この欠け落ちた匣庭の中で 終章―Dream of miniature garden―

至堂文斗

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究明編

ノイズ

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 ……そして、七月二十四日が訪れる。
 永射孝史郎が殺される、波乱の一日が。
 結局、何かに気付いたらしい満雀さんは、それから口を堅く閉ざしてしまった。
 私が推察するに、彼女が思い至ったのは永射さんの殺人に関する重大な手掛かり……恐らくは犯人に繋がるものだとみているのだけれど。
 問いかけに対して、彼女は怯えたように震えるばかりだった。
 それが、ある種肯定を示しているようにも、思えたのだけれど。

「……ごめんなさい」

 ある程度落ち着きを取り戻した彼女が呟いたのは、そんな一言だった。
 後は言葉少なに私たちは地下へと戻り……短からぬ時を過ごしたのだった。
 彼女は私に、何を伝えることもなかった。
 けれど、私だけじゃなく彼女だって、きっと気づいてはいる。
 終わりのときは近い……程なくして、全ての真相は白日の下に晒されるのだと。
 だから多分、この黙秘はただ気持ちの整理なのだ。

「……大丈夫ですか?」

 私は、優しく彼女に問いかける。

「ええ……きっと、大丈夫。そうでなければ、進めないものね」

 満雀さんは、弱々しく笑んだ。
 今はそれが、強がりでしかないにしても。

「もう……時間がないわ。だから、始めなくちゃ」
「……分かりました」

 今日という日を。
 私と満雀さんは、歩き出す。
 どんな過酷な真実が待っているとしても。
 私たちは、立ち止まる側の人間ではないのだから。
 杜村さんの迎えで、私たちはこの日も学校へ向かう。それから二科目の試験を終わらせて、少しばかり長い遊戯に興じた後、再び杜村さんに連れられて帰宅した。
 夜の説明会に向けて、準備を進める人たち。或いは電波塔の危険性について、今夜永射さんが話す内容について論じる人たち。いつもより多くの人とすれ違った帰り道だった。
 それから時間は過ぎて午後二時。私たちは秤屋商店へと出発する。満雀さんにとっては通い慣れた場所だろうが、私はこれが初めての来訪だ。
 秤屋千代さん、という女性とも初対面になる。可愛らしくもたくましい商店の看板娘、という満雀さんの触れ込みだったので、領域内の存在だとしても一目見ておきたかった人だった。事ここに至っては、落ち着いて相対することはできないかもしれないが。

「……あそこよ」

 比較的住宅が密集しているところに商店は建っていた。流石に街外れでは足を運びにくい人も多いだろうし、この立地は納得だ。住居も兼ねているため建物はかなり大きめで、入口には複数、出入りする人の姿があった。

「盛況してるんですね」
「唯一の商店だもの。昔からあるという住民からの信頼もあるしね」

 移住してきた人にとっても、元よりこの街に住んでいた人にとっても、秤屋商店は生活の大事な基盤であり交流の場だったわけだ。だからこうして、住民同士が軒先で話し合い、笑い合っている。
 そしてそこに、主人である千代さんの姿もあった。

「そうですよねー、私もしっかり聞いておかなくちゃとは思うんですけど、瓶井さんみたいにビシッとは言えなくて」
「ほっほ。千代ちゃんはそこまで厳しくならんでええわい。君が文さんみたいだと、ここに通い辛くて敵わん」
「あ、瓶井さんが怒りますよ?」
「おっと、今のは内緒で頼むよ。これも買っていくから」
「まいどあり! もちろん、内緒にしときますよ」

 都会にはない、店主と住民の温かな交流だ。私は胸がじんわりとくるのを感じた。
 やっぱり、こういう人は話上手だし、皆から好かれる笑顔も兼ね備えている。流石の女性だ。

「……あら、龍美ちゃん。今日もお買い物かしら?」

 ふと背後をみると、すぐそばに龍美ちゃんがいた。私をすり抜けるようにして千代さんのそばまで近寄り、彼女は苦笑する。

「こんにちは、千代さん。またお母さんに頼まれちゃって」

 小さなポーチから買い物が書かれたリストを取り出しながら言うと、千代さんは偉いわね、と返した。

「そうそう、今ちょうど八木さんが来てるわよ」
「あ、そうなんですか?」

 ……さて、いよいよだ。龍美ちゃんと一緒に事件の謎に挑んだ研究者……八木優さん。
 彼が如何なる人物か、まずはしっかりこの目で見ておかねば。
 龍美ちゃんは、店の奥へと入っていく。どうやら八木さんはそこにいるらしい。覗き込んでみると、手前は生鮮食品や日用品が陳列されているが、奥側には木材や機械部品といったホームセンターで売っているようなものまで取り揃えられているのだった。……秤屋商店恐るべし。

「こんにちは、八木さん」
「ん――ああ、どうも龍美さん」

 外からだと、店内との明るさの違いで奥が見え辛い。何となく龍美ちゃんと八木さんらしき人物が立っているのは見えるのだが、判然としなかった。しばらくはそんな状態のまま会話が進む。

「龍美さんは『太陽フレア』というのを知っているかな」
「えーっと、言葉を聞いたことくらいは」

 なるほど研究者らしい、専門的な話が展開されていく。どうやら昨日……二〇一二年七月二十三日は太陽フレアというものが発生した日だったようだ。太陽で起きる爆発現象で、規模によっては磁気嵐が起きて機械に障害が発生してしまうのだとか。
 当時の太陽フレアは結局、地球に大した影響を及ぼさなかったようだけれど、もしも被害があったならWAWプログラムにも問題が発生していたかもしれない。久礼さんが計画の実行日を八月二日にしたのには、太陽フレアの影響を見極める算段もあったのかも。
 途中で千代さんも会話に混ざって、三人での談笑になる。それが四、五分ほど続いてから、八木さんがそろそろお会計をしたいと千代さんに申し出た。

「ありがとうございましたー!」

 その言葉に送り出されるようにして、八木さんは店の外へと出ていく。ここでようやく、私は彼の姿をハッキリ捉えられた。柔和で優しそうな表情、ボサボサの髪と着古した装い……なるほど研究者らしい人物だな、という印象だ。

「この人が……」
「ええ……毒気の感じられない、朴訥とした人だったでしょう。話はとても専門的で難しいけどね」
「ですね。太陽フレアとか、電波に関わりそうなことは話してましたが……事件には影響していなさそうですし」
「何度も繰り返している場面だから、こればかりは流石に収穫無し、かしら」

 そう話しながら、私たちは八木さんの背を見送る。
 ……そこで。

「……ん……?」

 最後に彼は、肩をすくめた後に小さく溜め息を吐いたような気がした。
 もちろん、それは日頃の疲れから出たものだったのかもしれないけれど。

 ――世界が、ブレたような。

 満雀さんの認識が正常化するときと同じような世界のノイズが、ほんの僅かに生じたように感じられて。
 私はその一瞬に、小さな疑念を抱いてしまう。

「……さて。これで後に待つのは、夜の説明会と永射の殺害、ね」
「あ――はい。そうですね」

 今のは、見逃してはいけないサインだったのか。
 ……少なくとも、油断してはならないと私の心は警鐘を鳴らしている。
 だから、ここから先に待ち受けるものに対して。
 一分の隙も見せてはならないだろうと、私は改めて覚悟を固めるのだった。





 ……斯くして、匣庭は最後の転換点を迎える。
 私は、この瞬間に至ったことを誇りに思い――独り、笑った。
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