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究明編

匣の中

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 匣庭に夜の帳が下りて――。
 集会場にて、永射孝史郎が演説する住民説明会がいよいよ始まった。
 肯定派も否定派も一所に集まって、永射による説明に耳を傾ける。そうして話が終わると、瓶井さんが異を唱え、彼との舌戦を繰り広げるのだ。
 この裏で、虎牙は建物内の目立たない場所に身を潜め、永射が出てくるのを待っている。そして説明会が混乱の中終了し、裏口から永射が出てきたところを尾行し始める……。
 もう、何度も見てきた光景だ。ここからが重要なのだと自分に言い聞かせ、どんな些細な事象も見逃すまいと事の成行を注視してきた。
 結果として、今日という日まで明確な手掛かりは掴めなかったものの……それも多分終わりなのだろうという、漠然とした予感がしていた。
 彼女が――明乃さんがいるから。

「……どうしました?」

 隣にいる彼女を見やると、不思議そうな顔でそう返される。
 突然見つめたら、そんな風に言われるのも当然か。私は少し照れ臭くなって、何でもないわと返事をした。

「……これで、説明会が終われば」

 集会場の外で、私たちはその時を待つ。
 静寂、紛糾……そして再びの静寂。
 最後に、人々が疲れ切った様子で出てくるその時を。
 闇が、濃さを増していく。
 建物と街灯の灯りが無い山の辺りは、もうほとんど何があるかも分からないほどだ。
 ぼんやりと周囲を見渡し……やがて、時間になる。
 説明会が終わり、住民たちが扉を開けて出てきたのだ。

「さあ……この後裏口から、永射と虎牙が出てくるわよ」
「了解です……追いましょう」

 全員が出払うよりも先に、永射は裏手から集会場を抜け出す。渋い顔をしているのは、瓶井さんを言い負かせなかったからであるのは違いない。
 が、すぐにその表情も消える。虎牙を誘導するために気持ちを切り替えたのだ。後は、仕組まれた追いかけっこの始まりだった。
 永射邸から、北の森へ。この辺りでぽつりぽつりと雨が降ってくる。視界の悪さは煩わしいが、どうせ私たちはここにいない人間だ。多少転びそうになっても構わずに、先へと進む。
 永射は、虎牙が義眼であることをもちろん知っているから、あえてゆっくりと山道を登っていく。必死に追う虎牙を、あの男はさも愉快そうに誘っていたのだろう。
 このまま行けば、曲がりくねりながらも観測所へと向かう道。しかし、永射は途中でそこから逸れ、西向きに進んでいく。ちょうど鬼封じの池の上流辺りに。
 左右に背の高い雑草が生い茂り、木々の密度も増えていく。ここはまさに獣道だ。健常な人でも、簡単には歩いていけないだろう。
 私たちは……ただ、後を追う。

「……道……」

 ……私の、視点。
 無意識の内に認めることを拒否していた事実に、私は少し前に気付かされた。
 誰もが不自由を抱えているのなら、それは私自身もそうだったのではないか、と。
 だから、私という視点はいつだって地下室とそれ以外を往復していて。
 周囲の大人や、仲間たちも……それを理解した上で対応してくれていた。
 私はきっと――縛り付けられていた。

「道標の……」

 目の前には、沢山の瞳。
 いや……モニタ。
 画面に映し出された無数の映像が、私の目だった。
 その数は八〇二。その数は、道標の碑と同じ。
 私はその目を通して、世界を覗き見る――。

「――じゃあ」

 ここから先は?
 先人たちの標無き道。
 ただ幾らかの雑草が踏み固められただけの、獣道。
 そしてそれすらもやがては形を失い、完全な草木の中を掻い潜っていく私は。
 どこにその目を持っているというのだろう――?

「……ねえ、満雀さん。私たちは、どうして……」
「……そう……どうして」

 この時間、この道の先を視ることができるのか。

 ――研究所側の所長は馬野という名前だったか……。

 頭の中に流れ込んでくる永射の声。
 馬野という名前に覚えがあったのは、きっとそのせいで。
 少し先の未来……私はどうしてこの対峙の記憶がある?
 モニタ越しの世界を見ているだけの私に、どうして碑の無い場所の記憶が存在できるというんだ……?

「……ぐっうう……!」

 激しい頭痛。
 まるで何もかもがひび割れて、崩れ去っていくような感覚。
 けれど、動き出した映像が止まることは最早なく。
 私の意思と関係無しに、舞台上の劇は繰り広げられていく。

「……そろそろ出てきては?」

 永射の声がする。
 虎牙が舌打ちする音も聞こえる。
 キリキリ、ズキズキと痛む頭の中で……数限りない悲鳴も聞こえる気がした。

「満雀さん……しっかりしてください、満雀さんッ!」

 とうとう堪え切れず、私は両手で頭を抱えるようにうずくまった。
 それでも容赦なく、激しい頭痛は私を苛み続ける。
 ああ、もうどうしようもない真実が、すぐそこまで迫っている。
 私はそれを、否応無しに受け入れなければならないんだ。

「そう。村長の名前から、津田密約と裏で呼ばれていたらしいですね。過去の文献はほとんど無くなっていますが、あれこれ探して何とかそれくらいは突き止められました。研究所側の所長は馬野という名前だったか……この二人が手を取り合い、三鬼村で行われた全てに蓋がされたのですねえ」 
「え――馬野……? その名前、確かレッドアイの製作者……」

 明乃さんが、再び永射の口から発せられたその名に驚愕する。

「それが昔の研究所の所長って……まさか、そういう一族が……?」

 馬野という一族。そう、多分その考えは当たっているように思う。
 けれど、それ以上を考えるには、今の頭は許容量を超えていた。

「せっかくですし……最期にちょっとだけ教えてあげましょう」

 虎牙に向かって、永射は醜悪な笑みを浮かべる。
 そして彼らの……GHOSTの理念を、誇らしげに語る。
 我々は知っている側の人間だと。なれば、人類が到達すべき場所へ進み続けるしかないのだと。

「なぜ私がここへ誘ったか……勘付かない君ではないでしょうに」

 永射が、ついに牙を剝き。
 虎牙に掴みかかる。
 胸倉を捻り上げた永射は、そのまま虎牙を崖近くまで引き摺って。
 いよいよ彼を突き落とそうかと言うとき。

「何……っ?」

 一瞬、がくりと脱力したはずの虎牙が、突如として恐ろしい力で永射の腕を捻り上げて。
 その目から血を流しながら――永射を、

「あ――ああ……」
「駄目ッ!!」

 ――突き落とした。

「嘘……」

 静寂。
 雨と風の音だけが、ただ耳朶を刺激する。
 私はただ、呆然としたままで。
 モノクロの光景を見つめていた。

「じゃあ……永射さんを殺したのは」

 明乃さんの声。
 何故か……少しずつ、遠ざかっていく。
 その理由に気が付いたのは、もう全てが闇に包まれた後だった。

 ――これが、匣の中だったんだ。
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