この欠け落ちた匣庭の中で 終章―Dream of miniature garden―

至堂文斗

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記憶編

対峙

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 全ては、あまりにも一瞬の出来事だった。
 森の奥。永射さんと虎牙くんを追って入ったあの場所で、私たちは虎牙くんが永射さんを突き落とす瞬間を目撃し……そして世界に亀裂が入った。
 満雀さんの心が大きな衝撃を受けたのだと、私はすぐに気付いた。けれどもそのときには既に手遅れで、周囲の景色はバラバラと欠落を始め、最後には闇だけが残ったのだった。
 匣庭の崩壊……そう形容するべきだろうか。満雀さんが主であった信号領域は最大級のショックを以て粉々になり、彼方へと消えた。そして満雀さん自身もまた、明乃の前から忽然と姿を消してしまったのである。

「こんなことになっちゃうなんて……」

 私は今更ながら悔やむ。……満雀さんが真実に耐えられない可能性はもちろん考えていたのだ。
 けれども、打ち克つ可能性の方を信じた。……信じていたのだが。

「親友が、殺人を犯した。……そうだよね、そんな辛い真実……認めたくないのは分かる」

 多分、満雀さんも想定の埒外だったわけではないだろう。でもそれは、考え得る最悪のシナリオだった。
 たとえ犯行の裏にカラクリがあるとしても……認め難い光景には違いなかったのだ。

「どうすればいい……考えなくちゃ」

 周囲を見渡しても、元の景色はまるで存在しない。
 暗闇の中に泡沫のように淡い灯りのようなものが、浮かんでは消えていくだけだ。
 正直に言って、自分が一緒に消えてしまわなかっただけでも幸運だったという気さえする。
 多分……私にはギフトがあるから、だ。

「おや……不思議な闖入者だと思っていましたが、まだ形を保っていられるとは」

 ふいに、声が響く。反響するようなその声がどこから聞こえたのか判然としなかったので、私は辺りをきょろきょろと見回す。
 すると、遠くの方からこちらへと歩いてくる男の姿を捉えた。
 あの人は……。

「……八木優さん、ですね」
「はい。流石に気付かれているだろうとは思っていました」
「秤屋商店から出た後の貴方、まるで演劇を終えた後の役者みたいでしたからね」
「ふふ……良い例えです」

 教師が生徒の答えに満足して浮かべるかのような、それは笑顔だった。
 曇りのない……だからこそこのような場面では恐ろしく思える、笑顔。

「貴方が……黒幕だったというわけですか」
「ここまで来るのに大変な苦労がありましたよ。本当に、ようやくここまで漕ぎつけた」
「満雀さんは……どこへ行ったんですか……!」

 強い語気で私が問うと、八木さんは困り顔になって、

「それについては私も戸惑っているんです。信号領域が完全にシャットダウンしないまま、彼女がどこかへ消えてしまったので。一度サーバが落ちなければ、私が正式な管理者になれないんですよ」
「……貴方の目的は、この匣庭を乗っ取ることなんですね……」

 頷いた彼は、胸の辺りで掌を上向ける。すると、そこに0と1の奔流が起こり……やがて一行のメッセージを生み出した。

『ジケンノ ハンニンワ ヤギマサル ノットリニ ヨウケイカイ』

「それは――」
「どうやら貴方……光井明乃さんでしたね? 明乃さんのお仲間と杜村さんは、私が領域を掌握しようとしていることまでしっかり掴んだようだ。流石の捜査力と言いますか、何と言いますか」

 ……このメッセージが、今の事態に陥るよりも前に受け取れていれば。
 いや、EMEを介して奇跡的に受信できたメッセージなのだ。受け取れる機会は本来、かなり限られていただろう。悔やんだって仕方がない。

「貴方も貴方で、普通なら取り込まれて然るべき破局にも関わらず、魂魄の形が揺らいでいない。一般的な人よりも強い魂魄を持っている……本当に、厄介な人たちが介入してきたものですよ」
「私は……受け継いでいるものがありますから。確かに、この魂は強いのかもしれません。そうあってほしい」

 お姉ちゃんたちの想い。あのモノクロの世界から……あの戦いから。
 私は多くを受け取り、覚醒したのだ。それが今助けになっているのなら、これほど嬉しいことはない。

「……まあ、いいでしょう。満雀さんが負った心の傷はとても深刻だ。このまま行けばいずれはシャットダウンしてくれるはず。なので、せっかくですし……少し自分語りにでも付き合っていただいてよろしいですか?」
「……なぜ?」
「いえね? さっきも言った通り、私の人生は苦労の連続でして。その上基本的には、誰にも知られるわけにはいかなかった。なので誰か一人くらい、私の道のりを知っておいてほしいと思っていたんですよ……たとえ最後に消え去るとしても」

 異常だ、と直感した。
 ああ、だからこそこの男はGHOSTの幹部足り得たのだろう。
 一言で表すなら、八木優という人間はまさしくマッドサイエンティストなのだ。
 私の命を奪うとあっさり言ってのけながら、恍惚とした表情を浮かべる……残酷さと幼稚さの入り混じった性質が、あまりに歪で悍ましくなった。
 誰もが欺かれていたのだ。
 彼は、決して優しい人間ではない。自らの目的のため、仮面をつけて誰からも受け入れられる役を演じてみせたのだ。何の抵抗もなく、感情もなく。
 私はそこで、黒木圭のことを思い出した。奴は純粋なる悪だったが……目の前の男も少しだけ、奴に似ているのかもしれない。常人には理解できない思考、直向きな思いが生み出す悪意……。

「半ばコントロールは得られていますし、こういう趣向で行きましょう。信号領域を活用するなら、こんな風にしなくては」

 パチン、と八木さんが指を鳴らすと、世界は急速に何かを形作り始めた。
 そう――彼は今、記憶を再現しようとしているのだ。

「これからお話するのは、私という研究者が歩んできた人生……満生台らしく言うなら、盈虧の物語というところですかね。どうか最後まで聞いてくだされば幸いです――」

 何にせよ、拒否権はない。
 私は警戒を解かず、状況を打開する方法を考えながらも、彼の物語を観劇する他なかった。
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