55 / 69
記憶編
その者の過去⑤
しおりを挟む
たった一人の肉親ということで、死後の手続きは優が担うことになってしまった。
研究所へ簡潔に報告を入れると、総務も気にせずしばらく休んでくださいという言葉をかけてくれたので、優は久々に感謝の念を抱く自分を発見し、その申し出に甘えることとした。
しばらくは忙しいが、この不意の休みで様々なことを整理してしまおう。優はそう決心し。
そして、今日自分が誕生日だったということを、夜になって思い出した。
――少なくとも、忘れられない誕生日になるだろう。
そんな風に思いながら、彼は疲弊した体を休ませたのだった。
休みはひとまず一週間貰い、優は片付けられることを全て片付けた。
葬儀の他、行政への諸手続き。研究一筋の彼にとってはややこし過ぎるものだったし、自身の職業などを聞かれてヒヤヒヤすることもあった。それでも何とか諸々を無事に済ませ、一週間を経て優は再び研究所に舞い戻った。
幸い、自身が管理するプロジェクトに大きな障害は発生しておらず、幾つかの小問題は一日で処理できる程度のものだった。それでも優が戻ってきたことで部下からは感謝を述べられたので、やはり自分の居場所はここなのだと彼は再認識した。
あの時の母の言葉が頭をよぎろうとも、今更研究以外の道を選ぶつもりもないし、そもそも真っ当な生き方が出来る気もしないのだから。
――そうとも。この道を進み続けるんだ、どこまでも。
それが馬野英でもなく、八木傑でもなく、八木優なのだ。
ただその思いで、彼はどんどんと深みへ潜っていくことになる。
満生台のプロジェクトについて優が話を切り出されたのは、同年……つまり二〇〇三年のことだった。
一九九五年にトップが組織の研究対象について、魂魄部門と領域部門へ分割して定義してから、領域に関する研究が急速に進んできており、一つの実験場として良好な土地を得られそうだという情報が入ったのだ。
人口百人程度の街で、信号領域の可能性を探る実験を執り行う。具体的な案はまだ出ていなかったが、その計画の監督者として優が候補に挙げられたのだった。
与えられた仕事は一つとして拒まなかった彼なので、この打診も二つ返事で快諾した。優自身、領域部門の研究が大掛かりになりがちだというのは知っていたし、大きな責任とそれに見合う名誉が与えられることもまた認識していた。この役目を見事にやりきってみせようと、優は提案の段階から自信たっぷりに構えていたのである。
計画が具体性を帯び始めたのは翌年になってからだった。街全体をコピーし信号領域を構築、そこに人を住まわせる……組織が準備していた盈虧院の名称に合わせ、プロジェクト名は盈虧計画、WAWプログラムに決定した。優は当初の案通り、この計画の監督者に選ばれたが、規模が大きいからという理由で他にもう一人、選ばれた人物がいた。それが永射孝史郎だった。
永射家もまた八木家と同じGHOSTの家系であり、両親が領域の研究で目覚ましい成果を遂げていたために、息子である孝史郎がその監督者として捻じ込まれたという経緯があった。
しかし、この経緯と永射孝史郎の性格的な問題があり、監督者は八木優一人でいいのではないか、という意見も多くあったらしい。そのことを優は嬉しく思ったが、最終的に上層部は計画の監督者についてこう決定した。
即ち、表向きの監督者として永射孝史郎を現地に派遣、しかして彼を含む全てを監視するため、最上位に八木優を据える……と。
上層部としても、優の能力は永射孝史郎より優れていると認識しており、彼をリスクのある場所へ派遣するよりも別の人間を派遣し、優は安全なところから計画を統括する、そうした運用の方が望ましいと判断したそうだ。そこで同時に明かされたのが、優の役職自体を更に引き上げ、監査役とする話があるのも計画がその形になった理由だとのことだった。
優に何も異論はなかった。自分は安全な場所で指揮できる上、更なる出世も約束されているのだ。どうやら監査役は求められる役割上、組織の下部にはその存在すら調べられない特別な立場になるらしく、それでいて研究が阻害されることもない、更にはもう一段階上がれば自らプロジェクトを立案する権限まで付与されるということで、ありがたいことばかりだったのだ。これで父親を超えられる。順調にいけば、いつか祖父すら超えられるだろうと、優は自分を誇らしく思った。
