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究明編
GHOSTを追う者
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「どうも、蟹田さん。回診の時間ですよ」
「ああ、杜村さん。ちょうど暇してたところですよ」
扉の向こうに待っていた青年は、なるほどとても長期入院中の病人には見えない。痩せぎすで、目の下に刻まれた隈は年齢に釣り合わないくらい深いけれども、それ以外は至って普通に感じられた。
時期が時期だけに、熱中症で搬送されてきたのかな、と思える程度だ。
ベッドの上で上半身だけを起こし、彼はこちらに向かって微笑みかけている。
「この人が、蟹田郁也さん……」
「ええ。蟹田さんが入院してから、この時点で四年は経つはずよ」
特に日常生活での不都合もなさそうだし、彼が四年もここで生活しているというのは流石に変だ。
しかし、満生台で何らかの調査を行っているのなら、それはGHOSTに関わりそうなもの。敵陣の中に堂々と居続けられるというのも納得し難い。
「実はこの人も義肢だったりしませんか? 何の不調もないのに、四年間もGHOSTが放置しておくとは思えませんが」
「それが、特に情報がないのよ。蟹田さんは健康体だったとしか思えないわ。だから、少なくとも父にとっては無害と考えられていたか、或いは放置しておくだけの理由があった……」
「……ふむ」
雑談を交えながら、双太さんは手慣れた様子で診察を行っていく。
それは素人の自分から見ても、玄人くんにしていた健診の流れと変わらないものだった。
「双太さんも、というより病院関係者は皆、蟹田さんがただの患者でないことくらいは理解していたわ。けれど、牛牧さんが転院を勧めてここにやって来たという手前、大きな声でおかしいとは言わなかったの」
「運営権を手放したとはいえ、牛牧さんはまだある程度の力を持っていたってことですかね」
「地域の声もあるのよ。この街を変えるきっかけになったのも、優しく寄り添ってくれたのもGHOSTではなく牛牧さんの方なのだから、彼に好意的な人は多い。だから彼のことを無下には出来ない……ということね」
「なるほど」
ただでさえ電波塔建設で住民と揉めているのだから、牛牧さんを排斥するような動きをとればなおさら批判が大きくなってしまう。組織側もバランスを取りながら慎重に計画を運んでいたわけか。
「牛牧さんの影響力に守られつつ、長年この病院で過ごしてきた人物……」
彼が只者でないことは直観的に分かる。
爽やかな笑みの裏に見え隠れする陰。胸に仕舞い込んだ思いだけは誰にも明かさないというような、静かなる決意。
頑なな仮面の向こう側に、彼は何を隠しているというのだろう?
「――え……?」
ふと、病室の端に置かれたテーブルへ視線を移した私は、そこに置かれた小さなメモ帳の文章に目を奪われた。
雑多に記された文字。その羅列の中に、見知ったものがあることに気付いたからだ。
「……どうかした?」
「ええ……まさか、ここでこの企業の名前を見つけるなんて」
私はメモ帳の傍まで近付く。時間が緩やかに静止し、満雀さんも私の隣までやって来た。
ページの中に記された企業名を、私は指し示す。
「佐渡コンツェルン……私、この名前を知ってるんです」
「……と言うと、もしかしてあなたたちが巻き込まれた事件に関わりが?」
「いえ、これはGHOSTを追うようになってから、事件関係者と接触して交流するようになった感じです。先に話した鴇島というところの事件なんですが……まあ、とにかく。佐渡コンツェルンという企業にもGHOSTは出資と称して手を伸ばしていたんです」
「この満生総合医療センターを実質乗っ取ったように?」
「乗っ取った、とまでは言えないかもですけど」
ただ、実際大きなお金を動かしてあれだけのことをしたのだから、満雀さんの表現も誤りではないかもしれない。
二〇一三年時点で事件を主導したのは、組織と無縁の人物だったわけだが……。
「病室にあるんですから、これは蟹田さんのものですよね。だとしたら、やっぱりこの人はGHOSTについて調べていたことに……」
しかも、この匣庭の時間軸は二〇一二年だ。つまり、蟹田郁也という人物はあの事件が起きるよりも前に佐渡コンツェルンを追っている……。
