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記憶編
その者の過去④
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更に数年の月日が流れ。
八木優は三十歳の誕生日を迎えていた。
ただ、彼には自身の誕生日などまるで興味がなく、他の研究員からそう言えばと切り出され、ようやく思い出したほどだった。
――他人のことなどよく覚えているものだな。
優は心の中でそう思ったものだが、自分が八木家の人間として注目されている証左なのかもしれないと思うようにした。この頃には、人の心情を慮るということが彼にとって難しいものになっていたのだ。
彼が見続けているものはただ研究、人類が進化していくための道筋だけだった。
この日、優はせっかくの記念日だからという理由で周囲から勧められ、自宅へ戻っていた。実際のところ、二週間以上研究所にいたままだったので健康状態を心配されたのだ。優としてはそこまでの不調は感じていなかったが、体を壊して長期的に研究できなくなった研究員も何度か見てきたので、ここは大人しく従うことにした。
ちょうど、そういう訳で家に帰り着いたときのことだ。固定電話の呼出音が部屋に響いた。
当時は携帯電話がやっと必携のものになろうかという時期だったが、優は外部に連絡をとるような人物がいなかったことから所持しておらず、あるのは母親が置いておきなさいと指示した固定電話だけだった。だから、電話が来るとしたら母親しかいないはずだが、数年間連絡などとっていない。虫の知らせというか、優は科学的ではない、嫌な予感に苛まれながら受話器を取った。
「もしもし……」
『もしもし、そちらは八木優さんでしょうか?』
知らない男性の声。それが、自分の名前をフルネームで呼んできている。
込み上げる不安を抑えながら、優はそうですがと返答した。
『そうですか……実は今、貴方のお母様がつけていたノートから連絡先を見つけましてね。それでかけさせてもらったのです』
「あの、失礼ですがどちら様ですか?」
『ああ、申し訳ありません……私は××病院の田原と申しまして。お母様のことで、ご連絡を』
「病院……」
これから告げられることが、優には何となく察せられた。
そしてそれは、誤りではなかった。
『実はですね、お母様……華月さんは病気を患ってこの一年ほど当病院に入院していたのですが、昨日容体が急変しまして。可能な限り手は尽くしたものの、残念ながらお亡くなりになられたのです』
「……母が……」
知らなかった、という言葉がまず上ってきたが、それは当たり前のことだ。
二度と会うこともないと一方的に決め込んで、現況を知ろうとさえしなかったのだから。
……ただ、病を患ってもあちらから連絡を取ろうとしてこなかったのは意外だった。
留守電設定はしてあるので、連絡が来れば記録は残るのだ。……それが一度も無かったということは、母は死を悟っても自分に連絡を取ろうとはしなかった……。
『元々、華月さんには余命宣告もしていましたから、知らせたい親族はいないのかと我々も聞いていたんですがね。華月さんは頑なに誰とも話さなくていいと仰って……。こうして貴方に連絡をとれたのも、偶然ノートが見つかったからなんですよ』
「そうだったんですね……すみません、わざわざ」
『むしろ、このような形でお伝えすることになってこちらも謝りたいくらいです。……取り急ぎのご連絡だったのですが、今はお忙しいでしょうか? まずは当院まで来ていただければと』
「……分かりました」
ここで断るわけにもいかないだろうと、優はなし崩し的に了承する。
面倒なことになったな、という気持ちが大半を占めていたが……もっと奥深くに、寂寥感も微かにある事実に彼は驚く。
まだ自分にも、そういう情が残っていたのか……と。
優はすぐに連絡のあった病院へ赴いた。そして田原医師と面談、軽く経緯の説明を受けた後に霊安室の遺体と対峙した。
既に、冷たくなった骸。こんな気持ちはいつ以来だろうと思い返し、それが父の遺体に向き合ったときだと気付く。
やはり、肉親の死というものは……直面すると、重く。
「華月さんは癌を患っていましてね。初期症状もあまりない類のものでしたので、病院へ来たときにはもうかなり進行してしまっていました。病名を告げた際にはやはりショックを受けておられましたし、余命宣告では涙も流されていましたが……後はずっと、静かに日々を過ごされていました」
「……そんなことになっていたなら、連絡をとってくれても良かったんですが」
「邪魔をしてはいけない……華月さんはそう仰っていたそうです。かなりお忙しい身なんでしょうね?」
「まあ、それはそうなんですが……」
職業についても、母は何も言わずにいてくれたようだった。彼女自身もGHOSTに所属していた時期があったし、表沙汰にしないのは当然のことではあったが。
田原医師も、職業については深く訊ねないでくれた。なので答えにくい質問が飛んでくることはなく、その点優は胸を撫で下ろす。
「……邪魔をしてはいけない、か」
もう魂の消えてしまった母の体を見つめながら、八木は思う。