WAWプログラムは着々と準備されていった。その中で一つ、優に要求されたのが高性能な通信プログラムの構築だった。これは優の得意分野であったが、信号領域の構成に直結するものとなると中々手強く、未知の試みであり手探りで進めねばならなかった。
試行錯誤の日々……とうとう自分にも壁らしい壁が現れたかと、優は恐れるどころか闘志を燃やした。これを超えられれば、役職としてだけでなく精神的にも、父がいた地点より先に行けるのだと、ポジティブな気持ちで取り組み続けた。
そして、突破口は開けた。
現状で試せる限りのプログラムは作り、どれもしっくりこないと悩んでいたとき。ふと父のことを思い出したのがきっかけだった。そう言えば、父の最期の仕事も領域関係のものだったのではないか。
この時点で優には組織内ネットワークのほぼ全域の閲覧権限があった。なので保管されている過去のデータも確認することができた。彼は気分転換も兼ねて父の遺したデータを眺め……そこで一つのアイデアに至ったのである。
――これは使える。
父が最期に遺したもの……蟹田公介なる人物から技術を盗用し作り上げたプログラム。
当時の目的とはまるで違うものの、そこに刻まれたコードは優が必要とする理論にほぼ近似していた。
これを眠らせておくなんて勿体無い、今こそこれが必要になると優は思った。ただ、何も言わずに現行のプログラムへ流用してしまえばそれは父と変わらなくなってしまう。
データ自体が古いので改善点も多々あるし、ここで取るべき手段は一つしかないと、優は上層部へ直談判を行った。
十数年が経ちほとぼりが冷めた今、父のデータを改良して計画に落とし込みたい。これを使えば計画の根幹部分がクリアできるようになるのだと、先手を打ってプレゼンしたのである。
このやり方に、上層部もノーとは言わなかった。元より事件は自死として完結し、世間からも忘れられて久しい。最終的にはほとんどコードは書き換えられてしまうし、特に問題はない……という判断が下りたのだった。
こうしてWAWプログラムに用いられる通信プログラムは構築された。当時はまだ仮称としてレッドシグナルと付けられ、レッドアイに変更となるのはもう少し先になるが、大きな仕様の変更は最後まで無く、順調に改良がなされていくことになった。
優は父の想いさえも取り込み、壁を超えていけることに喜びを感じ、このWAWプログラムを必ず成功させようと誓って、以降も奮闘していくのだった。
研究所へ簡潔に報告を入れると、総務も気にせずしばらく休んでくださいという言葉をかけてくれたので、優は久々に感謝の念を抱く自分を発見し、その申し出に甘えることとした。
しばらくは忙しいが、この不意の休みで様々なことを整理してしまおう。優はそう決心し。
そして、今日自分が誕生日だったということを、夜になって思い出した。
――少なくとも、忘れられない誕生日になるだろう。
そんな風に思いながら、彼は疲弊した体を休ませたのだった。
休みはひとまず一週間貰い、優は片付けられることを全て片付けた。
葬儀の他、行政への諸手続き。研究一筋の彼にとってはややこし過ぎるものだったし、自身の職業などを聞かれてヒヤヒヤすることもあった。それでも何とか諸々を無事に済ませ、一週間を経て優は再び研究所に舞い戻った。
幸い、自身が管理するプロジェクトに大きな障害は発生しておらず、幾つかの小問題は一日で処理できる程度のものだった。それでも優が戻ってきたことで部下からは感謝を述べられたので、やはり自分の居場所はここなのだと彼は再認識した。
あの時の母の言葉が頭をよぎろうとも、今更研究以外の道を選ぶつもりもないし、そもそも真っ当な生き方が出来る気もしないのだから。
――そうとも。この道を進み続けるんだ、どこまでも。
それが馬野英でもなく、八木傑でもなく、八木優なのだ。
ただその思いで、彼はどんどんと深みへ潜っていくことになる。
満生台のプロジェクトについて優が話を切り出されたのは、同年……つまり二〇〇三年のことだった。