もしかすると、彼はGHOSTのかなり深いところまで調べられていたのかもしれない。
「このメモ帳、ページを捲るなんてことは出来ませんよね?」
「残念ながら。でも、場面によっては違うページも見られるかも。機会は少ないでしょうけど……」
満雀さんの目になるような監視カメラはここにないし、彼女が回診に付き合ったときくらいにしかチャンスはない、か。他のページを見るのはあまり期待出来なさそうだ。
とは言え、これは大きな発見だという気がする。
「……企業への寄付に、決算書の内容……なるほど、核心を突いた調査をしてるようです」
「まさか、そんなところから手掛かりが得られるとは思っていなかったわ。流石ね」
「いえ、経験が活きただけですよ」
彼女はこの数年間、閉じた世界の知識だけで謎解きに挑もうとしている。
視点すら限られている以上、もしかすれば解答を導き出すことすら出来なかったかもしれない。
なら、私という匣の外の人間が、どこまでこの世界を展開出来るか。
機械仕掛けの神でもいい、きちんとこの世界を終わらせられるか……。
「少なくとも、蟹田さんはやはりGHOSTを調べている人物……組織に与しているわけではなさそうですね」
「ただ、それが事件の容疑者でない理由にはならない……」
満雀さんの言葉に、私は頷く。
むしろ、様々な思惑の絡み合うこの匣庭において、善意の第三者でなかった彼もまた十分に容疑者候補足り得るのだ。
「あの頃は平穏と信じて疑わなかったはずの日常だけれど、その陰で蠢く幾つもの思惑があって……。一体、誰の思いが一番強かったんでしょうね。どれほどの思いが、この街を飲み込んだというのか……」
満雀さんがぽつりと、そんなことを呟いた。
私はただ黙って、隣に立っていることしか出来ずにいた。
「ああ、杜村さん。ちょうど暇してたところですよ」
扉の向こうに待っていた青年は、なるほどとても長期入院中の病人には見えない。痩せぎすで、目の下に刻まれた隈は年齢に釣り合わないくらい深いけれども、それ以外は至って普通に感じられた。
時期が時期だけに、熱中症で搬送されてきたのかな、と思える程度だ。
ベッドの上で上半身だけを起こし、彼はこちらに向かって微笑みかけている。
「この人が、蟹田郁也さん……」
「ええ。蟹田さんが入院してから、この時点で四年は経つはずよ」
特に日常生活での不都合もなさそうだし、彼が四年もここで生活しているというのは流石に変だ。
しかし、満生台で何らかの調査を行っているのなら、それはGHOSTに関わりそうなもの。敵陣の中に堂々と居続けられるというのも納得し難い。
「実はこの人も義肢だったりしませんか? 何の不調もないのに、四年間もGHOSTが放置しておくとは思えませんが」
「それが、特に情報がないのよ。蟹田さんは健康体だったとしか思えないわ。だから、少なくとも父にとっては無害と考えられていたか、或いは放置しておくだけの理由があった……」
「……ふむ」
雑談を交えながら、双太さんは手慣れた様子で診察を行っていく。
それは素人の自分から見ても、玄人くんにしていた健診の流れと変わらないものだった。
「双太さんも、というより病院関係者は皆、蟹田さんがただの患者でないことくらいは理解していたわ。けれど、牛牧さんが転院を勧めてここにやって来たという手前、大きな声でおかしいとは言わなかったの」
「運営権を手放したとはいえ、牛牧さんはまだある程度の力を持っていたってことですかね」
「地域の声もあるのよ。この街を変えるきっかけになったのも、優しく寄り添ってくれたのもGHOSTではなく牛牧さんの方なのだから、彼に好意的な人は多い。だから彼のことを無下には出来ない……ということね」
「なるほど」
ただでさえ電波塔建設で住民と揉めているのだから、牛牧さんを排斥するような動きをとればなおさら批判が大きくなってしまう。組織側もバランスを取りながら慎重に計画を運んでいたわけか。
「牛牧さんの影響力に守られつつ、長年この病院で過ごしてきた人物……」
彼が只者でないことは直観的に分かる。
爽やかな笑みの裏に見え隠れする陰。胸に仕舞い込んだ思いだけは誰にも明かさないというような、静かなる決意。
頑なな仮面の向こう側に、彼は何を隠しているというのだろう?