最期に宿したその信念だけは――多分、強かったのだろうと。
八木優は三十歳の誕生日を迎えていた。
ただ、彼には自身の誕生日などまるで興味がなく、他の研究員からそう言えばと切り出され、ようやく思い出したほどだった。
――他人のことなどよく覚えているものだな。
優は心の中でそう思ったものだが、自分が八木家の人間として注目されている証左なのかもしれないと思うようにした。この頃には、人の心情を慮るということが彼にとって難しいものになっていたのだ。
彼が見続けているものはただ研究、人類が進化していくための道筋だけだった。
この日、優はせっかくの記念日だからという理由で周囲から勧められ、自宅へ戻っていた。実際のところ、二週間以上研究所にいたままだったので健康状態を心配されたのだ。優としてはそこまでの不調は感じていなかったが、体を壊して長期的に研究できなくなった研究員も何度か見てきたので、ここは大人しく従うことにした。
ちょうど、そういう訳で家に帰り着いたときのことだ。固定電話の呼出音が部屋に響いた。
当時は携帯電話がやっと必携のものになろうかという時期だったが、優は外部に連絡をとるような人物がいなかったことから所持しておらず、あるのは母親が置いておきなさいと指示した固定電話だけだった。だから、電話が来るとしたら母親しかいないはずだが、数年間連絡などとっていない。虫の知らせというか、優は科学的ではない、嫌な予感に苛まれながら受話器を取った。
「もしもし……」
『もしもし、そちらは八木優さんでしょうか?』
知らない男性の声。それが、自分の名前をフルネームで呼んできている。
込み上げる不安を抑えながら、優はそうですがと返答した。
『そうですか……実は今、貴方のお母様がつけていたノートから連絡先を見つけましてね。それでかけさせてもらったのです』
「あの、失礼ですがどちら様ですか?」
『ああ、申し訳ありません……私は××病院の田原と申しまして。お母様のことで、ご連絡を』
「病院……」
これから告げられることが、優には何となく察せられた。
そしてそれは、誤りではなかった。
『実はですね、お母様……華月さんは病気を患ってこの一年ほど当病院に入院していたのですが、昨日容体が急変しまして。可能な限り手は尽くしたものの、残念ながらお亡くなりになられたのです』
「……母が……」
知らなかった、という言葉がまず上ってきたが、それは当たり前のことだ。
二度と会うこともないと一方的に決め込んで、現況を知ろうとさえしなかったのだから。
……ただ、病を患ってもあちらから連絡を取ろうとしてこなかったのは意外だった。
留守電設定はしてあるので、連絡が来れば記録は残るのだ。……それが一度も無かったということは、母は死を悟っても自分に連絡を取ろうとはしなかった……。
『元々、華月さんには余命宣告もしていましたから、知らせたい親族はいないのかと我々も聞いていたんですがね。華月さんは頑なに誰とも話さなくていいと仰って……。こうして貴方に連絡をとれたのも、偶然ノートが見つかったからなんですよ』
「そうだったんですね……すみません、わざわざ」
『むしろ、このような形でお伝えすることになってこちらも謝りたいくらいです。……取り急ぎのご連絡だったのですが、今はお忙しいでしょうか? まずは当院まで来ていただければと』
「……分かりました」
ここで断るわけにもいかないだろうと、優はなし崩し的に了承する。
面倒なことになったな、という気持ちが大半を占めていたが……もっと奥深くに、寂寥感も微かにある事実に彼は驚く。
まだ自分にも、そういう情が残っていたのか……と。
優はすぐに連絡のあった病院へ赴いた。そして田原医師と面談、軽く経緯の説明を受けた後に霊安室の遺体と対峙した。
既に、冷たくなった骸。こんな気持ちはいつ以来だろうと思い返し、それが父の遺体に向き合ったときだと気付く。
やはり、肉親の死というものは……直面すると、重く。
「華月さんは癌を患っていましてね。初期症状もあまりない類のものでしたので、病院へ来たときにはもうかなり進行してしまっていました。病名を告げた際にはやはりショックを受けておられましたし、余命宣告では涙も流されていましたが……後はずっと、静かに日々を過ごされていました」
「……そんなことになっていたなら、連絡をとってくれても良かったんですが」
「邪魔をしてはいけない……華月さんはそう仰っていたそうです。かなりお忙しい身なんでしょうね?」
「まあ、それはそうなんですが……」
職業についても、母は何も言わずにいてくれたようだった。彼女自身もGHOSTに所属していた時期があったし、表沙汰にしないのは当然のことではあったが。
田原医師も、職業については深く訊ねないでくれた。なので答えにくい質問が飛んでくることはなく、その点優は胸を撫で下ろす。
「……邪魔をしてはいけない、か」
もう魂の消えてしまった母の体を見つめながら、八木は思う。
最期に宿したその信念だけは――多分、強かったのだろうと。
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