この欠け落ちた匣庭の中で 終章―Dream of miniature garden―

至堂文斗

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究明編

視点の限界

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 匣庭に、雨が降り始める。
 ぽつぽつと疎らに落ちていた雨脚も次第に強まって、森に人気がなくなる頃には傘が欲しいほどになっていた。
 とは言え、私の体も満雀さんの体も、実際に濡れることはないのだけれど。

「さて……池の探検も終わってしまったけれど、どうしましょうか」

 空――とは言っても頭上を覆う分厚い枝葉でほぼ見えないが――を仰ぎながら、満雀さんが聞いてくる。
 帰るのも選択肢の一つではあるものの、せっかく森に来たのだからまだ確認したいことはあった。

「一度、八木さんの観測所まで行ってみたいですね」
「ええ、そう言うと思ったわ。……ただ、その姿を見られる場所までは行けないのよ」

 視点の限界。道標の碑は、観測所にまで達していない。
 だから実物は見れないだろうけど、せめてどこまで行けるかは知っておきたかった。八木さんにばったり会えるかもしれないし。

「じゃあ、ご要望通り向かってみるとしましょうか。収穫は期待しないでね?」
「はい、大丈夫です」

 本来なら街の東側――つまり永射邸のあたりから森へ入り、山道を登っていくのが観測所へのルートらしい。
 ただ、今は山の西側に入り込んでいるし、ここからでも人が進める道はあるとのことで、下山することなくそのまま東へと進んだ。
 池の周囲に立ち込めていた霧もどんどん薄くなっていく。結局雨で視界は悪いのだが、物々しい雰囲気は幾分マシになった。現実だと、足元の葉っぱに足を取られて斜面をずり落ちる、なんていう恐怖もあるのだろうけど、霊体ならば関係はない。

「そろそろかしらね……」

 十分は歩いた頃だろうか、満雀さんは呟く。
 この場合、観測所がというよりは足を踏み入れられる限界地点がそろそろ、ということだろう。
 思った通り、まるで見えない境界があるかのように私たちは先へと進めなくなってしまった。
 押し返すような感覚とともに、足を踏み出せなくなるのだ。

「ここが限界みたいですね」
「そうね……でも、ギリギリ観測所は見えるわよ」
「あ――本当だ」

 雨のせいでぼんやりとはしてしまっているけれど。遠くに小さな建物の姿は確認出来る。如何にも観測所という風なコンクリートの外壁、屋上部分に備え付けられた大きなアンテナ。あそこで八木さんは生活しているのか。

「職場で寝泊まりしてるってことですよね、八木さん」
「間違いじゃないわね。居住スペースもちゃんとあるようだし、ある意味私と変わらないわけだけど」

 確かに、久礼家も働いている病院の中に居住スペースを設けているのだし、同じと言われればそうかと私は納得する。
 こういう街だと、わざわざ仕事場と家を別にする必要性もない、か。

「そう言えば、電波塔もこの付近にあるんですね」
「もう少し上の方だけどね。あそこも私が行けないところだから、なんとも歯痒いわ」

 住民とGHOST側の論争の種になっていた電波塔……通称、満生塔。
 WAW計画において信号領域を発生させるのに必要な装置なのだろうが、あの場所に行けたら何を見つけられたのやら。
 ……まあ、計画を調査する上で欠かせない場所であることは確実だ。二週間のうちに子どもたちが調べに向かっているはずだし、その情報がないのなら大きな手掛かりは得られなかったのだろう。

「と言うわけで、これ以上得られるものもなし、帰還することにしましょうか」
「そうですね。……しかし、こんな山中に観測所を建てて暮らすなんて、やっぱり大変そうだなあ」

 満雀さんは私の感想に頷きつつ、

「地震や天体について観測するのに、人が多く住む場所だとノイズが多いということよね。八木さん自身が受け入れていたことだもの、それで良かったんだわ」

 たとえ人との繋がりが希薄になろうとも。己の仕事に向き合えればそれで構わない……そんな人だったのだろうか。
 そうした環境の中で訪ねてくれる龍美ちゃんなどは、案外心の支えになっていたのかもしれないな。
 もちろん、希望的な観測でしかないけれど。
 
「……あ、そうだ。満雀さん、あと一つだけ見て行ってもいいですか?」
「ええ、構わないわよ」

 さっき満雀さんがしてくれた話から、私はもう一か所ついでに回れる場所があると思いついた。
 それは、第一の犠牲者となってしまう永射孝史郎さんの邸宅だ。
 この観測所に来る適切なルートが東側の山道なら、このまま東へ向かって下山すればちょうどいいと考えたのだ。

「永射邸、このまま向かえますかね?」
「こういう回り方をしたことはないけれど……多分ね」

 恐らく、道標の碑の配置がどうなってるかにも関わってくるだろう。満雀さんが物理的に行けない場所なら迂回するしかなさそうだ。
 とりあえず、行けそうな道を進んでみよう。そういう次第で私たちは東向きに下山を始めた。
 幾度か足止めはくらってしまったものの、最終的に私たちは何とか東側のルートから街に戻ることが出来た。誰も使わないルートには違いないが、道標の碑が置かれてあったことには感謝だ。
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