一九九五年にトップが組織の研究対象について、魂魄部門と領域部門へ分割して定義してから、領域に関する研究が急速に進んできており、一つの実験場として良好な土地を得られそうだという情報が入ったのだ。
人口百人程度の街で、信号領域の可能性を探る実験を執り行う。具体的な案はまだ出ていなかったが、その計画の監督者として優が候補に挙げられたのだった。
与えられた仕事は一つとして拒まなかった彼なので、この打診も二つ返事で快諾した。優自身、領域部門の研究が大掛かりになりがちだというのは知っていたし、大きな責任とそれに見合う名誉が与えられることもまた認識していた。この役目を見事にやりきってみせようと、優は提案の段階から自信たっぷりに構えていたのである。
計画が具体性を帯び始めたのは翌年になってからだった。街全体をコピーし信号領域を構築、そこに人を住まわせる……組織が準備していた盈虧院の名称に合わせ、プロジェクト名は盈虧計画、WAWプログラムに決定した。優は当初の案通り、この計画の監督者に選ばれたが、規模が大きいからという理由で他にもう一人、選ばれた人物がいた。それが永射孝史郎だった。
永射家もまた八木家と同じGHOSTの家系であり、両親が領域の研究で目覚ましい成果を遂げていたために、息子である孝史郎がその監督者として捻じ込まれたという経緯があった。
しかし、この経緯と永射孝史郎の性格的な問題があり、監督者は八木優一人でいいのではないか、という意見も多くあったらしい。そのことを優は嬉しく思ったが、最終的に上層部は計画の監督者についてこう決定した。
即ち、表向きの監督者として永射孝史郎を現地に派遣、しかして彼を含む全てを監視するため、最上位に八木優を据える……と。
上層部としても、優の能力は永射孝史郎より優れていると認識しており、彼をリスクのある場所へ派遣するよりも別の人間を派遣し、優は安全なところから計画を統括する、そうした運用の方が望ましいと判断したそうだ。そこで同時に明かされたのが、優の役職自体を更に引き上げ、監査役とする話があるのも計画がその形になった理由だとのことだった。
優に何も異論はなかった。自分は安全な場所で指揮できる上、更なる出世も約束されているのだ。どうやら監査役は求められる役割上、組織の下部にはその存在すら調べられない特別な立場になるらしく、それでいて研究が阻害されることもない、更にはもう一段階上がれば自らプロジェクトを立案する権限まで付与されるということで、ありがたいことばかりだったのだ。これで父親を超えられる。順調にいけば、いつか祖父すら超えられるだろうと、優は自分を誇らしく思った。
WAWプログラムは着々と準備されていった。その中で一つ、優に要求されたのが高性能な通信プログラムの構築だった。これは優の得意分野であったが、信号領域の構成に直結するものとなると中々手強く、未知の試みであり手探りで進めねばならなかった。
試行錯誤の日々……とうとう自分にも壁らしい壁が現れたかと、優は恐れるどころか闘志を燃やした。これを超えられれば、役職としてだけでなく精神的にも、父がいた地点より先に行けるのだと、ポジティブな気持ちで取り組み続けた。
そして、突破口は開けた。
現状で試せる限りのプログラムは作り、どれもしっくりこないと悩んでいたとき。ふと父のことを思い出したのがきっかけだった。そう言えば、父の最期の仕事も領域関係のものだったのではないか。
この時点で優には組織内ネットワークのほぼ全域の閲覧権限があった。なので保管されている過去のデータも確認することができた。彼は気分転換も兼ねて父の遺したデータを眺め……そこで一つのアイデアに至ったのである。
――これは使える。
父が最期に遺したもの……蟹田公介なる人物から技術を盗用し作り上げたプログラム。
当時の目的とはまるで違うものの、そこに刻まれたコードは優が必要とする理論にほぼ近似していた。
これを眠らせておくなんて勿体無い、今こそこれが必要になると優は思った。ただ、何も言わずに現行のプログラムへ流用してしまえばそれは父と変わらなくなってしまう。
データ自体が古いので改善点も多々あるし、ここで取るべき手段は一つしかないと、優は上層部へ直談判を行った。
