな少年で、時折工場で単純作業を手伝ったりしながらも、成績は常に校内で五本の指には入っており、柔道の大会で準優勝を果たすなどの功績も挙げていた。
 順調に行けば、大学に進学してもっと多くを学び、大企業で働いて親の生活をサポートしたい。小さな工場をただ継いでも状況は変わらないからと、功はそう考えていた。両親もその点について否定はしなかったし、功のしたいことをしてほしいという思いでいた。
 しかし、現実は単純ではない。大学に行くための費用を捻出することが両親には難しかった。功は遅まきながら工場の手伝いを止め、アルバイトなり何なりして資金を調達しようと思ったものの、入学してから四年間の学費も全て賄うのはかなりの負担が伴うのではないかと、躊躇いを感じてしまったのである。
 そこで彼が方針を転換して目指したのは、警察官の道だった。
 知力にも体力にも自信はあったし、柔道など武の心得もある。高校を卒業し、警察官の採用試験に合格すれば順次採用されるということだったので、彼は迷いなく試験を受けることにした。警察は国家公務員と地方公務員で進む道が変わってくるが、功が選んだのは地方で都道府県警察として働く道だった。地元で家族といたい、という気持ちがあったからである。
 試験は無事合格し、功の警察学校での生活が始まった。流石に人々の平和を守る重大な仕事であり、日々の訓練は功をして辛いと感じるものであったが、持ち前の根性で彼は十ヶ月を乗り切った。しかもそれだけでなく、在学中に支給された給料は可能な限り親へ送っていた。両親は功の親孝行ぶりに、いたく感謝したものだった。
 以降の教養期間もそつなくこなして、功は正式に地元の交番へ配属された。初めのうちは四交替制の生活に戸惑ったものだが、慣れると自由な時間も比較的多く、仕事とプライベートのどちらも充実した生活を送ることができた。実家から離れることもなく、休みは家族とともに過ごす時間を大切にしていた。
 職務の上で、功には信頼できる上司が出来ていた。青山というその男は五十を過ぎた交番の所長であり、優しい人柄で功に様々なことを教えてくれた。
 彼には一つ、自分なりの決め事というものがあった。それは、自分たちが守る地域で事故や事件での死者が出た場合、その人の魂を鎮めるため木像を彫ることだった。一つ一つは小さなものだったが、細部まできっちりと彫り上げるため完成には数時間かかる。そういうものを、青山は欠かさず作ってきたのだという。
 実家の工場で細かな作業を手伝っていた功も手先は器用な方だったので、木像の作り方を教えてもらい、すぐに一人で完成させられるまでになった。木像による慰霊という青山の考えを、功も良き考えだと思っていたので、彼とともに木像を彫って祈ることもしばしばだった。
 だが、功にとって信じ難い事件が起きた。
 自分が非番だった日に発生した強盗事件。その犯人を捕まえようとした青山が反撃に遭い、病院へ運ばれたのだ。
 青山のおかげで犯人は取り押さえられたものの、彼の負った傷は深刻だった。急ぎ病院へ駆けつけた功は、緊急手術を行っていると伝えられた手術室の前で両手を組み、ひたすら祈り続けた。
 どうか、ご無事でと。
 その祈りが届くことは、しかし無かった。手術の甲斐なく青山は命を落としてしまったのである。
 尊敬する人物を突如襲ったその悲劇に……功の心にはぽっかりと穴が空いてしまったようだった。
 交番勤務ではあったものの、青山を慕う人は多く、葬儀は大規模に行われた。
 一人の部下でしかない功は、式の中で青山に言葉を掛ける場面も設けられず……ただ、写真の中で笑う彼に、棺の中で眠る彼に、心の中で静かに別れを告げることしか許されなかった。
 それから功は、青山のために木像を彫り始めた。
 これまでに作った小さなものではなく、ほとんど人の大きさと変わらぬほどの木像を。
 約一ヶ月掛けて製作した木像を、彼は自宅に置き。
 彼の魂がどうか安らぐようにと、祈りを捧げるのだった。
 功はそれからしばらく警察官として勤めたが、両親が工場を畳んだのを機に自身も退職することに決めた。一度立ち止まって自分の生き方を改めて考えたい。そんな風に思ったのである。
 自分にあるものは何か。それなりの知識と体力は有しているので、専門職でなければある程度のことはできるだろう。しかし、続くかと言われると首を傾げるしかない。本当にやりたいことは、何だろうか。
 この先について悩んでいるとき、功は両親にこんなことを言われた。あんたは手先が器用なんだから、何かを作るのがいいんじゃないかと。
 そこで真っ先に浮かんだのは、警察官時代に作っていたような木像だった。
 彫刻家になって芸術作品を売る……そういうのもいいかもしれない。功は両親の提案を好意的に受け入れ、彫刻の技術を活かせるようなものづくりについて調べていった。
 そして出会ったのが、義肢だったのだ。
 もちろん、彫刻の経験がそのまま活かせるわけでもなかった。義肢の素材は多岐に亘り、功が彫っていた木材以外に金属やプラスチック、ゴムなどが使われているし、他に間接的な素材も多くあってほとんど未知の世界だった。
 ただ、警察官という人の暮らしを守る仕事をしていた彼は、ハンディキャップを背負った人の暮らしを守るというところに共通点を見出し、強く関心を持つようになった。
 功はある程度考える期間を置き、自分の気持ちが変わらないことを確かめると、新たな道に向けて動き出した。つまり、義肢装具士になるために国家資格の取得を目指すことにしたのだ。
 三年間の専門学校生活を滞りなく終了させ、国家試験を受験。ストレートで試験を合格した功は、最短ルートで義肢装具士の資格を得ることができた。それからすぐ事業所に所属し、義肢作りに心血を注ぐようになっていくのだった。
 功の丁寧かつ迅速な仕事ぶりは、義肢装具士になってものの数年で噂になった。こういった職業の人間は一般人への知名度はないものの、医療関係者には広く認知され、医師たちは彼のことを安心できる人物だと口を揃えて言うものだった。
 牛牧と出会ったのもこの時期で、彼の依頼を百点満点の出来で納品したのが交流のきっかけとなる。
 後に牛牧の息子がALSに罹り、補助装具が必要だと聞いたときは、協力を快諾し、採算度外視で補助装具を製作した。病状が苦しくなっても、頼まれる限りは可能な限りの助力を惜しまなかった。
 そんな牛牧が満生台へ移り住むことを決心した際には、彼の気持ちを慮って深く追求はしなかった。ただ、何かあれば力になるとだけ伝えていたが、結局移住後は洋一が亡くなるまで、連絡がくることはなかった。
 牛牧の息子に関わったことで、功は義肢の電動化へも興味を向けることになった。コンピュータの分野は当時、誰しも手探りの状態だったが、そんな中でも功は努力を重ねた。海外から来た書籍まで読み漁り、自分なりに技術を会得していったのである。
 功が牛牧から満生台移住の提案を受けたのは一九九九年。功は四十三歳、そして牛牧の息子洋一が亡くなってから七年後のことだった。前年に満生総合医療センターの前身となる満生病院を設立した牛牧が、義肢装具士として功に仕事を持ちかけたわけだ。古くからの友人が、久しぶりに協力を願い出たということで、功は快くそれを引き受けた。いつかの約束を果たすときか、と。
 それから病院がGHOSTへ身売りされるまでの間、彼は街で気ままに仕事を続けていくことになる。期間にしておよそ七年間の平穏だった。
 二〇〇七年にGHOSTが満生台へ進出してからは、功の仕事も増えた。盈虧院関係者や、組織が選出した人々が移住してきたためだ。彼らは肉体的にハンディキャップを持つ者ばかりであり、功は彼らのための装具作成に奔走することとなった。
 依頼も牛牧から直接ではなく、やって来たばかりの久礼貴獅から受ける割合が増えていった。功はこうした変化を完全に納得したわけではなかったが、牛牧も悩みながらこの選択をしたのだろうと割り切って、ただ黙々と仕事をこなすのだった。
 そして、二〇〇九年。功の元に、牛牧から一つの話が舞い込む。それは実質GHOSTからの話であったが、事が上手く運ぶようにとの考えで、牛牧が伝えることになったのだ。
 義本虎牙。功にとっては遠縁にあたる少年を引き取らないかという相談。実際のところ、功は虎牙どころかその両親と会ったことさえなく、血縁関係があることを他者がどうやって確認したのかと首を傾げるくらいに結びつきがなかった。けれども、仕事の中でGHOSTという組織の怪しさを薄っすらと理解し始めていた彼は、どうやってという疑問は追いやっておくしかないとすぐに割り切った。
 問題は、一人で生きてきた自分が子どもを引き取るなどということができるかどうか。詳細を聞くと、虎牙という子は幼少期に事故で両親を亡くして盈虧院に入り、自分に対する風当たりの強さから不良まがいの性格になった挙句、大喧嘩の果てに視力を失ってしまったのだという。境遇に対して同情はしたものの、視力を失った素行不良の少年と共に暮らす、というのはかなりハードルが高いことだ。気持ちとして居場所は与えてやりたいが、上手く行くとは思えない。功は一ヶ月以上の間、返答を保留して悩み続けた。
 功が虎牙を引き取ることを決心したのは、牛牧が話した追加の背景が理由だった。友人を守るために戦ったという、失明に至る経緯を聞き、警察官だった自身の過去や青山のことを思い出した功は、虎牙の秘めたる正義感を信じ、受け入れを承諾することになったのだった。

 こうして功と虎牙は出会い、家族になっていく。二〇一二年の八月、運命が彼らを攫うまで。
 誰かを守る――その思いは、最期の瞬間まで二人ともが抱き続けた繋がりだった。
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