「――え……?」
ふと、病室の端に置かれたテーブルへ視線を移した私は、そこに置かれた小さなメモ帳の文章に目を奪われた。
雑多に記された文字。その羅列の中に、見知ったものがあることに気付いたからだ。
「……どうかした?」
「ええ……まさか、ここでこの企業の名前を見つけるなんて」
私はメモ帳の傍まで近付く。時間が緩やかに静止し、満雀さんも私の隣までやって来た。
ページの中に記された企業名を、私は指し示す。
「佐渡コンツェルン……私、この名前を知ってるんです」
「……と言うと、もしかしてあなたたちが巻き込まれた事件に関わりが?」
「いえ、これはGHOSTを追うようになってから、事件関係者と接触して交流するようになった感じです。先に話した鴇島というところの事件なんですが……まあ、とにかく。佐渡コンツェルンという企業にもGHOSTは出資と称して手を伸ばしていたんです」
「この満生総合医療センターを実質乗っ取ったように?」
「乗っ取った、とまでは言えないかもですけど」
ただ、実際大きなお金を動かしてあれだけのことをしたのだから、満雀さんの表現も誤りではないかもしれない。
二〇一三年時点で事件を主導したのは、組織と無縁の人物だったわけだが……。
「病室にあるんですから、これは蟹田さんのものですよね。だとしたら、やっぱりこの人はGHOSTについて調べていたことに……」
しかも、この匣庭の時間軸は二〇一二年だ。つまり、蟹田郁也という人物はあの事件が起きるよりも前に佐渡コンツェルンを追っている……。
もしかすると、彼はGHOSTのかなり深いところまで調べられていたのかもしれない。
「このメモ帳、ページを捲るなんてことは出来ませんよね?」
「残念ながら。でも、場面によっては違うページも見られるかも。機会は少ないでしょうけど……」
満雀さんの目になるような監視カメラはここにないし、彼女が回診に付き合ったときくらいにしかチャンスはない、か。他のページを見るのはあまり期待出来なさそうだ。
とは言え、これは大きな発見だという気がする。
「……企業への寄付に、決算書の内容……なるほど、核心を突いた調査をしてるようです」
「まさか、そんなところから手掛かりが得られるとは思っていなかったわ。流石ね」
「いえ、経験が活きただけですよ」
彼女はこの数年間、閉じた世界の知識だけで謎解きに挑もうとしている。
視点すら限られている以上、もしかすれば解答を導き出すことすら出来なかったかもしれない。
なら、私という匣の外の人間が、どこまでこの世界を展開出来るか。
機械仕掛けの神でもいい、きちんとこの世界を終わらせられるか……。
「少なくとも、蟹田さんはやはりGHOSTを調べている人物……組織に与しているわけではなさそうですね」
「ただ、それが事件の容疑者でない理由にはならない……」
満雀さんの言葉に、私は頷く。
むしろ、様々な思惑の絡み合うこの匣庭において、善意の第三者でなかった彼もまた十分に容疑者候補足り得るのだ。
「あの頃は平穏と信じて疑わなかったはずの日常だけれど、その陰で蠢く幾つもの思惑があって……。一体、誰の思いが一番強かったんでしょうね。どれほどの思いが、この街を飲み込んだというのか……」
満雀さんがぽつりと、そんなことを呟いた。
私はただ黙って、隣に立っていることしか出来ずにいた。
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