十数年が経ちほとぼりが冷めた今、父のデータを改良して計画に落とし込みたい。これを使えば計画の根幹部分がクリアできるようになるのだと、先手を打ってプレゼンしたのである。
このやり方に、上層部もノーとは言わなかった。元より事件は自死として完結し、世間からも忘れられて久しい。最終的にはほとんどコードは書き換えられてしまうし、特に問題はない……という判断が下りたのだった。
こうしてWAWプログラムに用いられる通信プログラムは構築された。当時はまだ仮称としてレッドシグナルと付けられ、レッドアイに変更となるのはもう少し先になるが、大きな仕様の変更は最後まで無く、順調に改良がなされていくことになった。
優は父の想いさえも取り込み、壁を超えていけることに喜びを感じ、このWAWプログラムを必ず成功させようと誓って、以降も奮闘していくのだった。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
紙の本のカバーをめくりたい話
みぅら
ミステリー
紙の本のカバーをめくろうとしたら、見ず知らずの人に「その本、カバーをめくらない方がいいですよ」と制止されて、モヤモヤしながら本を読む話。
男性向けでも女性向けでもありません。
カテゴリにその他がなかったのでミステリーにしていますが、全然ミステリーではありません。
この満ち足りた匣庭の中で 二章―Moon of miniature garden―
至堂文斗
ミステリー
それこそが、赤い満月へと至るのだろうか――
『満ち足りた暮らし』をコンセプトとして発展を遂げてきたニュータウン、満生台。
更なる発展を掲げ、電波塔計画が進められ……そして二〇一二年の八月、地図から消えた街。
鬼の伝承に浸食されていく混沌の街で、再び二週間の物語は幕を開ける。
古くより伝えられてきた、赤い満月が昇るその夜まで。
オートマティスム、鬼封じの池、『八〇二』の数字。
ムーンスパロー、周波数帯、デリンジャー現象。
ブラッドムーン、潮汐力、盈虧院……。
ほら、また頭の中に響いてくる鬼の声。
逃れられない惨劇へ向けて、私たちはただ日々を重ねていく――。
出題篇PV:https://www.youtube.com/watch?v=1mjjf9TY6Io
この満ち足りた匣庭の中で 三章―Ghost of miniature garden―
至堂文斗
ミステリー
幾度繰り返そうとも、匣庭は――。
『満ち足りた暮らし』をコンセプトとして発展を遂げてきたニュータウン、満生台。
その裏では、医療センターによる謎めいた計画『WAWプログラム』が粛々と進行し、そして避け得ぬ惨劇が街を襲った。
舞台は繰り返す。
三度、二週間の物語は幕を開け、定められた終焉へと砂時計の砂は落ちていく。
変わらない世界の中で、真実を知悉する者は誰か。この世界の意図とは何か。
科学研究所、GHOST、ゴーレム計画。
人工地震、マイクロチップ、レッドアウト。
信号領域、残留思念、ブレイン・マシン・インターフェース……。
鬼の祟りに隠れ、暗躍する機関の影。
手遅れの中にある私たちの日々がほら――また、始まった。
出題篇PV:https://www.youtube.com/watch?v=1mjjf9TY6Io
獣人の里の仕置き小屋
真木
恋愛
ある狼獣人の里には、仕置き小屋というところがある。
獣人は愛情深く、その執着ゆえに伴侶が逃げ出すとき、獣人の夫が伴侶に仕置きをするところだ。
今夜もまた一人、里から出ようとして仕置き小屋に連れられてきた少女がいた。
仕置き小屋にあるものを見て、彼女は……。
virtual lover
空川億里
ミステリー
人気アイドルグループの不人気メンバーのユメカのファンが集まるオフ会に今年30歳になる名願愛斗(みょうがん まなと)が参加する。
が、その会を通じて知り合った人物が殺され、警察はユメカを逮捕する。
主人公達はユメカの無実を信じ、真犯人を捕まえようとするのだが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる